天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳壇の諸作11

2013-10-29 10:51:15 | 俳句・文芸
「鷹」2013年11月号より転載


わが産道抜けきし子らよ蔦青し 遠藤 由樹子
「未来図」七月号より。
女性が出産をかくも無機質に構造的にとらえた句を知らない。サンドウという音感は「参道」に通じ宮参りのめでたい情緒を醸し表向きのぶっきらぼうを内でしっとり支えている。突き放した物言いですかっと詩を立てた「肝っ玉母さん」、あっぱれである。

仲見世に激辛七味夏到来 柏原 眠雨
「きたごち」第293号より。
「激辛七味」は形容詞的に「夏」を修飾するのか、省略した調味料のことを言っているのか。筆者は「激辛七味夏」と夏にかかっているとみるが、いかつい漢字を繰り出して畳みかける迫力がまさに仲見世の夏である。「到来」と最後まで硬く押し切ったのが心地よい。

大楠の根方御輿の置かれけり 松尾 隆信
「松の花」八月号より。
きわめて単純な構造の句。楠の根の上の御輿はめでたい配合。照葉樹林こそわが国本来の植生という説もありように楠には神道的エネルギーを感じる。相撲道の意識を強く持つ白鵬がこの句にどう反応するか。日常の日本語をかなり操ることのできる外国人が日本の奥義に至っているかみるための試金石のような内容である。

ざぶざぶと水が精出す五月来ぬ 川名 将義
「銀花」七月号より。
「ざぶざぶ」という擬音は平凡と思いきや「水が精出す五月来ぬ」という流れの中でどんどん力強くなっていき「五月来ぬ」で動きがたく決着させている。言葉相互の連関のよさが一句を貫いている。

薔薇の香を来てコーヒーの香に憩ふ 高橋 悦男
「海」八月号。
薔薇もコーヒーも芳しい香り。両方を満喫する至福の時間でありコーヒーの味もいや増すだろう。二種類の香を詠んだ句<アマリリスまでフリージアの香りかな 高野素十>は時間の流れを断って一点に凝縮させている。高橋句はその点ぬるいが素十句にある多義性はなく、時間の流れを豊かさに転じている。

薔薇園の三歩目以降もう匂はず 片山 いづみ
「街」第102号。
この香りの句もおもしろい。「三歩目以降もう匂はず」は大胆な誇張だが場所が薔薇園だと納得する。ずっと奥まで続く多種多様な薔薇が見えて豪華絢爛である。

出払つて馬濃く匂ふ橡若葉 檜山 哲彦
「りいの」七月号より。
「出払つて」でがらんとした厩舎が奥まで感じられる。馬がいないことで匂いを強く感じるのはうなずける。外に明るい橡若葉を配して厩舎の薄暗さが印象的。

のろのろと生きて深紅の罌粟の中 平松 彌榮子
「小熊座」七月号より。
女性の書くナルシズムは枚挙にいとまがないがこれは不思議な感性。最初からナルシズムに溺れるのではなく序盤は卑下しているのが興味深い。これが効いて「深紅の罌粟の中」が浮き上がることなく所を得ている。

メコン川永久に濁りて永久の夏 高野 ムツオ
同号より。
かの地へ行くと春夏秋冬というはっきりした四つの季節はまさに日本の自然であり、また文化の根源であると痛感する。中七下五は当地の宿命を言い留めていて物悲しい。マルクスが揶揄的に言った「アジア的停滞」とこの句は通底しているように思われる。川は流れていても夏が動かないことに作者の諦観が極まる。

畳み来る波を眼下に青き踏む 水口 楠子
「たかんな」七月号より。
作者は高台の上から海を見下ろしている。断崖に波が来てはぶつかる。「畳み来る波」の情緒が今いる上の大地の春の草に響いて雄壮な春の一景となっている。

草笛のことば紡いでゐるような 森川 淑子
「鴻」七月号より。
草笛のあの音色を「ことばを紡いでゐる」とみたのが出色の感覚。苦心して鳴らそうとしているのだが確かに言葉を編み出しているかのように感じられる。

脱ぎかけの竹の皮なり脱がせたし
 橋本 公子
「対岸」八月号より。
そう竹の皮はたいていぐずぐずしている。風に耐えていつまでも皮のどこかがくっついている。筆者もこのように感じていらいらするあまり、つい身近にある手のかさぶたを早く剥がして血を見てしまう。

告げられし余命のひと日新茶汲む 川添 フミ
同号より。
上五中七重たい事実をさらりと述べている。はらわたに沁みわたるような新茶の味は格別。余命を告げられたとき自分は何を真っ先にしたいのか、またかくも清新な境地に至ることができるのか深く考えさせられる。
コメント
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