サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

ファッション界/久田尚子(ファッション・ジャーナリスト)/77歳

2012年10月01日 | 毎日がメメント・モリ

ファッションジャーナリスト 久田尚子さん死去

産経新聞 10月1日(月)11時1分配信

 久田尚子さん(ひさだ・しょうこ=ファッションジャーナリスト)9月28日、肺炎のため死去、77歳。通夜は5日午後6時から、葬儀・告別式は6日午前10時から、さいたま市浦和区仲町1の12の1、セレモニー浦和ホールで。喪主はおい、有(ゆう)さん。

 文化出版局の『装苑』『ミセス』や『ハイファッション』誌の編集長を歴任した後、東京ファッションデザイナー協議会の議長となり、さらに東京コレクションの総責任者も務めた。後日、しのぶ会が予定されている。

彼女が編集長をつとめた『装苑』『ミセス』や『ハイファッション』誌などは、僕には縁遠い世界にかかわらず、よく本屋で手に取っていた。
ヴィジュアルがとても垢抜けていたからだ。
後に、そのアートディレクターをやっておられたKYさんとは、仕事で組むことになったりもしたのだが・・・。

久田さんが『装苑』の編集部に入ったのは、1957年のこと。
そこから積極的にファッションジャーナリズムの道をまい進し、とうとう1967年にパリ支局勤務になった。
「天にも昇る気持ちだった」と本人は言う。
その頃までは、パリコレもオートクチュールの作品が、静かに読み上げられて、次々と披露されるというものだったらしい。音楽もなかった。
そんなパリコレをガラリと変えたのが、高田賢三。
賑やかで元気がよくて、パリっ子も驚愕した。
それからは、日本人のデザイナーが欠かせなくなった。
それだけではなくて、東京コレクションが準備されるようにもなる。

文化出版局を退職される久田さんを、もちろん業界がほおっておくはずがない。
その後は、業界全体の育成に努め、お酒も強かったので数々の武勇伝もあるが、日本のファッション業界はこの人を抜きにしては語れなくなったのである・・・合掌!
 


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