補足2
~芝蘭堂~2
その後一時帰郷して家族を呼び寄せ、
天明8年(1788)三十間堀に移転。
この年、玄沢は蘭学の入門書『蘭学階梯』を著したことで、
斯界で大いに名を高めており、
この前後に私邸を「芝蘭堂」と称して開塾したと思われる。
塾名の「芝蘭」とは本来、霊芝と蘭のことを指し、
香りの良い草の総称として用いられる慣用句。
さらに転じて『孔子家語』の
「與善人居、如入芝蘭之室
(善人とともにいると
香草の香り漂う部屋にいるように感化される)」
「芝蘭生於深林、不以無人而不芳
(芝蘭は人のいない深林に生えていても
常によい香りを放っている)」
あるいは『晋書』の「芝蘭玉樹生庭階
(香りの良い草や美しい木は階段の近く
=優れた先生の側に生える)」
など古典漢籍に見られるように、
優れた人物や君子にたとえられる語である。
一説には元々杉田玄白の塾名であったものを譲り受けたともいう。
入塾した弟子は100名以上いたと思われる。
また芝蘭堂は玄沢の私邸でもあったため移転も多く、
たびたび転居している。
古美術 崎陽
長崎の歴史
~芝蘭堂~2
その後一時帰郷して家族を呼び寄せ、
天明8年(1788)三十間堀に移転。
この年、玄沢は蘭学の入門書『蘭学階梯』を著したことで、
斯界で大いに名を高めており、
この前後に私邸を「芝蘭堂」と称して開塾したと思われる。
塾名の「芝蘭」とは本来、霊芝と蘭のことを指し、
香りの良い草の総称として用いられる慣用句。
さらに転じて『孔子家語』の
「與善人居、如入芝蘭之室
(善人とともにいると
香草の香り漂う部屋にいるように感化される)」
「芝蘭生於深林、不以無人而不芳
(芝蘭は人のいない深林に生えていても
常によい香りを放っている)」
あるいは『晋書』の「芝蘭玉樹生庭階
(香りの良い草や美しい木は階段の近く
=優れた先生の側に生える)」
など古典漢籍に見られるように、
優れた人物や君子にたとえられる語である。
一説には元々杉田玄白の塾名であったものを譲り受けたともいう。
入塾した弟子は100名以上いたと思われる。
また芝蘭堂は玄沢の私邸でもあったため移転も多く、
たびたび転居している。
古美術 崎陽
長崎の歴史