that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

動機は不純な方が良い

2009年08月08日 | なんとなくアレなやつ
今頃は飛行機の中だとは思いますが、つなぎで以下を。

以前にもチラッと書いたことがありますが、エスプレッソマシーンを買いましてですね、





軽くコーヒー中毒者の自分としては手放せないアレになりつつあるわけです。



で、そんな素晴らしくおいしいコーヒーを飲みながらふと思ったことが「何でそもそもこんなの買おうと思ったんだっけ?」ということ。

確かにエスプレッソで飲むコーヒーはインスタントコーヒーよりもはるかにおいしい。
そんなおいしいコーヒーを毎日飲めるのであれば!というのは十分な動機ではあるわけです。

が、ものぐさな自分がこんな重くてかさ張るものを大枚はたいて買うなんてあり得ない。
通常の自分であれば、「何かが欲しい < 買いに行くのがめんどくさい」という公式が成り立っているはず。



で、何でこんな工業機器めいたアレの購入にまで至ったのか、その記憶を手繰ってみたところ、確かこんな会話があったことを思い出しまして。

そんなに気になっていない女性その1「こだわり持ってる男の人ってかっこいいよね」

そんなに気になっていない女性その2「あー、分かる。例えばコーヒーとかね」

気になってる女性「私、コーヒー飲めないけど、挽きたてのコーヒーの匂いって香ばしくて良いよね」

以上の理由からエスプレッソマシーンを買ったと記憶しております。



まぁ、買って何か成果が出たかどうかについては「そんな野暮なことは聞くもんじゃないですよ」というツッコミを予め入れさせて頂きますが、ただ、その一連のやりとりを経てふと思ったことは、やはり「動機は不純な方が良い」ということです。

過去の経験から言うと、例えば禁煙。
「健康のためにやめる」という理由は極めて抑止力が弱い。
健康に対する意識が高いのであればそもそも吸っていない。
そこの「健康」というジャンルに関しては割りと無頓着だから吸った場合が多いだろうし、そんなに強い自制心を持ち合わせているのであれば、「健康のため」というありきたりな理由が無くてもやめているはず。

まぁ、ボクの場合は「タバコをやめるほど意思は弱くない」という理由につきタバコを吸い続けている次第ですので、そういう意味では決して自制心が弱いわけではない。
むしろ自制心は強いんだと声を大にして言いたい。
(↑バカ)

ところが、そんな自制心の塊のようなボクでも禁煙をしていた時期がありました。
それは、まだ日本にいる頃の話。
当時好きだった子が「タバコをやめてくれたら嬉しいな」と言ってくれたことがありまして。
もう、俄然やめましたよね。
しかも全く苦にならない。
というか、「禁煙」というトピックのおかげでその子との共通項が一つ増えて、それだけで十分元がとれているような気になっていましたし。

そんなこともあってか、見事に付き合うことは出来たのですが、その後、割とすぐに別れることになってしまい、別れた瞬間に、コンビニにタバコを買いに行ったのは淡く切なくも良い思い出です。
(そう思い込むようにしています)



というわけで、もう、何を言いたかったんだか訳が分からなくなってきましたが、要するに「動機は不純な方が良い」・・・というか、正確には「何かを続けるには、不純な動機を含めて、動機が幾つか存在していた方が続きやすい」ということを言いたかったんだと思います。

例によってグダグダな感じですが、アレを色々とよろしくお願いいたします。

コメント (4)
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