きました通信

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青い山脈を聴いてきました。

2005年06月21日 | 徒然まちある記
金網の向こうに見えるのが「青い山脈の碑」で、手前にある緑のボタンを押すと青い山脈の曲が流れます。碑の後方にスピーカーが設置されていて、これが結構大きな音量なので驚きます。

それにしても、このボタンがどういうもので、押せばどうなるのか。。。道路わきに突然ボタンがあって、普通に歩いていたら、まず意味が分かりませんね。
この碑は、平成16年10月1日に建立されたのだそうです。場所は、上本町西5丁目1、上六と上五の真ん中あたりを西へ、東平交番の横です。区有の小さな運動場の一角にあります。

ここに碑がある理由は、作曲者の服部良一氏(M40年~H5年)がこの周辺に縁があるということのようです。氏は、服部家のHPによると、大阪市・本庄生まれとあり、また別の資料では玉造生まれとなっていました。本庄というのが、今の北区の本庄なのか、旧地名で玉造近辺なのかはもう少し調べてみます。

また、同じく服部家のHPには、大正3年に東平野尋常高等小学校に入学とありました。東平野尋常高小は、現在の生魂小学校です。ちなみに大正9年に当時生玉前町に住んでいた織田作之助が同校に入学しています。
しかし、生魂小学校は上汐4丁目で、ここからは相当離れていますし、また大正3年入学だと、このとき服部良一氏は6~7歳ですから、高等小学校入学ではなくて、その前段階の尋常小学校入学になるはずですね。この碑のすぐ近くに公園があり、そこは市立東平小学校の跡地ということでしたので、この東平小学校というのが、ひょっとしたら東平野尋常小学校だったのかもしれない、と思っています。これも、近いうちに図書館で調べてみようと思います。

で、散歩帰りに、どうしてこんなふうにネットで調べたかというとですね、石碑に何か書いてあるかと思ったのですが、金網には鍵がかかっていて入れなかったのです。隣の交番のおまわりさんに聞くと、運動場が土曜・日曜に開くので、そのときにしか入れないよ、ということでした。これも変ですね。スピーカーとかにいたずらされないように、普段は人を入れないのでしょうかね。

あまりにこの緑のボタンが唐突だったので驚きましたが、おかげで服部良一氏のことや青い山脈のことが勉強できました。青い山脈は、昭和24年作曲だったようです。私の世代(昭和23年生)だと、紅白歌合戦で藤山一郎さんが澄んだ美声で朗々と歌い上げていたのを思い出します。


コメント
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