けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

超過死亡にみるコロナの正体

2021-02-28 22:52:43 | 政治
今日書くことは、8割方、辛坊治郎さんのメルマガの受け売りであることを断っておく。多分、辛坊さんの立場では言えないことが山ほどあって、でも勝手ながら、その行間があまりにも奥深く感じ、私なりにそこを補って書かせて頂いた。行間を読み間違えれば、辛坊さんの意図とは全く異なる内容かもしれないので、ここに書かれたことは辛坊さんの発言とは異なることにはご注意して頂きたい。ただ、個人的には辛坊さんにも共感を頂けるのではないかと思っている。

まず、この記事でのポイントは「超過死亡」である。最近、2020年の超過死亡が如何程であったかが、世界的にも出揃ってきていて、日本でも2/22に新聞記事になっていた。まず、「超過死亡」について説明しておく。

多分、年間の死者数というのは暖冬や寒波などの気候とかにも影響を受けて多少のブレ幅はあるのだが、長年の統計から年齢ごとの人口10万人毎の死亡者数(ないしは死亡率でも良いが)が明らかになっている。一方、年齢ごとの人口構成はいびつな形なので、それが1年ごとに高齢側にシフトしていく。なので、年齢ごとの死亡率と人口を乗算して総和を取れば、次の年に何人ぐらいの死者数が出るのかというのは統計的に十分に予測できることになる。この様にして2020年の死者数の予測値を出し、実際の2020年の死亡者数からこの予測値を差し引けば「超過死亡」が求められる。
ちなみに、総務省統計局のホームページなどを見ると、毎年の死者数のデータが閲覧できるので、それを基に平成21年から平成30年までの10年間の死者数の推移をみると、年平均で死者数が22000人づつ増加している。正確な予測は人口構成に死亡率を乗算して加算するなどの計算で求めるのだろうが、近似計算でよければ当年の死者数に22000人を加算すればそれで翌年の死亡者数の予想ができるはずである。

ここで、2020年の特異性は、コロナが猛威を振るったことであり、超過死亡は世界的にこの影響を受けている。例えばアメリカではプラス50万人、英国などでは十万人と、十万人単位で死者数が超過しているのだが、これがコロナに起因しているのは明らかである。

・・・ここまでの話であれば誰も違和感など抱かないのであるが、辛坊さんの奥深いところは、ここから2点の着目すべき視点の指摘があったことである。まずは1点目にフォーカスしてみる。それは、欧米において軒並み超過死亡が十万人単位で増加する中で、極めて特異的であった国がある。それはスウェーデンであり、スウェーデンでは超過死亡が突出して少ないと言うのだ。これは極めて興味深い結果である。スウェーデンと言えば、欧米各国がロックダウンをする中で、ロックダウンを拒否した数少ない国である。だから、常識的に考えれば、ロックダウンしてなければ膨大なコロナ死者が出てもおかしくないはずなのだが、超過死亡は極めて少ないという。ただ、ではコロナ死者がいなかったのかと言えば、そうではなくて他の欧米諸国と同様に死者は出ている。他の国と同レベルで死者が出たのだが、超過死者は殆ど出ていないというのだ。

ここまで聞くと頭を抱えてしまう人も多いと思うのだが、答えは意外なところにあった。スウェーデンは高福祉国家として有名だが、80歳を過ぎると延命治療を行わないのだという。思い出すと、私の父が肺炎になって重篤化した時、医者は延命のための措置を希望するかどうかをまず最初に私に聞いた。父は糖尿病がひどく、食事制限に苦しみ、この様な状態で生きながらえるのを望んでいなかったから、更にベットに縛り付けられるような延命治療を望むはずもなく、間髪入れずに延命治療を断った。1日もたたずに父は亡くなったのだが、これは言ってみれば「お迎えが来た」タイミングで、お迎えの使者を拒むことなく、天に召されただけの話である。コロナの場合、普通の人には鼻かぜと同レベルのリスクでしかないが、基礎疾患がある高齢者には非常に危険な病気である。スウェーデンで超過死亡がほとんど増加していないということの意味することは、「お迎えが来た」方に対しては、きっちりと「天に召される」ことになるのだが、一方で、「お迎えが来るべきでなかった」方の場合には、殆ど「天に召される」ことがなかったということである。分かり易く言えば、基礎疾患のない若者は全くと言っていいほど死ぬことがなく、一方で「天に召されるべき」方は予定通り天に召されてしまうのである。

