that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

漫画喫茶+ファミレス

2005年04月20日 | なんとなくアレなやつ
根比べ合戦の優勝者決まりましたね。
我慢キング、ベネディクト16世さん。
ナイス粘り勝ち。

けんたです。




ふと思い出したのだが、学生の頃、試験前になると必ずと言っていいほどファミレスで勉強をしていた。ひたすらドリンクバーとポテトのみで、12時間くらい粘っていたのが今となっては懐かしい。「すいません、当店は勉強禁止なので、出て頂いてもよろしいですか?」とよく追い出されていたのも今となっては懐かしい。

誰も客いないからいいじゃん!

と小さい声で愚痴ったところ、ものすごい形相で店員に睨まれて、それ以降その店に行きづらくなったのも良い思い出(トラウマ)。



よくよく考えてみると、ファミレスを始めとする飲食店は「回転率」が命なので、この理屈も分からないでもない(暇そうな店は関係ないはずだけど)。

そこで思ったのが「回転率」に依存しない飲食店。これどーよ?
つまりは漫画喫茶と一緒で、滞在時間で請求されるというシステム。

これいいんじゃない?これだと「回転率」じゃなくて「稼働率」を気にすればいいので、色々な戦略がとりやすい。
料理は安くして、客になるべく長く滞在してもらう。
ワークグループ用のスペースを用意する。
試験前は漫画を撤去するなどなど。

まあ、後はそこらへん適当にパッパとチャッチャとやれば、アレがこうなって、ああなるから・・・成功するね、ウン。



あー。働きすぎ。疲れた。眠い。寝ます。おやすみなさい。
(ぐだぐだ)
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コンクラーベ

2005年04月18日 | やっちゃった系
今日会社の組織変更があり、新しい部署へ配属されました。
で、新部署の飲み会の自己紹介で「元○○部の癒し系キャラことけんたです」と言ったところ、みんなとても暖かな目で見てくれました。
良かったです。

でも、あれは暖かな目ではなく、冷ややかな視線だったのではないかと今さらながら思い始めてちょっと不安です。

けんたです。

(自称癒し系キャラなんてどう考えてもおかしいもんなぁ。酒って怖いなぁ)



以前のBLOGでダン・ブラウン著「天使と悪魔」を紹介したが、この「天使と悪魔」でも取り上げられていたコンクラーベが現在バチカン市国で行われている。

コンクラーベとは、次の教皇を決めるための儀式であり、賛成票の3分の2が獲得されるまで延々と投票が続くというもの。



しかし、コンクラーベって元々どういう意味?
ふふふ・・・説明しよう。

コンクラーベとは、ローマの司教たちが次の教皇を決めるために、日夜鍵のかかった部屋で投票を続けるという儀式である。

長い時には数週間かかるらしい・・・。
決まるまでずっと投票を続けるらしいよ・・・。
なかなか決まらないらしいよ・・・。
結構長い間やるから根気がいるらしいよ・・・。
多分・・・。



・・・。



えーと。
もう分かりましたかね。
根比ーべ。



くだらねー。
やっちゃった系ですね。
新部署の飲み会で受けた視線は、やはり冷ややかな視線だったと確信しましたね。

本当はcon=with, clave=鍵、つまり「鍵のついた」っていう意味らしい。
(教皇投票は鍵のかかった部屋の中で行うため)
最初からそう言えよ、って話しもあるけど。
コメント (3)
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スターリングラード・地獄の黙示録・パッション

2005年04月17日 | 本・映画・音楽レビュー
スロットをやめるとお金が減らない事に気がつきました。

けんたです。
相変わらず銀行残高は535円です。



今日は隔週で恒例となりつつある弟との映画鑑賞会。
上映作は:
スターリングラード
地獄の黙示録
パッション

スターリングラードとパッションは、ネタバレ込みで樺沢紫苑さんのサイトで詳しく書いてあるので、一度ご一読あれ。
超映画分析
映画の精神医学




ここからはネタバレがあるのでご注意を。
あと、いつもの「ぐだぐだ」はあまりない上に、無駄に長いのでご注意を。





スターリングラード
この映画はすごい。久々に良い映画を見た。樺沢さんのレビューを読んでこの映画を見る事にしたので、ストーリーもオチも分かっていたのだが、それでも楽しめた。

