天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

女が書くスカートの中の事情

2024-07-04 00:32:44 | 俳句
 上野千鶴子『スカートの下の劇場』



鷹7月号、月光集同人の次の句に注目した。

スカートの中の立膝花見の座 志田千惠

女しか書けない句であり、異色である。
立膝ができるということは布の量のあるスカート。フレアスカート、プリーツスカートのたぐいか。尻の線がくっきり出て男の目を楽しませるようなものではない。さて立膝をしたときの女の心理を想像したのだがよくわからない。男は脚を布にいつも巻かれており(ズボン)、そうでないスカートの脚の空気感がよくわからないのである。股間がスースーするのだろうが、男にはぶらぶらしたものがあり女にはない。その差は大きく、女である作者の心理がいまいちわからない。
わからないがこの句を何回か読んで女になったような錯覚に陥った。それは秀句の証ではないか。
小生はかつて書いた自分の川柳「手をいれるためのスカートなぜ脱ぐの」を思い出した。このテリトリーには発火する要素があるのだ。

今月の「鷹」は女がスカートの中のことを書いた句がほかにも目に入った。
次の句は「推薦30句」(特選)である。

下着にもよそゆきのあり紫木蓮 小澤光世

【小川軽舟評】 よそゆきの下着は何も色恋の場に限ったものではない。例えば医者に行くときでも下着が気になるだろう。しかし、取り合わせた紫木蓮は妙に艶っぽい。うっかり紫色の下着など連想してしまう。作者は去年「紫木蓮猥りがはしきまでひらき」と詠んでいるではないか。どうやらそんな連想を誘うことも含めて、これは作者のユーモラスな思わせぶりなのだ。紫木蓮と言えば、やはり思い出すのは、「戒名は真砂女でよろし紫木蓮」の鈴木真砂女。私の覚えている九十代の真砂女さんも箪笥の抽斗の奥によそゆきの下着をしのばせていただろうか。……連想はこのくらいに。

主宰がまず「色恋」に言及したように俗な内容である。「作者のユーモラスな思わせぶり」などといって主宰も楽しんでいる。鷹主宰の選句の幅の広さ、聖俗の幅の広さに感嘆せざるを得ない。
下半身は何人にとっても興味の尽きないテリトリーであり、ついでに思い出したのがこの句。

花茣蓙に暗き内腿見せ合へり 伊沢 惠

作者はもう鬼籍に入っているが、小生を「鷹」に引っ張り込んだゴッドマザー。月光集同人であった。
この句は同性愛っぽいテーストを醸しているが、発端は、女同士花見を「していて作者が何かの拍子で仰向けに倒れたのだそうだ。その瞬間、「暗き内腿見せ合へり」が閃いたとか。エロスとは淫靡なものであると再確認した内容である。

スカートの中というと、上野千鶴子の『スカートの下の劇場』を思い出す。
小生は本書を読んでいないがそこに文化人類学的な論点があると見抜いた作者の慧眼は見事である。
スカートの中には永遠にテーマが存在するようで、漫画界に
ハナマルオの『スカートの中はケダモノでした。』がある。衝撃的で納得できる題名である。
男が苦手な女子大生・小南静歌は、女友達に誘われ、街コンに参加したものの、雰囲気に馴染めずにいた。そんな時に、声をかけてくれたのは、年上の女子大生・霧島涼だった。2人はこっそり抜け出して意気投合するが、実は涼は女装男子だった、という風変りの恋愛もの。

今回取り上げた3句はすべて女性作者。
スカートや下着や太腿を読んでさまになるのはやはり女である。男がやってかろうじてものになったのが、
台風が来る猿股を替へにけり 加藤静夫
であるが女が読んだものとはまるで違う諧謔の味付けである。

男はスカートの中の事情をエロス系の作品にできない。詠んでもほぼ破綻するだろう。
男性トイレを女性清掃員は掃除できるが、女性トイレを男性清掃員は掃除できない。ここに顕著に現われる男性女性の性差の意識は、地球と月の距離といっていいだろう。



ハナマルオの『スカートの中はケダモノでした。』


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