天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹7月号小川軽舟を読む

2023-06-27 13:25:00 | 俳句



小川軽舟鷹主宰が鷹7月号に「擬音語」 と題して発表した12句について、山野月読と意見交換する。山野が〇、天地が●。

囀や踏みつけあひて押しのぼる 
●この句の「踏みつけあひて押しのぼる」は何なんでしょう。 
〇巣の中で所狭しと蠢いている数羽の雛鳥をイメージしますね。巣は大抵は高いところにあって、その中までは見えづらいのですが、「囀」によって気付かされた巣の存在とそこに垣間見えた状況から、中七下五を想像したのかな。
●犇めいている雛鳥とはいい読みです。ぼくは成鳥かと思ってしまいそんな乱暴な鳥は何なんだろうと戸惑っていました。雛鳥だとすっと胸に入ってきます。

吊革に誰の手もなし春の暮 
●いかにも春の暮の情趣です。同じような情趣の「春灯の衣桁に何もなかりけり 清崎敏郎」を思い出します。無い、欠損という感覚と春とは日本人に共通の心情なんでしょうか。 
○個人的には欠損とか不在とかは秋の範疇ではと感じていて、その視点で言えば、本句の場合には「誰の手も」ない「吊革」の存在、また同様に「何も」ない「衣桁」の存在、このように、使われることなくそこにある余剰感こそが春らしいのでは。
●使われることなくそこにある余剰感とはみごとな評語です。恐れ入りました。

窓点り家息づくや夕桜 
○この「家」は戸建ての感じですね。その家の誰かが帰宅し、夕餉の支度などが始まりそうな、そうした営みを感じさせます。 
●○○して××というふうに展開させるのは作者の得意な手法です。「降りだして家の灯のつく芭蕉かな」「傘させば雨粒寄りぬ神の留守」(手帖)。○○して××というふうな滞りのない流れを作って展開させるのは主宰の自家薬籠中のものです。それで似たような句を読んだなあという気がしてなりません。むろん違う内容ですが発想の基盤が似ていてそう新鮮味は感じませんでした。まあ、それが作者らしいということになりますが。

ラーメン屋丼重ね春惜しむ 
●こういう「春惜しむ」は新鮮です。「行春を近江の人とおしみける 芭蕉」がこの季語の句として聳え立っていますよ。その格調の高さに対してラーメン屋ですからね……。 
○確かに芭蕉のその句を出されると、この句の「春惜しむ」感の斬新さが際立ちますね。「ラーメン屋」(その主または店員)が「丼重ね」たわけですが、洗った「丼」を「重ね」置くところでしょうか、それとも、グループ客の帰った後にその「丼」を「重ね」運ぶところでしょうか。私は後者として読みました。 
●ぼくは前者だと思います。
○「重ね」られるということは、汁まで飲み干されているのではないか。そして、先ほど「吊革」の句で触れた視点で言えば、空になった「丼」の余剰感、取り残された「丼」に「春惜しむ」が情感が生じたのではないか。 
●重ねるのだから汁はないと思いますが、食べ終わった直後では忙し過ぎ、この季語からほど遠い。本日終了といった落ち着いた時間での感慨ではないでしょうか。
○なるほど、忙し過ぎるか。とは言え、このシーンを見ている作者はまだ店内にいるので、店仕舞いの時間ではなさそう。

擬音語満ちボクシングジム夏近し 
●今月発表した12句を統べる題とした「擬音語」ですが、どう読みました。 
〇面白い把握だと思いますし、身近なところで言えば劇画・漫画の表現がまさにこうですよね。劇画に「ボクシングジム」のシーンがあったとすれば、そこでは会話(セリフ)ではなく、サンドバックを打つ擬音語や繰り返されるシャドーボクシングの擬音語がやや大きめフォント、様々な書体で描かれます。 
●さらにコーチが選手に指導しているのでないかと思いました。「ジャブはシュッシュッと早く出せよ」とか「ボディはドスンとね、ドスンとね」といった感じで。さすがに題名としただけあってこの句は斬新です。

仔猫鳴く宿屋の人手不足かな
●上五の季語、効いていますね。笑ってしまいました。 
○「仔猫」の世話もしなきゃいけないし、大変です。
●「猫の手も借りたい」と読み手が思うだろうな、と作者は計算しているでしょうね。

掻き出せる白子ゆたかに菜種河豚 
●菜種の花が咲く頃にとれる河豚は産卵期にはいるため毒が多いといわれます。 
○よく知りませんが、旨そうなものを食べてますねえ。 
●食べたかどうかは知りませんよ、怖いですから。「白子ゆたかに」 を効かせた一物仕立てが眼目です。 
○調理の段階では「掻き出」しはしないでしょうから、まさに作者が食べようとしているシーンだと思いました。

藁縄の切れ端散れり苗木市 
●細かいところを見ています。たとえば土と一緒に木の根を包んだものを縄で縛って切る。そのとき鎌などでざっと切ると「切れ端散れり」となるでしょう。 
○確かに誰もが思い当たる、思い描くことのできる景ですが、わたるさんが説明に用いた「鎌」などを持ち出すことなく、こうやって表現できるところが凄いなと。 
●普通、鋏で切るんですが中七で鎌を思いました。農家でよく縄を鎌で切っていましたから。そう感じさせる臨場感がすばらしいです。生きのいい句です。

山吹や道をたどれば古窯あり 
●何の芸もないわかりやすい句です。 
○作者と会うこともあるでしょうに、「何の芸もない」などとよく言えますね(笑)。こうした句の解釈としては、作者はこの「古窯」まで到達しての句と読むべきですか。
●何の芸もない、は褒めているんです(笑)。はい、古窯へ到達しての句です。俳句は物と季語の織り成す詩です。詩情を醸す物がありそれにふさわしい季語が加わればそれだけで一服の絵が出来します。そんなに険しくない道に山吹が咲いていてしばらくすると窯があった。相当使い込まれている窯であるなあ……それでいいと思います。

嗅ぎあひて犬に世間や杉菜生ふ 
●散歩に連れられて来た犬と犬が道端で会ったのでしょう。 
○うまいこと言うなあ。 
●「犬に世間」うまいですよ。言われてみて犬同士の世界を思います。「嗅ぎあひて猫に世間」じゃ様になりませんが、犬だと成立します。このへんの見極めが秀でています。

羊の毛刈る地動説知らぬ民 
●どこの国でしょうか。羊を飼うところはユーラシア大陸に広がっています。 
○モンゴルとかですね。「地動説」を知らないとしたら「天動説」の世界でしょうが、その場合には、きっと「天動説」「地動説」などという言葉も知らず、ただただ天の動きを暮らしの中で理解している「民」でしょうね。そう考えると、広い大地に満天の星が望める環境が思われます。
●「羊の毛刈る」から「地動説知らぬ民」への転換はまるでフォークボールの落差です。世界に風が吹き込む感じです。羊が草を食うこの大地が動くわけないじゃないか、というのは心情的にわかります。羊を慈しむ人たちが見えるのです。

月日貝遠流の王に献ずべし
○かっこいい句だなあ。「遠流の王」って誰でしょうか。歴史に疎いので、「王」ではないけれど後醍醐天皇とかナポレオンとか。 
●ファンタジーです。遠流ではないのですが山田長政を思いました。江戸時代前期にシャムの日本人町を中心に東南アジアで活躍した。スペイン艦隊の二度に渡るアユタヤ侵攻をいずれも退けた功績でシャムの王女と結婚した英雄を。
○「月日貝」 という季語も見事に嵌まってます。

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