では、何故、欧米では超過死亡が大幅にプラスになったのか?それは、欧米の(広義の)延命治療や過剰な治療においては、「天に召されるべき」方が天に召されずに生きながらえているのである。それが、コロナが天に召されるべき」方を天に召してしまっていたために、結果として多くの超過死亡のプラスにつながったのである。

ここまで書くと誤解を与えるかも知れない。今回、コロナで亡くなった方々は、「どうせ死ぬべき運命だった」と言いたいのかと責められそうだ。しかし、この部分に対する答えともいえることが、辛坊さんの二つ目のご指摘ポイントである。それは、日本の2020年の死者数が前年マイナス9000人であったという点である。先にも書いたが、日本では例年、死者数が22000人増加するのがトレンドである。なので、死者が9000人減ったということは、超過死者はトータルでマイナス31000人(概算)であることを意味する。つまり、コロナのせいで、3万人以上の方が本来死ぬべきところを死なずに済んだという話である。これが意味することは何なのか?

厳密な答えは学術的な解析によって明らかにされるべきだが、容易にその答えは類推することができるのである。まず、アジア/オセアニア地域では、所謂ファクターXによって、欧米に比べてコロナウイルスが持つリスクが極端に小さい。しかし、それだけなら超過死亡はゼロになるだけでマイナスにはならない。大きなマイナスとなるにはそれなりの理由がある。例えば、高齢者の死因の上位に位置する肺炎球菌であるが、例年、約3万人の死者を出しているという。肺炎球菌の細菌は成人では3~5%程度しか保菌者がいないが、乳幼児は非常に高い20~50%の確率で保菌していることが知られている。これの意味することは、肺炎球菌で亡くなる高齢者の方は、ある程度の確率で可愛い孫からうつされているのである。であるならば、年間3万人もの肺炎球菌の死者を画期的に減らすためには、単純に「高齢者は孫と会ってはいけない」「自分は良くても、孫にうつされた肺炎球菌を他の方に映すリスクを考えれば、『孫警察』を作って、孫と会おうとする高齢者を取り締まるべきだ!」とすべきである。今回のコロナ禍では、期せずして高齢者が孫と会う機会を社会が奪った為に、結果的に肺炎球菌で亡くなる方が減った。実際、ある記事によれば肺炎の死者は12000人、インフルエンザの死者は2000人減ったという。三万人とのギャップはまだあるので他にも色々あるのだろうが、可愛い孫と会うことを諦めたために救われた高齢者の命が万単位であることは間違いなさそうだ。

多分、高齢の方を1万人集めて「孫と会わずに我慢すれば、年間3万人程度の不運に見舞われることを避けることができますから、金輪際、孫と会うのを諦めましょう」と聞いたとき、それに賛同する方は一人としていないだろう。一方で、「孫と会ってじゃれあったために運悪く肺炎球菌をうつされて死んだとしても、そんなのはただそのタイミングで天からお迎えに来ただけで、そんなことを恨んでも仕方がないでしょう」と問えば、ほぼ全員がそれに賛同してくれるだろう。

肺炎球菌は、ワクチンもあればある程度の治療法のノウハウも蓄積され、適用可能な薬も多数あるはずなのに、にも拘らず年間3万人が死ぬ病気である。コロナの場合、ワクチンもなければ特効薬もなく、変異種も次から次へと現れる病気なのに、2020年に日本での死者は1万人にも満たない。多くのマスメディアは肺炎球菌のリスクを取り上げることを殆どせず、孫と会おうとする高齢者を非難したりすることはないが、コロナだけは別格で、些細なことも大げさに化け物の様に煽りまくる。多くの高齢者は結果的に孫と会えず、生活の質も大きく低下したはずである。

