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この激動の時期に思うこと(2)

2009年02月05日 | 仕事とか堅苦しい話
では、イギリスではどうなのだろうか。

イギリスでは「家族との時間を大事にする」だとか「サイドビジネスをする」という風潮が当たり前のようにある。これがワークシェアリング導入の大前提となっている。

例えば「今日は子供の送り迎えがあるから」という理由で15時に退社をしても誰も何も文句を言わない。そういう諸々の事情により、毎日のように家で働いている人も多い。詰まるところ、結果が出ていれば何をやっても良いのだ。良いか悪いかは別として。

サイドビジネスにしても同じ。
つい先日も、隣の席のやつが「ベジタリアン用のサラダ専門店がアメリカで流行り始めてるらしくて、その商標をレンタルしてビジネススタートしようと思うんだけど、どう思う?」なんて話をいきなりされた。そういう人間を他にも何人か知っている。

いずれにしても、こういう理由により、ワークシェアリングが比較的スムーズに導入されやすい土壌がイギリスにはあると考察している。



ところが、日本はどうだろうか。

ウェブの記事を読んでいる限りは、日本におけるワークシェアリングとは「今は辛い時期だからみんなで痛みを分かち合おう!みんな大変なんだから多少は我慢しなさい!」という、極めて体育会的な気質の強い大義名分として扱われているような印象を受けている。それは、自分が日本におけるワークシェアリングをしっかりと把握していないだけなのかもしれないし、本当にそういう気質なのかもしれないし、メディアの報じ方が悪いのかもしれないし、そのメディアが作り出す風潮を悪用しているだけなのかもしれない。実際のところは分からない。

いずれにしても結論から言ってしまえば、ワークシェアリングという制度は、欧米のそれをそのまま再利用しても絶対にうまくいかないと考えている。日本には欧米のそれとは全く異なる土壌があるからだ。

例えば「世間体」。
「ワークシェアリングのおかげで余暇に費やす時間が増えて良かったよ」もしくは「うちの旦那、ワークシェアリングのおかげでうちにいる時間が増えたから家事が楽になった」なんて堂々と言える人がどれだけいるだろうか。

さらには、日本における価値観。
何だかんだで、家父長制、亭主関白、年功序列、終身雇用などなど、日本人のDNAに刻み込まれているような価値観を、欧米の制度に合わせることは不可能。さらには、現実的な側面で言えば、マイホームを持って、一生をかけてローンを返済していくという価値観が未だに根強く残っている中で一体どうしろというのだろうか。

こんな中で、仕事が減りました、給料も減りました、でもみんな痛いんだから仕方ないよね、なんて悠長なことを言えるのだろうか。



解決策はあるのだろうか。

ものすごく単純に考えると、まず社会全体で「余暇」という名の遊休時間が増えることは間違いなさそうだ。

であれば、比較的安価なエンターテイメントが流行りそうだ。良い例が思いつかないのだが、例えばパターゴルフだとか、お祭りだとか、なるべく家族で時間を共有出来るような機会が与えられるようなものが良い。それが一旦流行ってしまえば、そのビジネスから労働を創出出来るし、ワークシェアリングの捉われ方も少し前向きなものになりそうだ。

あとは、欧米では当たり前のようにある「Corporate Responsibility(企業の社会貢献)」を積極的に導入するのも良いかもしれない。

例えば地域ボランティア。
企業における絶対的な仕事量が無いのであれば、その遊休時間をそこにあてるというのは労働時間の有効的な使い方だと思う。地域に貢献することで企業のブランディングも果たせるし、社員もそこから何か新しい発見が出来るかもしれない。また、そういう活動を通して、何か新しい労働力が創造出来るかもしれない。

農林水産業に労働力を提供するというのも一つ手かもしれない。
農林水産業の繁忙期限定で労働力を提供していき、労働力提供の結果として、例えば参加者は野菜がもらえるだとか、参加企業限定で野菜の社内特売があるなどのイベントも企画出来そうだ。もっとマクロな観点で言えば、色々な企業がそれを積極的に行っていけば、出荷物の単価が下がり、消費者の購買意欲向上に繋がるかもしれない。さらには、過疎化に対する糸口も見つかるかもしれない。



