幸せをつかみ取るために強盗となった老人とその妻の逃避行を描き、本国ハンガリーで熱い支持を集めたハートウォーミング・ストーリー。年金だけでは暮らしていけず、借金取りに追われる毎日となった老夫婦が、高齢者に冷たい世間に怒りを覚えて次々と強盗を重ねていく。出演は『反恋愛主義』のユーディト・シェルら。ハンガリーの現状に疑問を投げかけ、解決すべき社会問題を浮き彫りにしながら、心温まる展開で魅せる珠玉の一作。[もっと詳しく]
「老人大量失踪」のやりきれないニュースのなかで、ひとつの夢想をしたくなる。
もう十年ほども前のことになるが、都下のある老人クラブの人たちと、いろいろ企みをしたことがあった。
「老人クラブ」なんて、名前が駄目だよね。
俺たちは、枯れることなんてできない世代だからさ。
二週間に一度は、歌舞伎町をうろうろするんだよ。
衛星放送を一局ぶんどって、老人の本音をライブ放送したいよな。
毎朝、女子大生が「おはよう」とモーニングコールしてくれないかな。
どうしようもないジーサンたちが、ひそひそと話しこんでいる。
そばでバーサンたちがせせら笑いながら、お昼の用意をしている。
戦争経験者が何人もいたし、特攻の生き残りという人もいたし、左翼運動で拘留されていたというジーサンもいた。
それはどこか里山のいい顔つきをしたジーサン、バーサンたちとは異なる、「不良老人」の溜まり場のようでもあった。
そんな企みのひとつに老人が主役の映画を撮りたいというものがあった。
原作は森村誠一の『星の陣』。
地方新聞に配信されていた連続新聞小説であったが、単行本になったのは90年代の半ばであったか。
アマゾンでの紹介は次のような内容だ。
復讐してやる―旗本良介は怒りの中から立ち上がった。“心の恋人”の降矢美雪を無残にも輪姦して殺害し、旗本の家族をも崩壊させた暴力団・黒門組。奥秩父の原生林に終戦直後の四十余年前に埋めた旧陸軍の武器を掘り出し、“旗本元中隊長”は、かつての部下に呼集をかけた。そして集結した“老兵士”たち。瀬戸内海の無人島で戦闘訓練をつんだ七人の老兵司たちは三八式歩兵銃、迫撃砲、手榴弾なでの兵器で武装、ゲリラ戦を開始した―。長編推理の力作。
いま読んでも面白い。
『星の旗』という小説も同じようなシチュエーションで十年後ぐらいに執筆されている。
事実、『星の陣』には、映画化やアニメ化の交渉が多くあったらしいが、残念ながら実現されないままだ。
『人生に乾杯!』というなかなか味わい深い、老人版ボニー&クライドとでもいえる映画を見ながら、僕はその頃の「不良老人」たちのやるせなさや怒りや諦めや不安や・・・といったことなどを、あらためて思い返すことになった。
あのジーサンたちはどうしているだろう。
ワイワイと酒を飲みすぎたせいか、翌日病院に急行したジーサンもいた。
80代後半になりながら、90代半ばの知人のジーサンが心配で、毎日電車に乗って身の回りの世話に通う気丈夫なバーサンもいた。
いまでも戦争の資料を掘り返している元歴史教師がいた。
老人クラブの票のとりまとめをしながら、孫ほどの世代の市議会議員を恫喝している元市議もいた。
高齢者の年金問題、医療問題に続いて、「神隠し?」事件が多発している現在を、彼らはどう思っているだろう。
その頃、僕は四十代後半であったが、いま会っても「あんたたち若い者は!」なんて言われそうな気もする。
ハンガリーの年金生活を営むエミル(エミル・ケレシュ)81歳とヘディ(テリ・フェリディ)70歳の老夫婦。
つつましいアパート暮らしをしているが、年金生活は苦しく、役人からアパートの撤退を迫られている。
エミルは腰痛をかばいながら、血糖値を気にしてインシュリンを打っている。
ヘディは隣人たちとお手製のクッキーを焼きながら、クイズ番組で暇つぶしをしている。
そんなある日、部屋に押しかけた役人に、ヘディは大切にしているダイヤのイヤリングを没収されることになる。
そのイヤリングはふたりの思い出がつまった唯一のものだった。
戦争時代に、伯爵令嬢であったヘディを匿い守ったのが兵士であった若きエミル。
戦後も共産党員として地道に生きてきたが、冷戦は終わり、ハンガリーもEU資本主義に組み込まれた。
30年前に息子も亡くしている。
もう、彼らは邪魔者のように扱われている。
エミルはついにプッツンして、ソ連製の1958年チャイカを車庫から引きずり出し、郵便局に押し入ることになる。
紳士的な単独犯であるが、ヘディは警察に通報し、エミルを逮捕(保護)しようとする。
待ち合わせの場所で、エミルとヘディは合流するが、ヘディは自分もエミルと同行することになる。
そしてボニー&クライドが成立し、マスコミに取り上げられるや、やんやの喝采を受けることになる・・・。
追跡しついには人質になってしまう美人刑事アギーや、愛想をつかされているその同僚の恋人や、逃走劇を幇助するエミルの昔の仲間や・・・登場人物たちが、たいへんな状況に陥ってはいるのだが、なんとなくゆるくまったりとしていて、そのあたりが面白い。
アパートの中では、不機嫌でうだつのあがらなかったエミルが、チャイカを走らせながらみるみる若返り、頼りがいがでてくる。
ヘディもすっかり昔のお嬢様に戻り、どこか浮世離れしている。
こうしたメルヘンのような逃走劇もどこかで終わりが来る。
ボニー&クライドのように、最後は無数の銃弾で射殺されるのか、自爆するのか・・・。
観客は、あまり結末を観たくないような気分にも陥ってしまうが、この若い監督ガーボル・ロボビーは、とりようによってはハッピーでもあるような、洒落た結末を用意してくれている。
世界中で老人たちは「ひきこもって」いるかもしれない。
そのなかで、所在さえもわからぬ老人が、数知れず存在しているかもしれない。
暗く想像すれば、どれほどもやりきれなくなるが、ほとんど夢想だとわかっていながらも、正反対のことも思い浮かべたくもなる。
この「行方知れず」老人たちは、最後に自分で「ひきこもり」から脱出したのだ、と。
家族や地域や行政に、別に見守られなくたっていい。
最後は自分たちで決める、さ。
たとえ、それが、顰蹙を買う行動であったとしても・・・。
とりあえず「人生に、乾杯!」だ。
そんなことを、夢想のように、思ってみたくもなる。
旧体制を懐かしむ、と言っては語弊がありますが、自由を標榜する現体制も碌なんもんじゃない、という揶揄が面白かったですね。
この後偶然にもマイケル・ムーアの「キャピタリズム マネーは踊る」と見て、何だか不思議な繋がりを感じました。
社会党も共産党も民社党もみんな嫌いだけど(笑)、素朴に怒りたくなりますね。
老人党というのもあったけど、泡沫候補だったしなぁ。