テーマに関しては樺沢さんの解説がしっくりくるのでほとんど異論はないが、別の切り口で考えた時に、劇中に出てきた二つの台詞が印象深く残っている。

1.雪山の中では、狼は3年しか生き延びられない。しかしロバは長く生きる。それはロバが必要とされているから。

これは、ヴァシリがターニャを前線ではなく後方支援部隊に戻るように説得する一連の件の中で出てくる台詞だが、実は本作のテーマに大きく関係しているような気がした。

ヴァシリはロシアのプロパガンダ政策の一環として利用されるものの、彼のスナイパーとしての生き方は「祖国のために」というスタンスではない。誰がために戦争に参加しているわけではなく、「気づいたら戦場にいた」という印象を受けざるを得ない。特に冒頭のシーンでヴァシリが鳩が豆鉄砲をくらったような表情をずっと続けているところなどは、「気づいたら戦場にいた」という部分を色濃いものにさせる。さらには話しが進むにつれ、ケーニッヒに勝てる見込みがない、殺される可能性が高いから、自らの防衛手段としてケーニッヒを殺さなければならない、そんな印象すら受ける。

同様にケーニッヒも「祖国のために」というスタンスではなく「息子の仇討ち」という完全に個人的な私怨のみで動いている。つまり、二人はこの時点では「ロバ」ではなく「一匹狼」として戦場に参加している事になる(二人とも国家からは「必要とされているロバ」扱いだが)。

しかし、ヴァシリはターニャと出会う事により、戦争以外の生きがいを見つけられるようになる。
この時点で、ヴァシリは「ターニャに必要とされる存在」、つまり「ロバ」としての自覚を持たざるを得ない状況になってしまった。

ヴァシリの「ロバは長く生きる」というコメントが、後のヴァシリ対ケーニッヒの対決の結末の伏線になっていた気がする。

また、若干まわりくどいのだが、「ロバ=必要とされている=長生き出来る」という事実そのものが反戦に対するメッセージだったような気もする。

人間で必要とされていない人なんぞいるだろうか?いや、ない。人間は全員目的を持ってこの世に生を受けている(「こういう人間は必要ないだろう」という極端で陳腐なコメントは遠慮願います)。

そんな中、特にロシア将軍は「部隊が半分になろうが知らん!お前も行って死んで来い!」などと、人を人として扱わない暴言を多数残している。

人間は生きてこそ人間。生きてこそ人生がある。「死んでこそ人間」という事実は絶対に存在してはいけないはずだ。

しかし実際のところは戦争によってそれがままならなくなっている。「死んでこそ人間」という事実が成り立ってしまっている。この事実を描写する事により、反戦的なメッセージを残しているわけだが、とどのつまり、ヴァシリの「狼とロバ」は、このテーマの伏線でもあったのではないだろうか?

2.There's always rich and the poor (中略) The rich, Love...the poor, Love.

これは劇中最後にダニロフが発したコメント。上記で書いたテーマと同じ。
共産主義者だろうとナチスファシストであろうとユダヤ人であろうと、金持ちだろうと貧乏だろうと、人間、それぞれ考え方も言葉も宗教も思想も身分も生き方も違う。

しかし、どんな生き方をしようとも、そこにはそれぞれの「幸せ」が存在する。
イデオロギーという名の統制が存在したり、共産主義という名の搾取(ロシア将軍の「ウォッカは贅沢品だ。キャビアは贅沢品だ。しかし時間は違う」という台詞が印象的)が存在していた世の中に対する疑問のなげかけだと思う。

人間には幸せを追求する権利がある。それはイデオロギーで統制されるものではない。そんな反戦に対するメッセージがあったのではないだろうか。



「なんで劇中はみんな(イギリス)英語だったの?」など、他にも色々と話しをしたいところはあるが、なんだか面倒くさくなってきたのでやめます(結局ぐだぐだな感じになっちゃったけど)。




地獄の黙示録
大学生の時に一度見て、かなり気に入った作品。
やっぱりコッポラ監督は最高だわね。
(スターリングラードについて書いたら疲れたので内容の詳細は割愛)

