天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

背高泡立草を摘む

2014-09-24 15:17:38 | 自然

からからになるまで天日で干す

きのうから背高泡立草を摘み始めた。
わんさか咲いて真っ黄色になる前の花穂(つぼみ)の状態のものが入浴剤にいいとか。
アトピー性皮膚炎に卓効があり去年息子の家庭で使って気に入られた。
妻が自然療法研究家の東城百合子さんにはまっていて、去年、背高泡立草を摘むよう頼まれたが、時すでに9月下旬であった。
彼らはムンムンするほど咲き誇っていた。下に隠れている若い花を摘んだがそれでも効果があった。


こうなってはダメ

今年は旬を逃すまいと9月になってしばしば多摩川を見ていた。
そしてきのうあたりから背高泡立草の先端の黄色が気になりだした。
きのう黄緑の花穂を6束摘み取った。まだ若干青みが強いが開花してからよりはいいだろう。
明日雨の予報にて今日も多摩川へ自転車で繰り出した。
是政橋を越えて右岸(多摩市)を見たが泡立草はさっぱりなく、ずっと走って稲城大橋を渡って引き返しつつ、左岸(府中市)で10束ほど摘んだ。

旬は今月下旬から来月上旬くらいか。自然は待ってくれないので忙しい。こんなものは誰も摘まないので桑の実の収穫と違い気楽。


海から30kmほど上流 是政橋から俯瞰した多摩川


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豪放逸ノ城としこしこ佐田の富士

2014-09-23 19:17:40 | 格闘技
大相撲秋場所がたけなわ。
優勝はまた白鵬かという展開だが今場所最大の話題は新入幕、逸ノ城の凄さだろう。
今日も勝って9勝1敗。それも三役経験者をいとも簡単に右からの強烈な上手投げでぶん投げている。
明日は異例の新入幕での大関挑戦となった。


照ノ富士、遠藤といったホープたちが上位挑戦で苦戦しているうちに彼らをまとめて葬ってしまいそうな気さえする。
明日、稀勢の里には勝って欲しいと思うくらい破格の強さを見せつけている。
大関候補というより横綱候補であり、今日の嘉風戦は横綱相撲であった。
大相撲の歴史を塗り替えるのではないかというほどのタレントを持っている。

いっぽう佐田の富士に注目する人はあまりいないだろう。
現在前頭12枚目。
花がない。ひとことで彼の相撲をいえば「ちょこまか押してずりずり下がる」という感じ。


今日はなんとか勝って3勝7敗としたが勝ち越しは危ない。
小さい相撲を取るなあ…という印象であるが体のサイズは、身長190㎝、体重201㎏。
馬鹿でかい。
体のサイズなら逸ノ城が身長192㎝、体重199㎏だからまったく互角。
二人とも怪物である。
けれど、なぜ、こうも強さの、あるいは輝きの差が出てしまうのだろう。
神様は不公平である。

たしかに佐田の富士はくすんでいるように見えるが幕内にやって来た力士はみんなスターである。
佐田の富士はこせこせした相撲を取るがなにか切実さがにじみ出ていて見捨てることができない。
彼にとって「勝ち越し」が最大の目標だろう。

特に幕内での勝ち越しは非常にむつかしい。
幕内経験82場所のベテラン安美錦の幕内戦歴は591勝627敗12休で勝率0.444。
さらにベテランの旭天鵬は幕内を93場所つとめ657勝723敗15休で勝率0.471。
二人とも勝率5割に達していない。
今日勝ち越しを決めた隠岐の海は勝ち越しが1年ぶりだから5場所連続負け越していた。
それでも上にいたから落ちて落ちて前頭15枚目にひっかかっている。
関脇以下の力士のほとんどが勝率は5割を割っている。

ということは、具体的にみると
7-8、7-8、8-7=22勝23敗、勝率0.489
7-8、6-9、8-7=21勝24敗、勝率0.467
という成績で幕内に留まることができることを意味する。
負け越し、負け越し、勝ち越しのパターンで幕内で相撲を取り続けることができる。
勝ち越し、負け越し、勝ち越し、負け越しというふうにきれいにいけばいうことない立派な成績だろう。
それほど勝ち越しはむつかしい。