話は少しそれるが、実はコロナに関して、「重症者数」「死者数」などが毎日発表されている。ちょっと前までは、私もなくなる方のほとんどは「軽中等症」⇒「重症者」⇒「死亡」という流れで推移するものと思っていた。しかし、実際には「重症者」にカウントされることなく「軽中等症」⇒「死亡」となる患者が多いという。というのは、(これも辛坊さんがラジオで指摘していたことだが)「重症」とカウントされる方の治療内容は所謂「延命治療」に相当するもので、基礎疾患を持っていたりすれば、仮にコロナを克服しても、その後もベッドに縛り付けられた生活を余儀なくされたりするため、延命を望まない方々が「重症者」向けの治療を行うことなく亡くなっていくケースが多いという。多分、コロナの治療はかなり高度な治療を受けても国が負担してくれるのだから、「重症者」向けの治療を経済的理由で拒む必要はないのだが、それでもその道を選ぶ人は少ない。まさに、「お迎えが来たのだから、抵抗して天からの使者を追い返すことなどせず、安らかに天に召される」道を選んだことに相当する。

遅かれ早かれ、人は100%必ず死ぬ運命にある。いつかは天からお迎えが来るのである。日ごろから健康に気を付けて節制していれば、お迎えはなかなか来ないし、暴飲暴食で不摂生をしていれば、お迎えはすぐそこにいることになる。スウェーデンの例から分かるように、コロナというのは、天からのお迎えがある方には脅威だが、天からのお迎えがない方にとっては殆どリスクとも言えない病気である。基礎疾患がある、お迎えがいつ来てもおかしくない方々にとっては、その様なお迎えを無理してでも拒絶する道を求めたくなるのは分からなくもないが、その無理によって何が起きるのかはちゃんと見極めなければならない。

ここからは高齢者の方々に、冷静に考えて頂きたい話である。

様々な病気に対して、「天からのお迎えに抵抗して、天からの使者を強引に追い返す」方法にはいくつかのバリエーションがある。例えば、(それに本当の効果が伴っているかは別として)緊急事態宣言などもその一例である。人の移動をシャットアウトして、じっと家に籠っているということは、まずもって孫と会うことを諦めることを意味する。別に緊急事態宣言がなければ孫と会うことが解禁されることではないので、この状態があと何年続くかは分からない。日本医師会などの無責任な人達からすれば、数が減ったぐらいで安全などと言えるわけはなく、数年単位でこの状況は続いてもおかしくはない。しかし、孫と会うこともできなければ、旅行や外食も控えるのだから、「Quality of Life(QOL)」すなわち「生活(人生)の質」は明らかに落ちることになる。これが「天からのお迎えに抵抗して天からの使者を強引に追い返す」ための代償なのである。メディアは無責任に、「半年の我慢」「1年の我慢」などと暗黙の期待を人々に匂わせて長期にわたるQoLの低下を強いるのである。高齢の方々にとっての数年は、残りの人生の何割ものウエイトを占める。80歳の時の1年間で楽しめることと、100歳の時の1年で楽しめることには雲泥の差がある。マスメディアは、決して高齢者にとってのこれからの数年間が、その人の人生にとってどれほどの価値があるかなど考えてはいない。本来は高齢者からの不満の声が上がってもおかしくないが、マスメディアによる洗脳は計り知れない。

そして、このQoLの低下は高齢者自身だけではなく、多くの若い世代のQoLも道ずれにすることになる。自分も含めた多くの人々のQoLを落とし、経済を停め、国を崩壊させ、特に旅行業界や飲食業界の人々の人生を崩壊させる。マスコミも高齢者も、肺炎球菌の場合には「天からのお迎え」を容易に受け入れるのに、話がコロナになると「天からのお迎え」を頑ななまでに拒むのが現状である。

コロナが本当にエボラ出血熱やペストの様に、触れた人は老いも若きも片っ端から地獄に導く病気ならいざ知らず、肺炎球菌などと対比すれば(少なくとも日本やアジア・オセアニアでは)「天からのお迎え」に毛の生えたようなものであることは分かってきた。であれば、特に高齢者が率先して怒りだせば、マスコミも野党も考え方を変えるのだろうが・・・。

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