サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

永遠青年/小田実(作家)/75歳

2007年07月31日 | 毎日がメメント・モリ

小田実さん死去=作家として市民運動をリード


7月30日7時31分配信 時事通信




 ベストセラー「何でも見てやろう」などで知られ、“行動する作家"として戦後の市民、平和運動をリードした小説家、評論家の小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、東京都中央区の病院で死去した。75歳。大阪市出身。自宅は兵庫県西宮市大浜町1の41の801。葬儀・告別式は未定。
 東大文学部卒業後、渡米。ハーバード大学で学びながらヨーロッパやアジア各国を放浪した体験をまとめた「何でも見てやろう」(1961年)で一躍注目を浴び、タイトルは流行語となって若者のライフスタイルにも影響を与えた。
 その後、予備校講師をしながら平和運動に参加。1965年にはベトナム戦争に反対する「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成し、デモや反戦広告などの活動のほか、良心的兵役拒否の米兵の逃走支援なども行った。
 80年、作家の色川大吉さんらとともに「日本はこれでいいのか市民連合」(日市連)を立ち上げるなど、一貫して“市民の目線"で活動。95年の阪神大震災では自身も被災し、被災者支援法制定のために奔走した。最近では改憲ムードに対抗して「九条の会」を結成したほか、慰安婦問題や日本の戦争責任などについても発言を続け、市民運動の理論的、精神的支柱の役目を果たした。
 著書に「現代史」「円いひっぴい」「ベトナムから遠く離れて」「海冥」「玉砕/Gyokusai」など。81年の「HIROSHIMA」でアジア・アフリカのノーベル文学賞と呼ばれるロータス賞、97年の「『アボジ』を踏む」で川端康成文学賞を受賞した。

小田実の関西弁は、嫌いじゃなかった。
「朝まで生テレビ」のような阿呆な番組でも、あえてピエロを演じるのも辞さず、いつも、肩をいからして、相手を睨み付けて、早口でまくし立てる。通常は、評論家というのは、相手の主張をわかったふりして受け流し、自分の度量の広いことを示しつつ、自分の主張に誘導していくのだが、小田実はいくつになっても、書生っぽく、世界に毒づいていた。そういうところは、ちょっと、同伴知識人というよりは、永遠青年みたいで、嫌いではなかった。
べ平連のデモにも参加した。だけど、どこかで、個人の作家活動はいいが、運動自体には疑問を持つようになった。小田実、開高健、鶴見俊輔、色川大吉・・・。ついぞ、「市民的正義」という、お題目に限界を感じるようになった。自分は、市民なのか?市民的自由の権利とはなんなんだ?
20歳ぐらいのことだったと思う。そして30数年、僕は、市民としての権利と義務をいっさい沈黙してきたように思う。もちろん、あくまでも個人的な意思でそうしているのだが、一度も投票所に行ったことはない。・・・合掌!



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