サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

ワル/真樹日佐夫(作家)/71歳

2012年01月04日 | 毎日がメメント・モリ

故梶原一騎氏の実弟・真樹日佐夫氏が死去…ヨット乗船の際転倒し病院に搬送


デイリースポーツ 1月3日(火)7時51分配信

 

 空手家、映画プロデューサーなど多彩な顔を持つ作家の真樹日佐夫氏が2日、神奈川県内の病院で死去した。71歳だった。関係者の話によると、この日午後、神奈川・逗子マリーナで、自身が所有するヨットに乗船しようとした際に倒れ、病院に搬送されたが、息を引き取ったという。

 関係者によると、真樹氏は昨年末から風邪で体調を崩していたが、12月28日には都内の道場での納会を弟子たちと開催し、1月3日には逗子マリーナで毎年恒例の新年会を開催予定で、現地に前日入りした矢先の悲報となった。関係者は「スケジュールが立て込んでいた」と明かした。

 真樹氏が亡くなった病院のロビーには真樹道場の弟子や家族、関係者が駆け付けた。突然の悲報にショックを受けながら「男の生きざま」と気丈に受け止める声もあった。今月13日には都内でトークイベントを開催予定で、元プロレスラー・上田馬之助さんが死去した昨年12月21日にはデイリースポーツの取材に応じて上田さんとの縁を語った上で、このイベントについても「よろしく頼むな」とPRした矢先の出来事だった。

 真樹氏は『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』などの名作を生んだ劇画原作者・梶原一騎氏の実弟。87年の兄の死後、その実像を著書で描き、自身も兄以上の“無頼派”として生きた。デイリースポーツでは2010年11‐12月に幅広い交友録をつづったコラム『俺流☆仲間たち』を連載。11年1月には“伊達直人運動”についてデイリースポーツに持論を展開。作家としては11年10月に出版された自伝『ああ五十年 身に余る』が遺作となった。

 酒と女性と海をこよなく愛した真樹氏。冬の逗子の海風に吹かれて、71年の生涯を閉じた。

梶原一騎と真樹日佐夫。
とんでもなく、あくが強く、喧嘩が強く、強情で、けれどどこかセンチメンタリズムというか時代に対するルサンチマンの強い兄弟だった。
格闘家としてのさまざまな伝説はさておいて、僕にとっては真樹日佐夫はまずその原作漫画の『ワル』だった。
氷室洋二、鷹ノ台高校。
いつも木刀を持って、不良グループのボスである。
70年から2年間ほど連載され、その後『新書ワル』『ワル正伝』『ワル最終章』とメディアを変えながらも連載が続き、何度も映画化もされた。

スタートは僕の高校2年生の時だっただろうか。
もちろん、地方都市の高校にもとんでもない「ワル」はいた。
だけど、氷室洋二と較べれば、てんで可愛いものだった。
僕らは部室で「ワル」を回し読みしながら、氷室の非情さをあれこれ噂したものだった。
氷室に人生を狂わされながら、寄り添うことになるのが美杉という少女なのだが、氷室は徹底して彼女に対して冷たくするのだ。
けれど、そんな氷室もだんだん年をとって、なんか「ワル」には違いないが、ニヒルだが頼りになる兄貴という感じに変貌してくるところも興味がつきなかった。
梶原一騎の学園ドラマはもちろん『愛と誠』だが、そのスタートは73年。どこかで、梶原一騎は、弟の『ワル』を意識しながら、自分なりの氷室と美杉のあり方として、愛と誠という人物を造形したのかもしれない。
兄と一緒に大山空手に入門し、大山師範と義兄弟の契りを結び、そのことがその後の格闘技の世界で、真樹日佐夫の独特のポジションをつくったようなところがある。
墓場の中まで持っていかなければいけない秘密を、たくさん抱えていたことだろう。
無頼派でダンディでちょっと凄みがあって。
いつもサングラスを離さず、ガムを噛みつつ、海と女を愛していた。
亡くなったのは、逗子マリーナ。僕の葉山の家のすぐそばだった・・・合掌!



最新の画像もっと見る

コメントを投稿