けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

実名報道の是非は、議論の本丸ではない!!

2015-03-06 00:48:24 | 政治
昨日、週刊新潮が川崎市の中学一年生惨殺事件の主犯の少年の実名と顔写真を掲載し、この件についての様々な方面からのコメントが相次いでいる。今日はこの件についてコメントしてみる。

実はこの事件は、事件の翌日頃から私もネットの書き込みを知っていて、主犯の18歳の少年のフルネームから顔写真、両親のバックグラウンド、家族構成から家族の写真に至るまで、全てが暴露されて「見つけたら通報!」といったニュアンスが乱れ飛んでいた。ただ、この主犯に次ぐ従犯の氏名は異なる名前が挙がっていて、逮捕時の名前を見て「アレッ?」と思った記憶がある。その後、その当時に名前が挙がっていた人物とは違う人物の名前が「関与しているのでは?」と流れてきたり、臨場感とでもいう様な不思議な感覚がネットの中に存在した。ただ、それ以上にショッキングだったのは、事件の前日に起きた横浜市の野毛山公園トイレで起きた男子中学生暴行事件(意識不明の重体との説あり)にも今回の主犯は関与しており、この少年を意識不明の重体にしておきながら、その日の夜に別の上村君を惨殺したというニュースに接した時だ。ちなみに、しかも上村君殺害事件で誤ってネットに名前が掲載されていた他の人々はこちらの事件の関係者ではないかということである。真偽のほどは分からないが、これらの情報を流したのがどの様な人々であるかは容易に予想がつく。読んでいるとやりきれなくなるが、現実は更にずっとその先を行っている訳である。

これらの事件の残忍さから、週刊新潮などは実名報道は当然であるという立場であるが、私の感覚では「議論はそこではないだろう!?」という感覚である。ここでの議論は「罰則がなくても法律には従うべきである」とか、「厳罰化すれば犯罪が減少する訳ではない」とか、少年法の精神は「まず第一に少年の更生」を志向しているので、その精神に照らし合わせたらどうか・・・ということだが、そろそろ発想の転換が必要なのだと思う。

この少年法というものは、戦後間もなくに出来た法律で、その後に少年少女による凶悪犯罪が起きるたびに改正の議論が高まり、実際、最近でも2000年、2007年、2014年に改正がなされている。この改正では基本的に対象年齢の引き下げ、18歳以上の重大犯罪には死刑も含めた成人の罰則と同一の径を課すことが可能になった。17歳以下でも16歳以上であれば成人よりは1段階低い刑罰を適用するなどの優遇?は残るが、成人と同様に裁判にかけることができる。15歳以下は刑事裁判の適用外だそうだが、昔よりは全体的にペナルティは重い方にシフトしており、11歳でも「おおむね12歳以上」と判断され少年院送致の可能性がある。

これらの改正で、ある程度は少年法のあるべき姿に近づいてきたと思うが、基本的な物の考え方が整理できているのかが疑問である。私が気にしているのは、少年法でも成人の法律でも同様なのだが、事件を起こした後の加害者の「更正」よりも重要なのは、事件を起こす前(すなわち加害者になる前)に「引き返す」ことへのアシストとなるような法律の考え方である。例えば、酒鬼薔薇聖斗を名乗る神戸連続児童殺傷事件の犯人や、先日の名古屋大学による老女殺害事件の犯人などは、厳罰化で防げるような犯罪などではない。もはや病気とも言える犯罪に関しては、何処かもう少し早い段階で事件を防ぐことができたかといえば、それは不可能に近い。酒鬼薔薇聖斗などは、色々と奇行を繰り返していたが、犯罪として牢屋や少年院に送れるような犯罪ではなく、仮に補導して指導していたとしても余り結果は変わりそうにない。

私が気にしているのは、例えば暴力団を撲滅させようとするのであれば、暴力団への資金供給をカットすることに加えて、暴力団員の脱会を支援する様な法的アシストを考えるべきだと思う。例えば、脱会を模索する組員に対する脅迫などは、通常の恐喝罪などへの刑よりも重くするのである。重いというのは、例えば「執行猶予付き」を「実刑」にしたり、刑期を50%増しにするなどの意味である。更には、逮捕されたことへの報復などの措置へは、更に刑を重くし、刑期を2倍にするとか傾斜させるのである。つまり、重大犯罪に達した後で「無期」を「死刑」に厳罰化しても、あまり喜ばしい話ではない。多分、無期刑になるような人を更生させるには相当な年月が必要で、例えば20年ほどの刑期を終えて更生して出所した人が20年後の世界で社会復帰できるかといえば、私の大好きな映画である「ショーシャンクの空に」の様に、あまり期待できるものではない。更生が更生として意味を持つのは、加害者側も更生すれば社会復帰できるレベルの場合で且つ、被害者側も加害者の更生を受け入れることができる場合である。

だから、例えば上村君の事件のケースでは、彼が目に大きなアザを作った段階で上村君からの申告がなくても、その周りからの通報で警察が加害者と目される人物に対して警告を発し、その警告がなされている状況において、報復と思しき行為が行われた場合に対する罰則を厳罰化するのである。今回、上村君がグループを抜けようとしたとき、主犯たちは「これ以上、俺に逆らえば殺しちゃうかも知れないぞ!」というブラフをかけたはずであるが、今回の様な殺人事件があると、このブラフが益々現実味を帯びてしまうことになる。グループから抜けたいと思っている上村君の様な少年を救うためには、早い段階からこのブラフを無力化する必要があり、明確な警告という形で逆ブラフをかけるのである。犯罪を実行に移さずに思いとどまればそれまでであるが、実行に移した場合には厳罰を本人も覚悟せざるを得ない。

イメージ的にはストーカー規制法的に、実際の犯罪行為に至らなくても、その前段の迷惑行為の段階で警察が積極的に関与して警告を発し、「ここで引き返せば大目に見るが、それでも一線を越えれば厳罰で臨む」として重大犯罪化を未然に防ぐのである。その時、被害者からの告発が条件となると、相手は確実に告発した人間を逆恨みするが、例えば上村君の両親や友人が警察に通報しても対応してもらえるのであれば、相手も通報者を特定しにくいので加害者と被害者の和解の余地が残される。

勿論、思い付きの話で細かいところを詰めていないのはその通りだが、その考え方のポイントは、「取り返しのつかない最後までやったものに厳罰」としても嬉しい人は殆どおらず、それよりも「取り返しのつかないところに辿り着く前に、クールダウンさせるための厳罰化・対策」の方がよっぽど救われる人がいるということである。やり方の工夫は必要だが、ストーカー対策のアプローチは参考になるのではないかと思った。

ここまで書いてきて、「これじゃあ、老女殺害の名大生や酒鬼薔薇聖斗は救えないよ!」と言われるような気がするが、最初に行ったように彼らの様な病的な人は全くアプローチが別であるべきである。これらには、精神科の専門家などの意見を踏まえて別の対策が必要だと思う。

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