天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

湘子は7月下旬をどう詠んだか

2023-07-27 06:11:10 | 俳句

国分寺プレーステーションの万力


藤田湘子が60歳のとき(1986年)上梓した句集『去來の花』。「一日十句」を継続していた時期にして発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の7月下旬の作品を楽しみたい。

7月21日
くちびるのはなれし泉なほひゞく
水を飲んだのだ、それも膝をついて犬のような格好で。立ちあがっても泉は音を立てている。さて水を飲んだのは誰か。作者か他者か。「くちびるのはなれし」は女性のような印象だが犬のように飲むのか。謎の多い不可思議な句。
還らざる一書に未練夏つばめ
本を誰かに貸したのか。焼失もあり得る。明るい動きのある季語が未練をきちんと支えている。

7月22日
炎天や揚羽くるへる納屋の中
納屋の中に入ってしまった揚羽蝶が出られなくてさまよっているのであろう。納屋の中の暗さと外の明るさが対照的で揚羽蝶が見える。
納涼船ありたけの燈の揺れて點く
納涼船は遊覧船と違うのが「ありたけの燈の揺れて點く」でわかる。屋根のない幅がせいぜい2m半ほどの船か。乗っている気分にさせてくれる。

7月23日
嵩多く食べて土用の蜆かな
「嵩多く」に貝殻を感じる。そうしないと身をたくさん食べられないのである。

7月24日
夏休みとて毛蟲らも道に降る
「夏休みとて」が微妙な味わい。「夏休みということで」という感じか。道のわきにそうとう大きい木が林立している。毛虫は降るというのは野趣があっておもしろい。作者は俳人としていいところに遭遇した。
夫婦のもの突つぱり合つて衣紋竹
何を掛けてあるのだろう。中七がおもしろい。夫婦のものだからさまになった。

7月25日
すててこに約束の肚きめにけり
すててこは素の自分に近い。違和感のあった事柄であることがわかる。
かなかなや老優老妓相睦む
老妓は女性であるが老優は男性なのか女性なのか。ここは男性と読んで詩が出来する。女性とすると事が複雑化し「かなかな」が効かなくなるだろう。年老いたいい男のいい女がいるのである。

7月26日
炎帝に仕へて地震の息永し
暑い盛りに地震が来た。それも長く続く。天と地を描いて勇壮である。
白服の人唾捨てて行きにけり
見たくないものを見てしまった、という句である。よもや白服の人が無作法をするとは思えなかった。ゆえに俳句は立っている。

7月27日
傾きて伊豆の海あり袋掛
袋掛していて立っている梯子などが揺れたのか。それで海が傾いだのであろう。
甚平やソ聯ぎらひのロシア好き
ソ聯は共産党政権でロシアはロマノフ王朝か。1917年の前と後を素材にしている。はたしてロシアが「古きよき時代」であったか。句としてこの対比はふるっている。

7月28日
下枝(しずえ)より上枝(ほつえ)に揺れて朴涼し
上五中七に小生はついていけないが、朴をことのほか愛し庭に植えて日々愛でていた作者が言うのだからそうなのだろう。

7月29日
踊見るための夕餉を町に出て
町の賑わいが感じられる。この角度で俳句になるのかと感心した。
踊見て町の馴染みのまだ少な
この町にずっと住んでいる人の句である。町への愛着を感じる。

7月30日
初蟬や城をめぐれるあをみどろ
作者の生まれた小田原の城か。「城をめぐれるあをみどろ」は簡潔に濠を描いて巧み。
三伏の歯音をしるく煎餅に
「三伏」はもっとも暑いころ。汗でべたつくようなときゆえ煎餅を噛む音が効く。

7月31日
人ごゑの飛びつく葵咲きにけり
「葵咲いたわよ」と女二人が話しているのか。「人ごゑの飛びつく」は小生には思いつかない表現。
灯取蟲修羅も快楽もまだ盡くさず
この場合「修羅」は争いで「快楽」は満足すること。つまり灯蛾が複数いて翅をばたばたさせ始めたのであろう。そのばたばたが修羅であり十分に光になじんでいないと作者は見た。いかにも湘子らしいこってりした美意識。作者も身近に感じる句である。

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