天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

西村賢太氏はほんとうに女を打つのか

2013-10-16 05:43:35 | 俳句・文芸
片町文化センターの新刊書コーナーに西村賢太の最新刊『歪んだ忌日』があった。
芥川賞を受賞して日の当たるところへ躍り出た私小説作家はふところ具合がよくなってはたして書く情熱を持ち続けられるのだろうか?
そんな下世話な興味があってこの本を借りた。

「形影相弔」「青痣」「膣の復讐」「感傷凌轢」「跼蹐の門」「歪んだ忌日」の6篇を収録している。
「青痣」で主人公貫太は、なんと、秋恵という女と同棲している!! 
快挙である!!
「その同居は、はな貫太の方で強く望んだものだった」
相変わらず正直である。
秋恵に乞われて古道具屋でベンチを買いベランダに搬入する。こんな幸せになっていいのか大丈夫かと思っていると、
貫太はベランダに干されている秋恵のパンティの黄ばんだしみに着目。
それを冷やかしはじめて止まらない。
秋恵はどんどん不機嫌になっていき口論。

声を上げて笑ってしまう。

短篇を集めた東野圭吾さんの『黒笑小説』はニヤニヤ笑えるが、西村さんはゲラゲラ笑ってしまう。どちらかというとこちらが黒い笑いだ。

結局、貫太は秋恵を殴り、詫びさせようとするが、秋恵は出て行ってしまう。
自分はカッとする男だが本質は小心、気弱で、病的に心配性であると分析し、秋恵を追慕する貫太。
西村さんはこのような反省をしょっちゅう書いている。
つまり自分というものを冷静に的確につかんでいる。
自分のななめ中空に別の自分を置いて、自分を冷静に見つめて素材にしている。

そういう人が、女が欲しくてしかたない人が、女がいないので自慰を日課とする人が、自分と寝てくれる女を安易に殴って関係を悪くするようなことを繰り返すのだろうか?
小説をおもしろくするために、心ならずも、殴って見せているのではないのか?
そんな疑惑に取りつかれてしまった。
しかし見えのために何かする気性とも思えぬ。
けれど、無味乾燥な反省文ではない優れた文章をしょっちゅう書く人が女を繰り返し繰り返し殴るものだろうか? わからない。闇である。
コメント
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