天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

閨わかち妻と幾年木の葉髪

2013-10-10 05:04:11 | 俳句・文芸


ぼくのあとに入浴した妻が「また風呂の中で頭を洗ったでしょ」となじる。
いつか同じことを言われたので以来湯船で頭に湯をかけるようなことはしていない。
そう言っても「どうしてこんなに毛が抜けるの?」と、引き下がらない。
ぼくだってわからない。
妻は湯の中の毛にはえらく敏感。
4、5本あっただけで、「風呂中に毛があって入れないから流した」という。
ぼくは唖然とするが異は唱えない。ここでの対処を誤ると暗転する。

むかしぼくの実家の土間に五右衛門風呂があった。その湯はいったん水を入れると家族7人が二晩使った。
しまい湯は匂うこともあった。
妻の父はものすごい倹約家で風呂へ水を30センチほどしか入れなかった。水に対する倹約は両家とも似たようなものだが、どこから違ったのか。

実家の不衛生な(当時はそうひどいと感じなかった)環境を経てきたことで、ぼくは世の中のばい菌、汚れに対応する力がほかの人よりついていると思っている。
人が人とおつきあいすることはまず不衛生・不潔である。
恋してキスするなどそののきわみ。さらに、交接するなど。
夫婦はどれもきちんとこなし、おまけに子供までなした間柄。
それが髪の毛が湯の中にあったぐらいで。ふうっ、まいるぜ。

いつだったか「夫婦別床落葉樹針葉樹」という川柳を書いたが、あのころから閨を異にしている。それがいつだったか思い出せぬ昔から。
ハリウッド映画で、口論の絶えぬ中年・老年夫婦がひとつベッドに窮屈そうに寝ている場面など見るにつけ、なぜそう無理をするのかと思う。
37年も夫婦をやっていることじたい凄いのだ。

まだ冬にならぬのに、妻が驚くほど髪が抜けていて頭はまだ黒い。それがうれしい。


コメント
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