けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

印象操作に騙されてはいけない!

2015-03-03 23:52:26 | 政治
政治とカネの問題が安倍総理にまで飛び火したが、同時に民主党の岡田代表にまでブーメランが返ってきた。安倍総理の献金の一部もそうなのだが、岡田代表への献金は「利益を伴わない補助金」であり、しかも補助金を受けたのが日清製粉で、献金を受けたのがその持ち株会社の日清製粉グループ本社からであり、別法人であるから問題ないとの返答である。私もこの考えには同意するのだが、報道がこの考え方を追認しながら、安倍総理はケシカラン!と非難するのは腑に落ちない。そもそも、「『知らなかったら許される』なんてザル法が悪いに決まっている。そんな悪い法が許しても、我々はそんなことは認めない!」というスタンスを主張していたのであれば、「利益を伴わない補助金」という定義が明確でない以上、グレーゾーンを生じさせる悪法は許されないはずで、であればそんなことを理由にして「俺は悪くない!」などと言うのは認められない!と主張するのが筋である。ましてや、子会社とそれと独立な別の子会社の間ならいざ知らず、持ち株会社というのは直系の関係にあり、その全ての責任を背負う関係にあるはずである。知らずに献金を受けた政治家を罰するのは筋が通らないという視点から明示的に「知らなければ罪には問わない」としているのに対し、持ち株会社でありながら別法人であれば許すというのは完全に法律を作った際の盲点であろう。法の精神からすれば、それが許されるべきかどうかは明らかな話である。ちなみに、報道ステーションによれば民主党の関係者は「与党が補助金をもらうのと、野党が補助金をもらうのは訳が違う!」と言っているそうなのだが、これも意味が分からない。「知らなかったら許される」など認められない人が、「与党ならアウトで野党ならばセーフ」などという発想は意味不明である。さらには、「閣僚はアウトで一議員はセーフ」というのも意味不明である。「これら全員アウト!」というスタンスに立つのか、それとも「慣例で悪意が立証できなければセーフとする」というスタンスにすべきなのか、マスメディアにはその立ち位置を明言して欲しいものである。

さて、上述の報道ステーションの中でも映像と共に紹介されたが、民主党の辻元氏が本日、文官統制の実質廃止に関する防衛省設置法の改正に関する質問を行った。これは、幕僚長などの制服組と、同じ防衛省の中の官房長や局長などの背広組との関係として、これまでの背広組の優位を規定した部分を削除し、幕僚長と官房長が対等な立場で防衛大臣と接することに変更するというものである。これに関し、辻元氏の質問について報道ステーションでは下記の様に紹介している。

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(辻元氏)「佐藤栄作総理(当時)が、これは昭和45年4月7日ですから、本会議で言っております。自衛隊は政治優先のシビリアンコントロールの原則が貫かれております。そして、その背景には戦前の苦い経験があることを忘れてはなりません。」
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これは、先週中谷防衛相が「『文官統制』は戦時中の軍部暴走への反省によるものではない」と発言したことを受けての質問である。多分、当初の私も同様であるが、この文官統制なるものの意味が分からない人は、この質問のやり取りをみて「辻元圧勝!」「中谷撃沈!」と直感的に感じるはずであるが、これは正しい認識ではない。辻元氏の質問の中で明確に指摘している様に、佐藤栄作総理の発言はあくまでも「文民統制(シビリアンコントロール)」に関する発言であり、「文官統制」に関するものではない。では、文民統制と文官統制の差は何かといえば、ここでの「文民」は政治家である大臣を指し、「文官」は防衛省のお役人である「官僚」を意図している。誰でも「日本国民は、選挙を通して選ばれた政治家により統治されるべきである」ということと、「日本国民は、官僚により統治されるべきである」ということの違いは分かるであろう。さらに言えば、各省庁に政治家の大臣が君臨しても、結局のところ、実際に汗水たらして行動する下っ端の官僚や自衛官などと大臣との間に上級の官僚が割って入り、大臣の命令を骨抜きにすることができたならば、我々国民から見れば官僚の暴走を止める手は何もないということになる。民主党政権下で長妻元厚労相が何も出来ずに任期を終えてしまったのは記憶に新しい。政治主導という言葉が好きなマスメディアであれば、政治主導を阻む文官統制のリスクをちゃんと説明すべきである。

実はこの辺の事情は、下記の記事で読むことができる。

数多久遠のブログ シミュレーション小説と防衛雑感 2015年2月28日「安倍政権がシビリアンコントロールを廃止?

