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上の写真はご存じ、競泳背泳ぎの寺川綾選手です。
彼女のスイマーとしての能力はともかく、くわえてその美貌は何かを私たちに引き立たせることは認めなければなりません。
下の写真はさらに何かが加わって寺川選手の魅力をさらに引き立たせようとしているのが分かります。その〈何か〉こそ、私たちの社会では重要な価値の源泉となっています。
ヘアメイク、水着の色やデザイン、何よりカメラマンの能力、照明、そして、本人への〈笑顔の指導〉・・・・つまり、寺川綾それ自体に私が思いつくだけで、これだけの〈付加=AND MORE〉が加わっていると考えられるわけです。いいですか?考えられる、ということに注目です。本当はどういう付加が加わっているか、ここが大切です。これが価値の源泉であり、さらにそれを外化させ、客観化させることこそが、そして、さらに、それを〈市場〉で評価させる力こそが私たち社会の〈労働能力〉なのです。寺川選手を見て、「ああきれい」とか「たいしたことはねえよ」などというところで止まっていては、いけません。寺川選手それ自体にせよ、好感度を与えるために、今日明日ではどうにもならない何かをしているのかもしれません。こうした能力を、教育社会学者の本田由紀は〈ハイパーメリトクラシー〉と呼びます。
過去の選手の中にも、こうした形式で私たちに訴えてきた選手はたくさんいます。
下の写真は左がバレーボールの益子直美選手、中は陸上マラソンの有森裕子選手、右はシンクロナイズスイミングの小谷実可子選手です。
ま、要するにみなさんおきれいでいらっしゃいます。美人なんですね。しかし、上の寺川選手のところで述べましたが、たんに、それだけの話では実はないのです。
みなさんはこの下の選手(写真、左)、ご存じですか。陸上、100Mの市川華菜選手です。100M女子というと福島千里選手(写真、右)が有名ですよね。市川選手は福島選手には及びませんが、日本を代表する選手です。
もっと違った世界で、下の方をご存じですか?
女優でも何でもありませんよ。囲碁のプロ棋士です。梅沢,じゃなくてそれは、旧姓、現在は吉原由香里さんです。
1970年代後半以降、私たちはポスト産業資本主義という段階に入ったとされています。ただ、ものをつくるのではなく、価値としてものに加わる何か(AND MORE)が価値を決定していくという社会です。正直にコツコツという物作りの社会から、付加価値とか記号とか、というプラスされる何かが価値を決める社会に入ったとされています。
囲碁を打つことと、美しい美貌を持つことは囲碁それ自体としてみれば関係ありません。しかし、私たち社会はそれをもふくめて価値を決定していく社会へと変貌してきています。学校がもっとも遅れているのは、こうした価値を取り入れることです。もちろん、それは、美人をただただバカのようにひきたたせることではありません。
多様な価値、多様な楽しみ方、多様なAND MOREなくしては生徒の関心をひくことはできない社会に入っているということです。しかし、現在、私の教育現場は、俺のいうことが聞けないのか、つまらないだと出て行け、が、通ってしまう社会です。つまらなくても、コツコツノートをとれ、いうことをきけ、素直になれ!・・・
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読んでてその何かがわからず、だんだんイライラしてきました。
そのまま、なにかがあるからいいのですと言いながらって話がすすんでいくけど、こちらはわかってないのに進むからイライラしてしまいます。
その何かって魅力とかそんな感じのとらえ方でいいんでしょうか?