けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「検察庁法改正案に抗議します」の意味すること

2020-05-13 23:45:57 | 政治
最近、検察庁法改正法案に反対する芸能人が尋常でない数に増えている。これって何なんだろう・・・と思い、自分なりに要点を整理してみた。すると見えてきたことがある。断言しても良い。この法案に反対している芸能人は、この法案自体に問題があると思い反対しているのだろうが、何故この法案に問題があるのかを一人として理解していないことが分かった。以下、私なりの理解を整理してみたい。説明は、全体を5つのパートに分けて説明したい。いろいろ間違っている部分もあると思うが、細かい点はご容赦願いたい。

(1)検察庁法改正法案、国家公務員法等の一部改正に関する政府の言い分
まず、法案を提出する政府の言い分を代弁してみたい。要点はこうだろう。

近年、年金の財源がひっ迫する中、年金の受給開始年齢を引き上げている。民間企業であれば、これに合わせて定年の年齢の見直しがなされるが、国家公務員や地方公務員の場合には法律を改正してこれに対応する。検察官は国家公務員であるから普通は国家公務員法等の一部改正でカバーできそうであるが、何故か検察官の定年は検察庁法で規定されているので、同じ国家公務員である検察官の定年を延長するためには検察庁法も合わせて改正する必要がある。

以上の説明について、ニュートラルな立場で読めば、この立法行為に何ら問題がないのは明らかだろう。

(2)検察官と三権分立について
テレビを見ていると、三権分立を揺るがす由々しき問題であると指摘する人が多い。そこで、これまた政府の言い分を代弁してみたい。まず、司法、立法、行政を分離し、それぞれが相互に独立して振舞うことが民主主義の原則であろう。ここで、本来であれば検察は「行政」側の機関であるので「司法」というのは不適切かも知れないが、敢えて野党やマスコミの論調に従って「司法」を守る機関のひとつとみなして説明する。要点はこうだろう。

検察の検事総長、検事長などの幹部の任命権は法務大臣にあり、法務大臣が恣意的に自分の息のかかった者をトップに据えれば、政権与党内部の犯罪者を逮捕せずに済ませることが可能になってしまう。なので、法務大臣が恣意的に検察人事を好き放題決めるのはまずいだろう。しかし、では検察の人事権を誰に持たせるかと言えば、法務大臣(内閣サイド)以外に選択肢になり得るのは検察内で自分たちの人事を決めることである。実際、この2者択一となるのであるが、この後者には大きな問題が付きまとう。それは検察の暴走である。実際、検察が常に中立な立場で法の番人を振舞っていたかと言えばそうではなく、膨大な権力を不当に振るわないようにさせるためには、何らかの管理下に置かなければならない。したがって、法務大臣が勝手に決めるのもダメ、検察内部で勝手に決めるのもダメ、ということで八方ふさがりに陥りそうなのだが、実際には上手い運用上の落としどころを歴代政府は採用している。それは、検察側に人事案を提案させ、内閣がそれを承認するという方式である。これならば、検察が「流石にやりすぎだろう!」ということをしたら、法務大臣がストップさせることもできるし、法務大臣が検察側の提案を理由もなしに拒否したら、それは法務大臣の暴走と一般の人にも可視化できるので、双方が微妙に綱引きをしてバランスを保つことができる。

以上の説明についても、ニュートラルな立場で読めば、それほど違和感はないであろう。

(3)今回の問題の出発点
ここから先は私の思い込みで説明する部分も多くなるので間違いがあるかも知れない。この辺はご容赦願いたい。

まず、上記(2)における人事においては、検察庁法内で検察官の定年が定められている。多分、誕生日がくると定年で肩を叩かれるのであるが、一般の民間企業では「誕生日=肩たたき」とはならず、年度末に退職となるケースが多い。察するに、民間と同様に検察でも(定年を迎える年度の前の)年度末などキリの良いタイミングで定期的に人事異動をするのが基本ではないかと思うのだが、法律で誕生日となっているので、場合によっては誕生日まで粘ることは可能であろう。

現在の検事総長は稲田氏で、その後任の筆頭は東京高検の黒川氏である。話によれば、稲田氏(ないしはその取り巻き)は夏に行われる国際会議に検事総長の肩書で出席して花道を飾ろうと思ったようで、検察サイドから総務大臣には、年度末ではなく国際会議終了後まで稲田氏を続投させ、そのあとのタイミングで黒川氏にバトンタッチをする提案をしたようだ。ところが、黒川氏はそのタイミングでは定年の誕生日を迎えてしまい、そのままでは引き継げない。そこで、黒川氏の定年延長を特例に従い閣議決定し、当初の予定通りに稲田氏⇒黒川氏のバトンタッチを検察サイドから総務大臣に提案した。この提案を受けて、内閣サイドには二つの選択肢があった。最もシンプルで「そもそもこうあるべき論」に従えば、稲田氏の4月以降の続投を拒否し、年度末で稲田氏から黒川氏にバトンタッチすることが最も自然であったろう。しかし、検察サイドの人事案を拒否するというのは慣例的にはあまり好まれないので、そこまで拒否する強烈な理由も見つからないということで、ふたつ目の検察サイドの提案を飲むことになったのだと思う。

この様な流れであったなら、特に恣意的な判断をそこに挟まなければ、上記の2者択一になるのは極めて自然であろう。私なら前者の年度末交代を好むが、それはその人の好き好きで、後者を選んでもそれほど責められる話ではない。

(4)この問題における第3の選択肢
以上の(3)の説明は、なるべく恣意的な操作を排除して議論した場合のお話。しかし、ここで野党やマスコミの黒川氏への評価が加わると話が急にややこしくなる。