ここには文官統制の弊害の例として、幾つかの実例が紹介されている。下記の例は興味深い内容である。

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防衛省昇格前の04年6月。防衛庁長官だった石破のもとに設置された「防衛力のあり方検討会議」で、内局トップの事務次官守屋武昌と海上自衛隊トップの海上幕僚長古庄幸一がにらみ合っていた。
「統合作戦のあり方として問題点をまとめた資料がある。配ってもよいか」。古庄がおもむろに取り出した紙には、「防衛参事官制度」や防衛事務次官の権限を見直すべきだとの提言が書かれていた。
従来、制服組が直接、大臣に提言などを「直訴」することはなかった。制服組には積年の不満がくすぶっており、確信犯的に古庄が打って出たのだ。
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この「内局トップの事務次官守屋武昌」とは、後に山田洋行贈収賄事件で逮捕された人物であり、小池百合子元防衛相にも面と向かって刃向った人物である。Wikipediaには詳しく書かれているが、「防衛庁(省)の天皇」とまで言われた人物である。選挙を経ていないこの様な人物が、結局は大臣とその省の役人、自衛官との間に割って入り権力を掌握する事態が実際にはあった訳である。これを弊害と言わずしてどうするのかと問いたい。

先程の辻元氏の質問に戻れば、シビリアンコントロールは戦前の苦い経験があるからこそ死守すべき基本ルールであり、その基本ルールをないがしろにしていた文官統制という制度は見直されて然るべきである。重要なのは、制服組が大臣をたぶらかして暴走することを止めることであり、それを官僚に責任を求めるのは筋違いである。最初の政治とカネの問題ではないが、文官統制を排して文民統制を徹底するのが悪法というのであれば、それは文官統制のままにするのが良いのではなく、大臣が背広組に操られることがないように、その政治家に十分な素養のある人物を就任させる雰囲気を醸し出したり、厳しい目で大臣の下す判断を評価することが必要である。それは政治とカネの様な本質とは関係ない評価基準ではなく、権限の行使の妥当性という「ど真ん中」での評価である。

しかし、東京新聞などの様に今回の文官統制廃止を非難するところは、田中直紀元防衛相などの様に素養のかけらもない大臣を就任させたり、総理大臣でありながら自衛隊の指揮権を自らが持つことを就任するまで知らなかったような菅直人の民主党に大甘な態度を取っている。

先の報道ステーションでは、古館キャスターが最後に解説をしてバランスを取った感があるが、それも分かっている人には分かる解説でしかなく、多分、9割以上の人が「辻元圧勝!」「中谷撃沈!」「自民党は軍国化へまっしぐら!」と感じたに違いない。これはあくまでも印象操作によるものだが、その様な印象操作によるミスリードが国民の判断力を削いでいくのである。

私も「文官統制」が「シビリアンコントロール的」な働きを示すケースが存在しないとは言わないが、大臣がボンクラで、幕僚長クラスが超右翼的人物が占める状態で、背広組だけが真っ当な人物であった場合だけであろう。制服さえ来ていなければ真っ当な人間のはずという様な幻想を基準に物事を判断してはいけないのである。

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1 コメント

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シビリアンコントロール (ぱれっと)
2015-03-04 19:32:51
いつも関心のあるテーマを適切に解説頂き
ありがとうございます。
「文民統制」と「文官統制」の違い、よくわかりました。
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