私は、総合学習で、生徒による授業評価を雑誌にするという企画をしています。私の勤務する学校は、単位制高校です。単位制高校というのは、クラスがない、授業がズラーっと並んでいて、それを生徒が選択するという形式で、つまり、大学のようなシステムで運営されているのです。授業時間割に担当者の名前も入っています。選べるんです。そこで、私はこういうキャッチコピーを自分の総合学習につけてみたわけです。
「だったら、受講生の授業評価を参考にしてもっとも自分にあった先生を選択しよう。受講生をこのように分類する。
進学希望者 と 教養、つまり単位がほしいという受講生
得意 と 不得意
さらに、
わかりやすい
興味深い
公正(絶対評価の評価基準が明確・差別がない)
満足度
という基準も付け加えよう」
「僕は、この科目を進学目的で履修します。しかも苦手です。わかりやすい先生を求めています。」
こういうニーズにあう情報を送りたい、というものです。
そこで、各担当者に協力を求めて生徒がまわります。すると、拒否する教師がでるわけです。
いわゆる右的な教師、高圧的に生徒に対し、明らかに身分を意識しており、「お前ら」的な対応をする教師ですね。
さらに、日の丸君が代反対、というタイプも、この企画を毛嫌いします。管理職の手先だの、人権を盾に拒むのです。
右も左も拒みます。奇妙な共闘がここに出現するのです。体制を批判し、権力の暴走を糾弾する人たちが、生徒が自分たちの履修のためにどのような階層の生徒がどのような評価をしているか、というマーケティングのまねごとのような企画を実施しようとすると協力を拒否するのです。それも、公的な発言としてではなくインフォーマルな、まるで不良生徒の反抗のように影での拒否をするのです。
「理由を述べてください。反対の理由を雑誌に掲載させてください」
こうした要求をすべて拒否するのです。なかには、本当に大人げない反応をする方がいます。
「オレはそういうの、キライだから」
「行って行って、オレやらないから」
右も左も同じですね。