長々と自分の考えを述べてきたが、「お前は何様だ、ふざけんな、この理想論者が!」と言われれば返す言葉もない。自分は正社員の立場で派遣社員と接してきたから、派遣社員の気持ちが完全に分かっているわけではないし、経営者を経験したこともないから人を解雇するにあたって何を思い悩んだかなんて1ミリも分からない。だから、これはあくまでも「しがないサラリーマンの個人的な意見」どまりに捉えて頂ければ幸いだ。

ただ、個人的な意見ついでに言わせてもらえれば、これから考えなければならないのは、「自分たちにとって本当は何が大事なのか」を改めて見直すということなのだろうと思う。

個人レベルの話であれば、家族との時間をどうしたいのか、高い給料をもらうことが大事なのか、マイホームを持つことが大事なのか。

企業レベルであれば、身の丈に合った成長を遂げることが大事なのか、はたまた野心を持って飛躍的な成長を遂げることが大事なのか、その過程で生じるであろう様々な「犠牲」をどう扱うのか、売上高など数字一辺倒の価値観をどう捉えるのか、社員の本当の幸せを実現したいのか、自分の会社が社会全体というマクロな視点においてどういう役割を果たせるのか、人が悲しむような仕打ちをする会社を果たして「会社」と呼んで良いのだろうか。



以前、うちの父親も言っていたが、恐らくこれからは社会全体の価値観が少しずつ変わっていくような気がしている。それは、数字という無機質な判断基準だけではなく、もっと人間味のある価値基準が含まれたそれになっていくのではないかと考えている(少なくともそう願っている)。

その新しい時代において自分は何をするべきで、何が出来て、何をしたいのか。
時間をかけて、これからじっくりと考えていきたいと思う。
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2 コメント

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Unknown (kaede)
2009-02-05 16:08:10
介護の仕事や林業は慢性的な人手不足でこういう時期にこそ採用しようと活動しているようです。
何で人が集まらないかはやっぱり労働に対する賃金の低さですよね。
先日そういう特集をやってましたが林業って重労働なのにちょっとびっくりするほど給料が安かったんです。
そこが改善されないと難しいですよね。

過疎化対策&労働力の提供そういうの実施していて上手くいってるところもあるみたいですね。
学生が農業を手伝って野菜をもらえるとか。
そういうのを企業でっていうのも良い考えかも。
返信する
なるほど。 (けんた)
2009-02-06 00:57:19
まず何で林業が低賃金なのかが気になりますよね。重労働な上に専門性が必要な職種だからそんなことないとばっかり思っていたんですが・・・何なんだろう?木材の販売単価が安いのかな?流通過程が多過ぎるからコスト高とかかな?

ちょっと調べてみます。

あの記事書いた後に色々と思ったことなんですけど、例えばボランティアだとか、地域貢献だとか、あとは最近流行りのエコ活動だとか、こういうのって企業にとってなかなかインセンティブが働かないんですよね。何故なら金にならないので。

特にエコなんていうのは、最近で言うとコスト削減(しかも微々たる削減)が出来るっていう方が全面に出てきちゃってるし、あとは企業に対する枠組みとして、そういうものが強制的に発動されちゃうから、致し方なく導入している節もあるわけです。つまり、社会貢献というのは建前でしかないわけです。

ところが、今は市場全体での需要量が減っているから供給量もそれに合わせて減らさなければならないわけで、その結果として発生した余剰労働をどうにか消化しなくちゃいけないという機運が全世界で発生しているわけで、だからこそ「派遣切り」だとか「ワークシェアリング」というキーワードが、さも新しいトレンドのように注目され始めている。

で、あれば、その(言葉は悪いですが)余剰労働を消化するために、さっきのような「建前」を全面に出しながらやれば良いんじゃないの?とふと思っただけです。

個人的には「建前」がなんであれ、社会貢献は良いことだと思いますし、その中で学べることもたくさんあると思っているので、「企業に良いように扱われている」ではなく「普段触れることの出来ない新しい価値観に触れることが出来る機会」程度に捉えれば良いんじゃないかと思うんですけどね・・・。

当然、それが大掛かりになれば(例えば大企業がたくさん参画するなど)、社会的なプラスな効果も与えられると思いますし。

なんてことを思ったわけです、漠然と。
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