ちなみに佐田の富士の幕内戦歴は90勝120敗(14場所)で勝率0.429。
ここまで勝率が落ちると十両と幕内を行ったり来たりせざるを得ない。
佐田の富士の相撲を見ていると「落穂拾い」を感じる。しこしこ地に落ちた稲穂を拾っている夕暮れのお百姓さんである。
いっぽう逸ノ城は大型コンバインで委細かまわず刈り取っていく大規模経営。
零細百姓の末裔としては逸ノ城の凄みに感嘆するのだが、佐田の富士の切なさもまた身にしみるのである。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登れなかったマークスの山

2014-09-22 12:36:23 | 
直木賞受賞など数々の文学の賞を受賞している高村薫。
彼女の物語性に注目して以前『照柿』をひらいて5ページも読めなかった。文章がひどくごちゃごちゃしていて疲れた。

最近またこの作家が気になりだして直木賞受賞作品『マークスの山』に挑んだ。
舞台は南アルプス。日本第二の高峰・北岳にいたる池山吊り尾根での2件の殺人事件から物語がスタート。
北岳・間ノ岳・農鳥岳は何度か行っている。
だが池山吊り尾根は一度登ろうと思ってそれきりになっていることもあってまず舞台に興味を持った。


この尾根の下の飯場で住みついている中年男が逃げられた妻の幻影を見て下山する登山者を撲殺してしまう。
起訴されて刑期を終えるのだがもう少し上でまた白骨死体が見つかってそれもこの男の犯行だろうということになる。
一方、最初の事件が起きたころ一家3人車で来て林道で心中する事件が起きていた。


一人息子は助かるのだが精神に変調をきたしてある精神病院に入院。
そこで手厚い看護婦に出会う。看護婦は3年周期で変調をきたす少年が治ると信じて介護。
年頃になった少年に手淫を施すなど職務を越えて情を通じるようになる。
そして退院した少年、いやもう青年となった彼と同棲している。
この青年と撲殺事件の中年男はいずれ結びついてくると思われるが、総ページ440のうち158ページまで来て読めなくなった。

捜査員たちの会話がやたら多く疲れはじめた。
推理小説に事柄や事例が多かったり会話が多いのはわかるが、この小説の雑然さは半端ではない。
いつか見たコルカタの貧民窟のゴミの散らかっているさまを思ってしまった。
どの文章も軽いのでどんどん読めるのだがそうしていて何のために読んでいるのかわからなくなった。
洪水後のゴミをつぶさに調べるようにいちいち書いていって何になるんだろう…。
かすを読んでいるように思えてきてついにダウンした。

直木賞選考にあたった田辺聖子委員は「何よりこの作品の強い魅力は、刑事群像の躍動感、存在感であろう。」と評価する。
井上ひさし委員も「この作品で作者は、真知子という善悪をはるかに超えた人生の泥と涙にまみれて人を愛する女を創造し、読者との関係をしっかりと付けた。彼女の愛は、推理小説だの警察小説だのといった狭い枠を越えて、はるか普遍の愛にまで達している。」とエールを送る。

両者が言わんとすることはわかるから158ページまで読めたのだが、警察関係の描写がうるさくてしかたなかった。
これについて五木寛之委員は「私が〈マークスの山〉を受賞作として一本で推さなかったのは、犯罪の動機に納得がいかなかったのと、警察内部の人間関係にあまり興味がなかったせいである」としている。五木さんの見解に納得する。

ぼくが俳句をしているせいかもしれない。
散文にしてもあまり本質と関係なさそうな描写が続くと嫌になる。警察小説が嫌いというのではない。
たとえば横山秀夫の『半落ち』を警察関係の描写や捜査員たちの会話が過剰だとは思わない。これは傑作である。
小説はやたら長く書けばいいといものではなく文章の密度が大事だ。

ぼくにとって『マークスの山』は登れない山であった。
新潮社の文芸担当ではないので義理で本を読み通さない。高村薫はぼくにとって縁のない作家ということだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

府中プロレス祭り

2014-09-20 19:11:40 | スポーツ

颯爽と入場するゼロワンの大谷晋二郎

「何度でも立ち上がれ! プロレス祭り」と称したイベントが府中市生涯学習センターにおいて15:30から17:30にかけて行われた。
企画したのは、公益社団法人むさ府中青年会議所。
プロレス団体ZERO1(ゼロワン)の大谷晋二郎社長ほか6名のレスラー、1名の実況アナウンサーが登場した。
「子どもとプロレス教室」では少年少女をリングに上げてプロレス特有の鍛錬であるスクワットと腕立て伏せを教えた。
次いで実際のプロレスをシングル1試合、ダッグを1試合やって見せた。