ただ、一つだけ言うのであればテーマとしてはスターリングラードに共通するものあり。

ちなみにキューブリック監督のフルメタルジャケットもおもしろいのでお勧め。
地獄の黙示録みたいに、復刻版をもう一回劇場で、なんてのないなかなぁ。





パッション
賛否両論の作品だが、個人的には結構楽しめた。

ただし。
私、個人的には、この映画、かなり思うところアリ。
というのも、私、中学時代をオーストラリアで過ごしたのですが、メル・ギブソンと同じ中学。

キリスト教系の中学だったので、当然「宗教」という授業もあり。
ただ、授業の中で取り扱うのは「旧約聖書に出ている○○さんは○○をした。この人、この時どういう風に考えていたと思う?」という内容で「キリスト教はすごい」とか「神様を信じなさい」といったものではない。むしろ哲学に近い形。キリスト教を信じるも信じないも、こういった話がある。それを個人で考えて、悩んで、その上で自分なりの理解をして、消化しなさい、といった方針だった(と、少なくとも私は思う)。

メル・ギブソンが同じような授業を受け、彼の宗教に対する考えがここで育まれていたと仮定した場合、パッションでの多くの描写に対して「アレ?」と思わざるを得ない、というのが個人的な意見。

例えば、ローマ兵の切り落とされた腕を元通りにするシーンだとか、自分が神の右腕だと言い張るシーンだとか、露骨に「キリスト=神」という描写が多いという点。

キリストの「鞭打ちの刑」であったり「十字架への磔」にしてもそうだが、それが聖書にて描かれているそのままの内容だったとしても、余りにも残酷で「キリストの受難」という点に重点が置かれすぎていて、あたかも監督メル・ギブソンが「キリスト教崇拝者」という印象を受けざるを得ない。

しかし、ここで敢えて逆説を取る。
さっきも言ったように、仮にメル・ギブソンが宗教に対して「中立的なポジション=宗教を自分なりに理解してみなさい」というスタンスなのであれば、このパッションという映画に対しての見解は180度変わる。

まず、回想シーンの中で、キリストが「大工の息子」として立派な机を作り上げる。マリアとのその後の会話も、ごくごく普通な「母親と息子」の会話だった。

「キリスト=神」として認知されている中で、何故このシーンが挿入されているのかがとても気になっていた。しかしごくごく当たり前に考えてみると「キリストも日々の生活を充実しながら生きていた=実は普通の人だったんだよ」という描写になっているのではないだろうか?

十字架を運ぶキリストの身を案じるマリアの姿もそうだ。マリアは単に息子を愛していた母親。それ以外の何者でもないのではないだろうか?

回想シーンの中で、幼少時代のキリストが走って転ぶシーンがある。その中でマリアは、キリストにかけより、心配そうにキリストを抱きかかえる。ごくごく普通に「息子の身を案じる母親」が描写されており、おおよそ「キリスト=神」というテーマには不要なカットだ。

そう考えると、実はメル・ギブソンがこの映画で伝えたかった事は「聖書で描かれているキリストVS実際のキリストはどういう人だったんだろうか?」という解釈も出来る。

また、それをさらに発展させると「聖書」と「キリスト教」に対する疑問や矛盾をこの映画で投げかけているのではないかとも思う。

例えば、今、キリスト教の総本山はバチカン市国だ。バチカン市国はローマ市内の近く、つまりイタリアの中にある。

しかし、劇中でキリストを苦しめるのはローマ兵だ。
鞭打ちのシーンを思い出して欲しい。必要以上に残酷なシーンが描かれ、知性のかけらもないようなローマ兵がキリストの鞭打ちを楽しんでいる。これが単に「キリストの受難」を描いたシーンだとは思えない。受難をテーマに置くだけならば、ここまで執拗に長いカットにする必要はない。

ローマ兵がキリストを殺した。
でもキリスト教の総本山はバチカン市国だ。なんかおかしくないか?
そんな誰しもが多かれ少なかれ抱いている疑問が、強烈に劇中内で炸裂しているような気がする。

ま、あくまでも仮定であって、個人的な解釈なので、そこらへんは予めご了承頂ければ幸いなんですが、尽きるところスターリングラードと一緒で、キリスト込みで「人間生きてナンボ、それぞれの人生がある」という点がテーマなんじゃないかなぁ、と思ってます。