ここ数年の安倍内閣では、閣僚の中に公職選挙法をはじめとする脱法行為を行いながら、逮捕されずに済んでしまった人が何人かいる。素人の私にも、「なぜ逮捕されないの?」と疑問に感じることは多い。しかし、私も専門家ではないので例えば誤りに気が付いて訂正申告や、脱法行為の是正のための行動などがあった時に、逮捕するのかしないのか、これまでの慣例でその線引きがどの様になっていたのかは知らない。なので、それが妥当なのか不当なのかは判断できない。しかし、野党やマスコミは、その渦中の東京高検のトップの黒川氏が、「安倍総理の犬」となり下がって恣意的に逮捕せずにここまで来たと思っているようである。その様に思うことは悪いことではない。主義主張でしかないので。

しかし、この黒川氏が検察のトップ、検事総長になりそうだと知った途端、彼らはなりふり構わぬ行動を取る。つまり、上記(3)での第3の選択肢、すなわち、稲田氏の続投は認めるが黒川氏の定年延長は認めない、というものである。これはかなり恣意的なもので、稲田氏の続投を「自分勝手なことをするな」と責めるなら分かるが、自分たちが嫌いな黒川氏を検事総長にさせないためなら、稲田氏の続投には目をつむり、黒川氏の方だけ定年延長をストップするという、如何にも恣意的な判断を強要することになる。しかし、世の中はそこまでこの問題に熱心ではないので、あっさりと閣議決定されて話が進んでしまった。

私は民主主義を守るためには、可能な限り、法律や慣例の恣意的な運用は避けるべきだと思うので、この野党やマスコミの行動には賛成できない。仮に黒川氏の検事総長就任を阻止したいなら、ストレートに黒川氏が如何に不適任者であるかを主張し、内閣が黒川氏を検事総長に任命出来ないように追い込むのが筋だと考えている。

(5)「検察庁法改正案に抗議します」の意味すること
少し話がそれるが、物事を誤ることなく正しく状況判断するためには、「目的」と「手段」を明確に区別することが定石である。目的は最終的に何を実現したいかということであり、そこにたどり着くことを最優先とするならば、それを実現するための手段はどれでも良い。あくまでも、目的を達成するために、最も可能性が高い筋の良い手段を選べば良いだけである。ところが、多くの場合に「手段」が「目的化」してしまい、何をやっているのか訳が分からなくなっている人が多い。

分かり易い例では、野党の目的は、本来は「日本国民を幸福にすること」「そのために有効な政策を実現すること」であるはずである。そんな彼らがその目的を達成するための手段として選ぶのは「安倍総理を引きずり下ろすこと」である。しかし、安倍総理を引きずり降ろしても、自分たちが国民に支持されなければ、自分たちの政策を実現することは出来ない。単に、政権与党の中で頭を挿げ替えて終わりである。しかし、その単なる手段が、現在では彼らの「目的」になっている。極めて不可思議な行動である。

この様に整理して、多くの著名人が「検察庁法改正案に抗議します」と言っている理由を考えてみる。常識的に考えれば、この法律が「悪法」だから、その「悪法」を現実のものとしないことを「目的」として、「検察庁法改正案に抗議します」と言っていることになる。しかし、前後の流れを読み解けば、彼らの目的は「黒川氏の検事総長就任を阻止する」ことの様に見える。テレビのワイドショーを見ても、「黒川氏の検事総長就任を阻止する」話で埋め尽くされているからだ。しかし、不思議なことに、この法案が通っても通らなくても、黒川氏はこの法案の恩恵を受けることもなければ、不利益を被ることもない。黒川氏の去就を左右する要素は、この法案の中には何も書かれていない。既に黒川氏の定年延長は閣議決定で確定しているし、法案の施行が法案成立よりもずっと遅れてなされることのため、この法案が成立しても黒川氏は適用外になることがすでに確定している。なので、黒川氏の検事総長就任問題と、この法案が悪法か否かの問題は、まったく関係のない別問題である。だから、著名人が「検察庁法改正案に抗議します」と言っていることの意味を理解しているならば、この法案そのものが「悪法」であると認識していないと辻褄が合わない。

では抗議する著名人は、この法案が本気で悪法だと信じているのだろうか?もしこれが本当に悪法なら、仮に政府が「この法案は、今通常国会ではコロナ問題を優先するために取り下げます。コロナ問題が一息ついた秋の臨時国会で、再度、提出します。」と言ったとする。だとすると、彼らは秋の臨時国会でも「検察庁法改正案に抗議します」と言い続けなければならない。しかし、秋には順当にいけば既に黒川検事総長が誕生していることになり、その時にも反対し続けるのかは見ものである。

これらの法律は、国家公務員の約5倍の人数の地方公務員の定年延長にも直結する。国家公務員の延長が決まらないと地方公務員の延長も遅れる。これらの公務員の生活を人質にとる法案への反対には、それに見合う錦の御旗が必要だが、秋にこの騒動が延期された時に、これらの著名人が本当に反対するのだろうか?もし反対しなければ、悪法でもない法律に反対していたことになるし、引き続き反対すれば地方公務員からの怒りの声が聞こえてくるだろう。

その様なことを考えて反対している著名人はひとりもいないだろうと私は確信している。論理的に破綻している「この法案に反対しないと三権分立が危うくなる」という主張を盲目的に信じて、「抗議した方がかっこいい」と勘違いしている人が100%なのだと思う。

政府は、堂々とこの法案を撤回すれば良いと思う。「コロナ対策優先!」と言えば、誰一人責めたりはしないだろう。政府が法案を引っ込めるリスクは小さいが、引っ込められた際の著名人のリスクは非常に大きい。

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