大谷さんはこの種のチャリティプロレスをそうとうこなしているらしく少年少女への語りが慣れていて口調が熱い。
子どもたちには親や大人に感謝する心を説き、大人たちにはそれぞれのステージで頑張る姿を見せようと熱いエールを送った。
「何度でも立ち上がれ」が少年少女に送りたいもう一つのメッセージであり、エキシビションマッチも臭いほどそれに沿っていた。
やられてふらふらになった大谷選手がリングに寄ってきて少年少女の手からエネルギーをもらって相手に立ち向かっていくシーンなどアニメであった。

場外乱闘もふんだんに見せてくれて<やらせ>も楽しい。
試合後すぐさまマイクを握って少年少女に夢を語らせるときさすがにぜーぜーはーはー息が上がっていてこの稼業は<やらせ>であってもきつい。
一人の少女が夢を聞かれて「アイスクリーム」と答えたとき「予想もしてなかったな」とほほ笑むなど大谷さんは世慣れている。
ナイスミドルである。
 

     
大谷社長が売り出そうとしている甘いマスクの藤田峰雄  プロレス流腕立て伏せに挑む府中市長、高野律雄氏



大谷選手の股の下から見たプロレス風景



場外でいたぶられる大谷選手

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂東眞砂子の遺書

2014-09-19 00:32:08 | 

『眠る魚』(2014年5月25日/集英社)は坂東眞砂子の遺書のような趣の未完の絶筆小説である。
彼女は今年の1月27日、舌癌のため死去した。享年55。
先月『瓜子姫の艶文』を図書館で見つけたとき死後に本が出ていたことに感動し一気に読んだがまだ1冊あるとは……死んでも凄まじい作家魂を感じる。
本書は集英社のウェブマガジンに掲載されていたようだ。

物語の舞台は東日本大震災、原発事故後の架空の町。
長く南太平洋のバヌアツに暮らす伊都部彩実が父の訃報を受けたのと東日本大震災に遭った祖国を見たい思いで帰国する場面から始まる。
彩実は日本で診断を受けて舌癌とわかり入院するなど作者を色濃く反映させている。
彩実は安全な食を求めて生活し放射能汚染に敏感であるが、
当地の兄弟や親戚が原発事故から逃げるのでも闘うのでもなく流されるように生きていることに嫌悪感と諦念の気持ちを抱く。

坂東は恋人アンディをしてこう言わしめる。
「日本を旅した時、アンディなどはその独特の雰囲気に驚異的なエキゾシズムを感じていた。だから日本人には個人性はない、集団でひとつの概念を形成しているだけだ、個人としての親密なつきあいなどできないと罵ることもあれば、この個人性の溶解した生温い温泉に浸かっているような感覚は素晴らしいと褒めたたえたりもしていた。要するに、わけがわからない、ということだ。」
「その個人性が押し殺される感覚が厭で日本を逃げ出したのだった」

日本にいては実現できない個人の自由と尊厳を求め、性と死の極限を見据え幻想を加味して作品化してきたのが坂東である。
ファンタジーを味わいとしながら坂東は怜悧に思考をめぐらす。
私たちが「思考」と呼ぶものは、たいてい感情的想念とでもいうものだ。汚染によって今なお故郷に戻ることのできない福島の人々に対して同情する。可哀想だから、助けてあげなくちゃ、という、感情を筋とした流れを思考と呼んでいるに過ぎない。
感覚や感情を第一に置く日本人にとって、目で見て、肌で感じる実感が、思考を駆逐し、強烈に主張する。
ここは静かで平和な地だ、何も起こらなかったのだ、と。


彩実(坂東)は日本人の心性に対する嫌悪感を一面にふりまいていながら、父の住んだ家が愛人に譲られる遺言書を見てショックを受ける。
「これまで私は、何が起きても、土地さえあれば生きていけると信じてきた。………故郷の土地は、私の最後の砦だったのだ。しかし、福島の原発事故は、その最後の砦を見事に吹っ飛ばした」
「生まれ育った家や土地を失うとは、幼年時代から思春期を育んでくれた子宮に還る希望を失うこと」。


祖国を嫌悪する気持ちと土地や家への無条件の愛着という相反するものが凄まじく闘う。坂東の言葉は嘘と無駄がなく鮮やかである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする