けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

靖国問題を解く鍵となるか?「鎮霊社」

2014-05-08 23:58:00 | 政治
実は、このGWを利用して靖国神社の参拝をしてきた。これまでも散々ニュースで話題に上った靖国神社であるが、私はこれまでどの様な場所か行ったことがなかったので、あれだけ問題になっているのだからどの様なところか一度、自分の目で確認してみたいと思い、参拝することにした。今日はその感想について述べてみたい。特に、安倍総理が昨年の年末に参拝した際に、本殿に加えて同時に参拝したことで有名になった「鎮霊社」というものを見ておきたかった。この辺を中心に、帰宅後に調べたことも含めて報告する。

まず本題からはずれて恐縮であるが、靖国神社の背景的なことを再確認しておきたい。以前から所々で調べてある程度は背景的なことも頭の中に入っていたつもりであるが、実際に参拝すると少々違った印象があった。それは、単なる空気感とでもいう、たわいのないものであるが、思いの外、(祀っている対象が特殊ではあるが)純粋な神社という印象を感じた。靖国神社というと潜入観念的に、「右翼」や「国粋主義者」的な人達が軍国主義を正当化するために利用しているような、その様なドロドロとした厭らしさの様なものが漂っているのではないかと思い込んでいる部分があった。しかし、実際に参拝した靖国神社からはその様な邪念の様なものは全く感じ取ることは出来なかった。多分、春と秋の例大祭や終戦記念日前後であれば、右翼の街宣カーや逆に左翼の反靖国キャンペーンなどでドロドロした感じが漂っているのだろうが、その様な時期を外して参拝すれば、全くその様な邪念を感じることはない。そして、大きな大きな大鳥居をくぐり、まず最初に目にする大きな銅像は意外なことに大村益次郎の銅像であった。この名前は、子供ながらにNHKの大河ドラマ「花神」で見たことを覚えていたが、何故、この人の銅像がこんなところにあるのかと、一瞬、目が点になった。しかしよくよく解説を読んでいけば、大村益次郎は戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するために、この靖国神社の由来である東京招魂社の建立を提案しているとのことで、時期は明治2年のことである。幕末を含めて明治維新への活躍が評価されながら殉死した志士も含めて英霊として祀られ、よって、坂本竜馬や吉田松陰などもこれに含まれている。第2次世界大戦終戦までの間には、内務省など国家的に人事が所管され、祭事に関しては大日本帝国陸軍や大日本帝国海軍などが中心に行っていたという。確かに元々は軍隊と非常に密接な関係をもった神社であることは間違いないが、先日の参拝者の顔ぶれを見ても若い人から年老いた人、(見るからに外国人と分かる)西洋系の外国人などもそれなりの数が見られ、その様からはあまり思想的に偏ったドロドロ感は全く感じられない。正直、拍子抜けと言った感じである。まあ、単なる肌で感じる空気感なので、あまりそれ以上の意味はないのだが・・・。

さて以下が本題であるが、靖国神社の本殿の横の方に、小さな社がひっそりと建っている。これが鎮霊社で、以下に写真があるが小さなものである。

靖国神社 境内のご案内「5.鎮霊社」

ご存知の方も多いと思うが、昨年の安倍総理の靖国参拝後の声明の中でも触れられている。

==========================
靖国参拝後の首相談話より2013年12月26日
「本日,靖国神社に参拝した。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し,尊崇の念を表し,そして御霊安かれ,なれと手を合わせて参りました。そして,同時に,靖国神社の境内にあります,鎮霊社にもお参りして参りました。
 鎮霊社は,靖国神社に祀られていないすべての戦場に倒れた人びと,日本人だけではなくて,諸外国の人びとも含めて,すべての戦場で倒れた人びとの慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りをしました。
 すべての戦争において命を落とされた人々のために手を合わせ,ご冥福をお祈りし,そして,二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代を作る決意を込めて,不戦の誓いをいたしました」。
==========================

実は、私が最初にこの鎮霊社のことを知ったのは、私の好きな、ぼやきくっくりさんが下記の書き起こしで紹介していたからである。

ぼやきくっくり2013年10月24日「10/23放送 関西テレビ『アンカー』青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

