サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

謝罪要求(科学捜査の再鑑定の速やかな実行の当然度80点)

2009年06月05日 | それでも世界は回る

「警察と検察に謝って欲しい」菅家さん、支援者への手紙で


読売新聞2009年6月4日(木)12:33


 菅家さんは2000年、最高裁に上告を棄却されて無期懲役が確定し、現在は、千葉市の千葉刑務所に収監されている。


 先月11日、DNA型の再鑑定の結果を受けて佐藤博史弁護士が同刑務所を訪れると、菅家さんは短い沈黙の後、静かに「ありがとうございました」と話したという。「よく頑張ったね」との佐藤弁護士の言葉には、黙って涙を流したという。


 1審判決によると、菅家さんは、栃木県足利市の出身。同市内の中学校を卒業して縫製工などを経て、1978年から保育園、事件が発生した90年からは、幼稚園のバス運転手として働いていた。


 菅家さんは先月6日付で支援者にあてた手紙では、事件当時のことを振り返り、捜査に対する憤りもつづっていた。


 それによると、91年12月1日の日曜日朝、突然、自宅を訪れた栃木県警の刑事に「お前は子供を殺したな」と迫られ、「やってません」と否定しても、女児の写真を示されて謝るよう求められたという。警察署では夜まで取り調べを受けて「お前が殺したんだな」「証拠がある」と追及され、菅家さんはだんだん怖くなって自供してしまった、と記している。


 菅家さんは手紙の中で、「警察と検察に絶対に謝って欲しい」とつづり、「警察は容疑者を捕まえると、犯人であろうとなかろうと、すぐに犯人にしてしまう。警察はメンツしか考えず <RB>冤罪</RB> <RP>(</RP> えんざい <RP>)</RP> を作ってしまう」などと訴えていた。


ひどい話である。
科学的証拠を決め手に使うのは公正である。
アメリカの人気テレビドラマの「CSI科学捜査班」は、各シリーズとても楽しみに見ているのだが、どうも日本の科学捜査のポジションニングと存在感が異なるように思える。
最新技術はもちろん日米共に革新されるわけだが、捜査全体の役割規定の中で、科学捜査のもつ位置づけが異なるのだろう。
そしてそれは、立証し、起訴するための有力な方法となるのだが、裁判過程での、科学捜査による再鑑定などのシステムも異なるようだ。
このドラマでも、何十年前の事件に改めて、証拠記録を最新科学捜査にかけるなどのシーンもよく出てくる。

自白の強要、当時のDNA鑑定などの証拠採用の技術水準などに関して、あらためて検証するのはもちろんのことであるが、菅家さんのように無期懲役や死刑が最高裁決定した囚人(被疑者)に対して、とりかえしのつかない事態が、起こってしまっていると言うことの方が怖い。
当時のDNA鑑定で、裁判資料となっているものは、500件を超えている。
なかには冤罪であるとの再審請求が出ているものもあろうが、死刑執行されてしまったものもないとはいえない。

民営郵便局問題では、威勢のいい鳩山邦夫が法務大臣のとき、相次いで死刑執行許可を出したことは記憶に新しい。
法務大臣の責任として、そのことのいい悪いを指摘すると言うより、そのなかで今回のような最新技術でふたたび鑑定検証が行われたかどうかの問題である。

当たり前のことなのだが、過去の証拠採用された科学監査は、菅家さん事件を契機にすべて再鑑定することが重要である。
それは、すでに死刑執行した人々や、収監中に死亡した人や、現在、収監中あるいは有罪判決などを受けている人々に対して、例外なく速やかに、実行されるべきである。


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2 コメント

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平和を望む市民さん (kimion20002000)
2009-06-18 13:12:02
こんにちは。
昨日のニュースでは、殺された子どもの殺害現場で、冥福を祈りながら、真犯人対して「時効などは関係ない、人間として名乗りでよ!」と激しくおっしゃっておられましたね。
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一つだけ引っ掛かってしょうがない (平和を望む市民)
2009-06-18 13:04:56
菅屋さんの事で、一つだけ引っ掛かるんです。
さんざんメディアの前で、警察と検察を許さないとかなぜ逮捕に至ったかを明らかにしてほしい。と訴えてますが、わたしなら、開口一番、カメラに向かっておい、殺人者よ。お前を許さない。すぐに出頭しなさい」というと思います。これを言えるのは、警察でもなければ、弁護士でもなければ、遺族でもなければ、亡くなったお嬢さんでもなく、菅谷さんしかいない、
警察を許さないだとかなんかは、遺族や、メディアや弁護士も言えること。
なぜだ・・・。なぜ、菅谷さんは言わなかったのか。本当の怒りは、この世で平然と生活をしているはずの殺人犯に対してではないのかって思うのです。
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