that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

自分の常識 ≠ 他人の常識

2007年12月01日 | なんとなくアレなやつ
外人が日本に出張に来ていたので三宮で落ち合った。

「どこに行きたい?」と聞くと「芦屋にあるカトリック団体と合う約束をしているから付き合ってくれ」と言われた。「観光」だとか「買い物」という回答を期待していただけにかなり意表を突かれた。そういうわけで、くんだり芦屋まで行きそのカトリック団体のところに行ってきた。

このカトリック団体というのは、要はボランティアで英語の授業をしたり、週末にみんなでサッカーしようよ、といった類のものだ。

行く前は、「これからも教会来てよ!とか勧誘されたら面倒くさいなぁ・・・」と心配をしていたのだが、特にそんな事もなく、外人日本人合わせて10名ほどと和気藹々と話をしながらお昼をご馳走になって帰ってきた。

何とか無難に事が終わりひと安心。



それにしても、この外人にはビックリした。
わざわざ日本に来てまで観光ではなく自分の宗教観を優先させるとは。

と思っていた矢先、外人がこう言ってきた。

外「いきなり連れてってごめんね。不愉快な思いさせたらごめんね」

け「いやいや、ボクも小学校・中学校とカトリック系の学校に行ってたんで大丈夫ですよ」

外「そうか、それなら良いんだけど」

け「それにしても随分熱心なんですね」

外「そうだね、欠かさず毎週行ってるよ。ただ教会に行ってれば良いってものでもないんだけどね」

け「というと?」

外「例えば、毎日教会に行ってるけど、それ以外では意地悪な人とかがいるのね」

け「つまり『毎日教会に行ってれば神に救われる』と思っていて、それ以外はどうでも良いと」

外「そう。ただそれはかなり偏った宗教観ですごく危険なんだよね。日常をいかに普通に正常に過ごせるか。それありきの信仰心であるべきでしょ?例えば、仕事をしていてメンバー全員に幸せになって欲しいじゃない。そういう事が出来て始めて神様のために何かが出来ているって事なんだと思うのね」

け「なるほど。ボクは『メンバーにも仕事を楽しんで欲しい』止まりですけど、そこからさらに一歩踏み込んで、『それが神の期待に応えている=信仰心』というところにつながるわけですね」

外「そう。だから日頃の行いにも気をつけるし教会にも毎週行く」

なるほど、そこまで思い入れがあるのであれば毎週教会にも行くわな。



この外人とは今まで仲良くやってきたし、これからも仲良くやっていくだろう。しかしながら、こういった背景を理解せずに仕事を続けたら、どこかでこの外人の価値観を損なうような発言・行動をしかねない。せっかく築き上げた良好な関係が崩れないとも限らない。そう考えると、「自分の常識は他人の常識」とは思い込まずに他人と接する事、特に異文化の人と接する際には細心の注意が必要だなと気付かされたのだ。



と、そんな事を考えていたら、外人がこう言った。

「明日は教会のミサに行きたいんだけど連れていってくれない?」

「お前、本当に面倒くせーな!一人で勝手に行けよ!」と心の中で叫びながら、笑顔で「of course!」と答えたボクは、大人ですが、神には認められないんだなと思いました。

そういうわけで明日は気が向いたら教会に行ってきたいと思います。
(本気で面倒くさいですが)

コメント
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