幕末の長崎で活躍した人~「ケンペル」~8 2013-01-26 05:15:41 | ホームページ更新 ケンペルは著書の中で、 日本には、聖職的皇帝(=天皇)と 世俗的皇帝(=将軍)の「二人の支配者」がいると紹介した。 その『日本誌』の中に付録として収録された 日本の対外関係に関する論文は、 徳川綱吉治政時の日本の対外政策を肯定したもので、 『日本誌』出版後、 ヨーロッパのみならず、日本にも影響を与えることとなった。 また、『日本誌』のオランダ語第二版(1733)を底本として、 志筑忠雄は享和元年(1801)にこの付録論文を訳出し、 題名があまりに長いことから文中に適当な言葉を探し、 「鎖国論」と名付けた。 日本語における「鎖国」という言葉は、ここに誕生した。 古美術崎陽 長崎の歴史