靖国神社の本殿には上述したように、幕末以降の多くの志士たちが合祀されているが、この中には例えば西郷隆盛や白虎隊、彰義隊などの志士などは含まれておらず、これは天皇に逆らう云わば賊軍として捉えられているためであり、天皇陛下という軸を基準に(敵か味方かで)明確に線引きがなされている。ただ、厳密に言えばもう少し微妙で、砲弾の飛び交う戦地で従軍看護婦として働き死亡した方々も、ここには合祀されている。一方で、空襲や広島・長崎の原爆で亡くなった方々は含まれていない。言い換えれば、日本国内で天皇陛下を崇拝し、「欲しがりません、勝つまでは・・・」と言って死んでいった者は合祀されておらず、戦地で捕虜となった敵兵も含めて負傷兵の治療に当たり、天皇陛下より何よりも、戦いで傷ついた兵士たちを助けたいとの思いの強い看護婦は合祀されている。この意味では、天皇陛下という軸では割り切れないようなモヤモヤっとした何かがあり合祀の判断がなされ、その微妙な線引きに対する後ろめたさの様なものから、この鎮霊社があるのかと勝手に想像した。

実は後から調べて知ったのだが、この鎮霊社の存在は、学者たちの間でも議論の分かれるところで、イマイチすっきりとした説明がなされていないのだという。というのも、この鎮霊社ができたのは1965年のことである。明治2年からすれば100年近くの日々が経っており、戦後も既に20年が経過している。また、先ほどの写真を見ても分かる通り、非常に質素な社である。非常に失礼な言い方で恐縮だが、靖国神社の本殿の建立の費用は多分、数十億単位であろうが、鎮霊社は多分、数百万円でお釣りが来そうな質素さである。しかも、参拝を希望すれば参拝できるそうだが、現時点ではここには鍵がかけられていて中に立ち入ることは出来ない。先程の青山繁晴さんは「警備員がいるから、お願いすれば入れる」と紹介していたが、本殿側の入り口には確か「参拝不可」と書かれていて、仕方がないので大回りして横側の方からアプローチすると、そこには「参拝希望者は社務所?にお回りください」と書かれていたように記憶している。お手を煩わせないと参拝できそうもないので、結局は20mほど離れた柵の外側からお参りを済ませた。何とも不思議な場所である。

ところでこの鎮霊社、色々と奥が深いようである。まず、下記のブログを読むと、安倍総理の参拝の前に、朝日新聞の記者が「鎮霊社」の活用を指摘している。

社会科学者の随想2014年3月5日
安倍晋三を靖国神社の鎮霊社にいかせるために『要らぬヒントを与えた朝日新聞の記者』駒野剛の大失策

このブログの中に克明に紹介されているが、実は昨年の8月、朝日新聞の駒野記者が総理大臣の慰霊先として靖国神社の鎮霊社を利用することを提案している。この記者の記事を朝日新聞のサイトから読むことは出来ないが、このサイトでは読むことが出来る。ポイントが少々曖昧で、鎮霊社のみを参拝する提案なのか本殿と鎮霊社を両方参拝する提案なのか分かり難いが、後者であればまさに安倍総理の行動そのものである。この意図することを私の言葉で意訳すると、「合祀されている者」という線引きで分けられた集合Aと、その補集合(A以外)の集合B(つまり「合祀されていない者」)に分けると、A+Bは全てを含むので、集合Aのために靖国神社本殿を参拝し、集合Bのために鎮霊社を参拝するとすれば、これはA級戦犯も糞もない、戦争の被害者全てに祈りを捧げていることになるからOKというロジックである。多分、安倍総理もこの考え方に沿っているのだろう。

ただ、このブログの主は否定的な立場でその提案を批判している。その細かいところは結構マニアックなので解説する気はないのだが、この関連を調べていると下記に面白い記事があった。

薔薇、または陽だまりの猫
2006年8月29日「鎮霊社『靖国』の回答検証/東京新聞
(および東京新聞特報より「『鎮霊社』からみた靖国神社 ひっそり鉄柵の中(8月12日)」)