書くの疲れてきたから、ぐだぐだな感じで終わっちゃいますけど。

さぁ、明日からまたぐだぐだな感じに戻しますよ。ネタも溜まってるんで。
でわ。
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ピエロ

2005年04月16日 | なんとなくアレなやつ
風呂あがりに髪の毛を乾かしていたら、「ハゲをどうやって隠そうかを鏡の前で必死に考えている自分」が夢に出てきた事を思い出した(2005年1月1日のBLOGご参照あれ)

あの夢、かなりトラウマになってることに気がつきました。

けんたです。




いつものいきつけのダーツバーに行ったら、たまたまBLOGの話しになったので、このBLOGを店員に宣伝しておきました。
そしたら店の宣伝もしておいて、ってことなので一応紹介しておきます。

恵比寿にあるピエロって店です。

変態級にダーツが上手くて髪がふわんふわんしてる人や、熊みたいな人や、髪の毛ピンクにしてチャラチャラしてる人など、店員一同がダーツを丁寧に教えてくれるので初心者でも安心です。

一度是非。



ちなみに、私、ダーツはやり始めてかれこれ2年くらいですが、一向に上手くなりません(というよりも下手になってきている、むしろ上手くなった試しがない)。最近は特にひどくて、ブル狙いで15トリプルキャッチは当たり前、18狙いで15のキャッチもたまにあり、15狙うとアウトボードという

「お前ダーツやめたら?」

状態になってます。
ある意味、私がピエロという話しが。

ちなみに今一番得意なところはダブルの外側のフレーム(当然アウトボード扱い)。
ある意味これはこれですごい。



しかし、まあなんだ。
最初は上手くなろうとしてたけど、周りに上手い人たちが多すぎるから、「もういいよね、上手くならなくても。飲んで楽しければいいよね」と割り切っちゃってるという話しが・・・。

諦めが良くて自分に甘い自分、大好きです。





とか言ってるけど、

本当は上手くなりたいんだよぉ~!!
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ハーモニ力(ちから)リターンズ

2005年04月14日 | なんとなくアレなやつ
ねぇ!知ってる!?知ってる!?
「ジョジョの奇妙な冒険」で、「空条家」の名札が「空條」になってるひとコマがあるんだよ!

(シーン)

けんたです。



昨日のハーモニ力(ちから)が気になって、ハーモニ力(ちから)が検索で引っかかるか見てみました。

まずは普通のハーモニカで検索すると、こちらがヒット。

ハーモニカ好きによるハーモニカ好きの為のハーモニカもっと好きになるサイト
・・・ ハーモニカ ジャパン ・・・


(うん、普通に濃ゆくて、若干ひき気味)



次にまさかとは思うけど、ハーモニ力(ちから)で検索。
まさかね・・・。
まさかとは思うけど・・・。
一応ね、念のため・・・。

(と引っ張るだけ引っ張っておいて・・・)




あったー!!

薮谷幸男さん

まじっすかぁー。本当にあるんだ。

(本文抜粋)
'93年9月、南ドイツのトロシンゲン市で行われた"ワールド八ーモニ力チヤンピオンシツプ'93"に出場した1人のアマチユアの日本の50代の男性がいきなりグランプリに輝いた。



「チヤンピオンシツプ」って・・・。
ボロボロだな・・・。



いやいやいや。
しかし、まあ、それはさておいても、まさか「ハーモニ力(ちから)」が本当にあるとは思わなかった・・・。
世の中広いもんですね。



ん?
あれ、ちょっと待てよ・・・。

これ、よく見てみると・・・




でたー!!





八ーモニ力(はちーもにちから)




本当に微妙だけど、よく見ると違う・・・。

こんなの想像の粋を超えてましたよ。はちーもにちから・・・(脱力)

このサイト作った人、絶対「誰かがハーモニ力(ちから)で検索するだろう・・・」と踏んで、敢えて「ハーモニ力(ちから)」って打っておいて、さらに二重のトラップで「八ーモニ力(はちーもにちから」を用意してたんだよ・・・。

まいった!!やられました!!完敗です!!




しかし、さすがにここまでは考えていなかっただろう・・・。

八一モ二力(81モ2ちから)






(シーン)








私がアホということでよろしいでしょう力(ちから)?
(しつこい)
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