サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

資生堂/中村誠(グラフィックデザイナー)/87歳

2013年06月06日 | 毎日がメメント・モリ

中村誠さん死去 資生堂ポスターのグラフィックデザイン

朝日新聞デジタル 6月6日(木)5時5分配信


1966年の資生堂のポスターには、前田美波里を起用し、写真家・横須賀功光氏が撮影した

 前田美波里や山口小夜子を起用した資生堂のポスターで知られるグラフィックデザイナーの中村誠(なかむら・まこと)さんが2日、肺炎で死去した。87歳だった。葬儀は家族で営まれた。喪主は長男成一(せいいち)さん。連絡先は東京都文京区春日1の6の7の中村写真事務所。

【写真】グラフィックデザイナーの中村誠さん

 東京美術学校卒業後、資生堂に入社。アートディレクターとして数々のポスターを手がけ、宣伝部長などを歴任。東京ADC賞、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞など受賞多数。長年、朝日広告賞の審査委員を務めた。

朝日新聞社

戦後日本のアートディレクションの草分けのお一人である。
アートディレクターの多くは、一時期企業の宣伝部などに所属することもあるが、基本的には独立して、誰かの事務所に入るか、自分であるいは仲間とデザイン事務所を設立するケースがほとんどだ。
そして企業や行政と直接にあるいは代理店などを経由して、仕事を受注することになる。
また何人かは、大学や美術学校で教壇に立ちながら、理論を探求したり、若い人たちを育てたりすることになる。

だけど、中村さんの場合は、早くに資生堂に入社し、企業内デザイナーとして数々の名作を世に送り出した。
資生堂の役員待遇で宣伝部長であったわけだから、もちろん大手広告代理店も他のクリエイティブ関連の事務所も仕事をもらう立場であり、若手にすれば雲の上の人であったかもしれない。
最後まで、資生堂の顧問をやっておられた。

有名な前田美波里や山口小夜子のを起用した資生堂のポスターは、僕もちゃっかり剥がして家に持って帰ったクチだ。
もちろん、晩年は、資生堂という立場を離れて、いわば大御所として、業界団体の理事活動やさまざまな審査委員など公的なことをやってこられた。

物書きはどんな著名な人でも、その作品を読んでいないと、普通の人にはよく伝わらないところがある。
でもアートディレクションの大御所たちは、その作品の同時代を生きていたものならば、アートディレクターの名前を知らなくても、
その作品を見さえすれば、それが何十年前のものでも「ああ、あの作品か、おれ、覚えている」と一瞬で記憶を甦らすことになる。
しかも所属は資生堂。
日本の近代以降の意匠・デザインはある意味で、資生堂とかサントリーとか一時期の高島屋とか西武とか、優れた広告デザインセンスを持った(つまり優秀なクリエイターたちの継続した表現の連続性を持った)企業によって受け継がれてきた。
中村さんは、そのど真ん中を歩んだ人であるだろう・・・合掌!

 


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