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古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

長崎で活躍した人~シーボルト関連補足~楠本イネ

2010-02-22 16:15:15 | 長崎の歴史
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シーボルトの娘「楠本イネ」~2


イネは、シーボルト門下の

宇和島藩の二宮敬作から医学の基礎を学び、

石井宗謙から産科を学び、

村田蔵六(後の大村益次郎)からはオランダ語を学んだ。

安政6年からは

ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトから

産科・病理学を学び、

文久2年からはポンペの後任

アントニウス・ボードウィンに学んだ。

後年、京都にて大村が襲撃された後には

ボードウィンの治療のもと、

大村を看護し、その最期を看取っている。

1858年(安政5年)の日蘭修好通商条約によって

追放処分が取り消され、

1859年に再来日した父シーボルトと長崎で再会し、

西洋医学(蘭学)を学ぶ。

父シーボルトは、長崎・鳴滝に住居を構え昔の門人や

娘・イネと交流し日本研究を続け、

1861年幕府に招かれ外交顧問に就き

江戸でヨーロッパの学問なども講義している。

この間、シーボルトは家政婦として

母お滝・イネが雇ったシオとの間に子をもうけ、

イネを深く失望させる。



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