これは、どうも東京新聞も大分前から鎮霊社に着目しており、その鎮霊社のことを記事にしている。ここには大きく二つの記事が記されており、前半部分は東京新聞が靖国神社に対して鎮霊社に関する質問を送った際のその回答についての記事が、後半部分には最初に2005年に東京新聞が記事として取り上げた際の深い考察が記されている。後半部分については、学者の考察の中でも、やはりとっても異質な鎮霊社の何たるかが良く分からないとの指摘があり、何故、100年も経ってから立てたのかは良く分からない。ただ、一説によれば(あくまでも一説に過ぎないが)、A級戦犯合祀に否定的な宮司の筑波氏が、A級戦犯の合祀を求める動きが出始めた頃にそれを察知し、合祀の前にその(英)霊の収まりどころとして急遽、鎮霊社を立てたのだとも言われる。この鎮霊社は先ほどの例では集合Aの補集合であるから、合祀された側と異なりその祀られている人の名簿は存在しない。漠然と、西郷隆盛や白虎隊、彰義隊などが含まれていると「語られている」に過ぎない。

ところで面白いのは前半の質問と回答の欄である。質問(2)には「A級戦犯の本殿への合祀(ごうし)を避けるため、鎮霊社を建立し、以後、合祀された一九七八年まで、実際に祀られていたという指摘がある。これは事実か。」とあり、これへの靖国神社の回答は「学者にはいろいろな推論もあろうが、御本殿の御祭神と鎮霊社の御祭神では全く性格を異にしている。鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象と認識している。」となっている。どうも「奉慰」とは霊を慰めること、「顕彰」とは「個人の著名でない功績や善行などをたたえて広く世間に知らしめること(Wikipedia)」とされており、この意味では合祀されていない者は天皇陛下ないし朝廷から見て賊軍の様なネガティブな要素を含むという立場ではなく、逆に合祀されている者が何らかの加点材料があり、その功績や善行をたたえているということらしい。この質問と回答の面白いところは、この記事に記載されている下記の文章から読み取ることが出来る。

==================
「神社側は一時的にでもA級戦犯が鎮霊社に祀られていたなら、否定はできない。だが、肯定すれば、A級戦犯は鎮霊社から分祀して本殿に移されたと認めることになる。これは靖国を深刻な矛盾に直面させる。つまりA級戦犯の本殿からの分祀を拒んでいる靖国自身が、分祀した過去を認めることになるからだ」
==================

つまり、1965年からA級戦犯合祀の1978年までの間、仮にA級戦犯が鎮霊社に祀られていたとすると、本殿への合祀の際には鎮霊社から分祀されたことになる。「A級戦犯を分祀せよ」との要求に、靖国神社は「分祀は不可能」との立場を示していたから、仮に鎮霊社からの分祀が事実ならば再度、鎮霊社にお帰り頂くのは可能になってしまう。だから、論理的にはこの質問(2)には「No!」と明確な回答があって然るべきなのだが、実際にはそうでなかったところが靖国神社側にも何らかの葛藤があり、それが理由で言葉を濁したという推測である。中々興味深い論点である。

さらに言えば、この回答はA級戦犯が顕彰の対象であるということは、つまり功績を称えられるべき対象だと宣言したことになる。A級戦犯はその後に名誉は回復されるのだが、当初は戦争犯罪人として死んでいったのだから、顕彰される理由は「A級戦犯と認定されることになった元の行為」か「A級戦犯として死んだ行為」の何れかになる。折角だから、靖国神社にその理由を明確に聞いて欲しいものだが、多分、予想される答えはA級戦犯の汚名を着せられても、身を挺して日本国および天皇陛下をお守りした行為がその顕彰の理由なのだろう。しかし、微妙なのはA級戦犯は基本的にその容疑を否認し、無罪を主張していたのであろうから、そこで無罪になっていたら顕彰の対象とは成り得ないのである。その意味では、彼らは意図せずに棚から牡丹餅的に顕彰の対象になったと見ることもできる。この意味で、1978年になってからのA級戦犯の合祀という行為は、「鎮霊社」というフィルターを通してみてみると、中々、一筋縄ではいかない矛盾やモヤモヤっとしたところが炙り出されてくるようである。
少々、ゲリラ戦法的なところは否定できないが、この鎮霊社を軸とした論争を深めることが、総理の靖国参拝問題(ないしはA級戦犯合祀の問題)の解決の糸口にはなりはしないだろうかと感じたところである。この様な視点に辿り着いたというのも、個人的な靖国参拝の成果だったかも知れない。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます


最新の画像もっと見る

コメントを投稿