天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹中央例会2013年10月

2013-10-26 18:37:11 | 俳句・文芸

ノートパソコンを使う主宰、右は編集長。日光集・月光集作家席。


いつものように大原麗華ちゃんがぼくの席を取っておいてくれる。主宰と編集長に対する最前列のところ。
彼女は相変わらず猫とカタカナが好き。句稿に誰かの猫の句があると、「これどうですか?」とすぐ聞く。猫の句なんなておおかたダメだよ。
湘子の〈月下の猫ひらりと明日は寒からむ〉くらい鮮やでないと。

いい顔をしないとみるや、「スマホはどうですか?」と話題を転換。
スマホねえ、ケータイなら俳壇の諸作で〈電話もてケータイ探す日短 星美愉〉を誉めたんだけど…めった成功しないよ。「携帯電話」で詠むことを考えたら…。
すると、パティシエは? モンブランは?といまはやりのカタカナ語がどんどん出てくる。
いやはや。パティシエっていま女の子がなりたい職業ランキングに入ってるの?
君の言わんとするモンブランって洋菓子のこと? 
ぼくはまずスイスの高峰を思う、次に万年筆を思い浮かべる、それが困るんだよ。その言葉で本質へ切り込めるか、だね。

芭蕉が「不易流行」と言ったように「流行」は大事だよ、けれど、素材だけ目新しいものを取り入れれば俳句が新しくなるわけじゃない。あさはかになることのほうが多い。
わかってくれるかなあ。俳句は時代を先取りできない、遅れてついていく媒体、むしろ今という時間に迎合しない季語の時間がきちんとあるから健全なんだ。

ぼくには〈ボクサーの双耳異なる霙かな〉〈ハンドルにうつぶす春の愁かな〉があるけれど、これはほかに言い換え困難な例。
事の本質にどれほど関与しているのか鋭いアンテナを張ってカタカナ語は取捨選択しなきゃ。わかってくれるかなあ…。

麗華ちゃん、ぼくの浮かぬ顔にはとんと執着せず、次は「オリンピック」で来る。
うーんオリンピックか、かぶせる網が大きすぎてニュースにはなるが俳句にならない。
「じゃあ、ハードルなら」と来た。うん、これはいい。
トラック競技だとわかりフィールドの白線まですかっと見える、〈ハードルに足ひつかけし秋の風〉みたいな切り口で何か生まれるかも。
俳句って何が具体的な状況を活写して……それはオリンピックらしいな、と感じてくれればいいのさ。
バレーボールやホッケーじゃまだ網が大きすぎ。わかってくれるかなあ。

でも麗華ちゃん、俳句よくなっている。
今月の彼女の句は
   鳥渡る絵本のような空の青
   手に触れてすぐ飛びはねるねこじやらし

ぼくはねこじやらしの動物的な描き方を評価したが、主宰は鳥渡るを採った。
麗華ちゃんにカタカナ語の表面性を説いているとぼくの勉強になる。
この娘の根性はすばらしい。毎月ここへ来て主宰に対し、横のぼくにざっくばらんに聞きたいことを聞く。
この積み重ねはきっと開花すると信じている。

麗華ちゃん、また来月の席取り、よろしくね。

コメント
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