サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

343日目「インドへの道(大倉集古館)」神谷町

2012年10月23日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ いつものように南北線の六本木一丁目で降りたら、まずは本屋さんに行ってから、タリーズでコーヒーを飲む、と。
キミオン叔父 それから、エスカレーターを乗り継いで、地上庭園を抜けて、泉屋博古館に向かう、と。
この東京分館は今年で開館十周年みたいよ。まあ、泉ガーデンとあわせてかな。で、記念展ということで、ここが所有の中国絵画を一堂に展示している。「住友コレクションの白眉」と銘打ってるよ。
なにやら今回は明から清への移り変わりの頃の個性派のコレクションが中心みたいだな。でもなぁ、このあたりの水墨画はオジサン苦手なんだよなぁ。精緻だと思うし、ダイナミックな構図もあるし。もちろん、日本の画家たちは中国の画家たちの作品を模写しながら、徐々に日本独自なものを付け加えてきたわけだけどな。でもやっぱり、もうひとつ中国の禅思想や老荘思想も含めた「理想」というものが、教養もないからなんだけど、わかんないんだよな。どちらかというと、それをアレンジした「奇想」の流れは大好きなんだけどさ。
そういうことかどうか、展示ルームは足早に見て、おじさん正面ホールの住友家の歴史解説ばかり興味深く見ていたよね。
うん。もともと社史とか好きだしさ。住友家は平家の末裔の戦国武士だったとかいうけど、そんなことはどうでもよくてさ、寛永の時代に、「富士屋」という書籍と医薬品を扱う問屋を始めるわけだ。で、大阪のほうの系統が、「泉屋」を名乗り、銅商を商う。南蛮からの技術を取り入れて、粗銅から金・銀を分離する「南蛮吹き」という精錬法を手に入れ、それを秘中の技術として財産を蓄える。
その後、伊予愛媛の別子銅山を開発し、これが世界有数の銅の埋蔵量があったのね。やっぱり鉱山よね。結局、三菱だってその要はいまの三菱マテリアルで鉱業よね。住友も「事業」はそこから現在の日本電気や日本硝子なんかにつながるわけだけど、家訓として別子銅山は大切にせよ!と引き継がれていくのね。
住友家としては「君臨すれども統治せず」を貫いて、そこから役員にも名前をつらねず、公家出身者が住友家を継いだりして、そういうことが今日の住友コレクションにもつながっているわけさ。
大番頭と家長の分離よね。でも現在なんかでは、『住友の家訓』もあったもんじゃないのかもねぇ。


一方、近くの大倉集古館では、日印国交樹立60周年ということで「インドへの道ー美術が繋いだ日本と印度」という催しが開催されている。
こちらの大倉家を起こしたのは、明治の実業家である大倉喜八郎でしょ。新潟の鉄砲商から身を起こして、明治維新の時代から貿易・建設にシフトし、新興だけど一大コンツェルンを形成するのね。
大倉財閥。明治以降の戦争とともに、商いを拡げてきたので「死の商人」とも言われる。
でも、渋沢栄一らとともに、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場も建設し、また社会事業にも熱心だった。帝国ホテルは公職追放になり乗っ取られたかたち、ホテルオークラはその息子の喜七郎が創業した。
今の東京経済大学もそうよね。結局、有名な大倉商事なんかは破綻したけど、千代田火災、サッポロビール、日清製油、富士銀行、帝国繊維、大成建設なんかの創立に関わっているんだものなぁ。
で、今回はインド文化のコレクションなんだけど、こちらは「像」が多いから、古典文物があっても中国より面白いな。
なんか艶かしいよね、仏像さんなんかもそうだけど、古代からの独自の宗教が根付いているからねぇ。石像が多いけど、インド映画でもよくつきあわされるけど、「踊る神様・仏様」が多いから、親近感がわくのかなぁ。
オジサンが感心したのは、結構ミニチュアで普通の家族が祀っているようなアイテムが多くコレクションされていること。名前忘れちゃったけど、大倉商事あたりかな、インドに数十年間いた現地の支配人格の日本人が、自分のお金でコツコツと庶民の宗教用品グッズなどを買い集めて、それが現在のコレクションともなっている。

 


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