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偶然と必然

2006年04月05日 | 仕事とか堅苦しい話
「偶然」と「必然」。
この二つはよく対極にある言葉として用いられる。

が、しかし。
この二つは、実はほぼ同一のものなのではないかと最近よく考える。

発端は「なぜここまで『三国志』や『真田太平記』を好きなのか?」と考え始めたことにある。



半年ほど前を振り返ってみると、エッセイや短編小説など気軽に読めてしまう本を消化している傾向があった。この頃の私の状態は、ひたすら仕事が大変で、ひたすらストレスが溜まっていた時期だった。そういう意味では、内容が重く、考えさせられるような内容の本は、とてもじゃないが読めなかった。

が、今はファッキン外人ともきっちりと同期が取れ、その限りではストレスも少ない。
一通り現場管理が出来るようになり、心の余裕もだいぶ出てきた。
また、社会人になってから4年が経過し、今は「熱い思いを持って仕事をしたい」「自らが信じる道を歩み続けたい」「思う存分暴れまわりたい」という気持ちが前にも増して強くなってきていると感じている。



そんな中出会ったのが「三国志」であり「真田太平記」だ。

実は、以前にも「三国志」や「真田太平記」を本屋で見かけた事はあったが、全く持って興味を持っていなかった。

が、しかし、今この名作を貪るように読んでいるのは「偶然買ったら良い本だった」のではなく、「私が欲していたからこそ出会えた本」だと思っている。仕事に対する純粋な思いを、「三国志」と「真田太平記」に見出し、そこに自らを投影している自分がいる。

きっかけは偶然だった。
が、出会いは必然だ。

これは「学びたい時に師現る」という言葉のそれにも似ているかもしれない。

理屈ではない。
感覚的な話だ。

ただ「偶然は必然的にやってくる」「必然は偶然やってくる」。



「偶然は必然的にやってくる」という事を考えると、実はそれが仕事にも当てはまるのではないかと考える。

私は、仕事柄、大小のプロジェクトを何個か同時進行で管理する事がある。
その中で思う事は「プロジェクトに失敗はつきもの」という事である。

実は、自分への慰め込みなのだが、「仕事を失敗する事」は悪い事だと思っていない。当然、未然に防げるものに対しては予防策などを張り巡らさなければならないのだが、当然、不測の事態に見舞われ、火消しに回る事も多々ある。

が、「不測の事態」というのは「予測出来なかった」事であり、分からない事に予防線を張る事は不可能だ。重要なのは、以降「不測の事態」を「今後は予測出来る事態」として捉える事だ。

なので、その限りでは「仕事に失敗はつきもの」であると同時に「仕事を失敗する事は悪い事ではない」と思っている。



しかしながら、ここで改めて思うこと。

それは不測の事態が、「偶然には起こらない」ということだ。
「偶然トラブルに見舞われて・・・」という話をたまに聞くが、煙は火のあるところでしか立たない。因果応報。
事前にその火種がある事に気づくか気づかないかの差はあれど、それは遅かれ早かれ「起こるべくして起こる」もの、つまりは「必然的に起こる」ものなのだ。

そう考えると、やはり「偶然は必然的に起こる」と思わざるを得ないのだ。



偶然は必然的に起こる。
事は成るべくして成る。

そこで改めて思うのは、「成るべくして成る」からこそ、我々は出来る限りの事を精一杯やる事が重要なのではないかということ。

「学びたい時に師が現る」のが必然だったとしても、学ぼうという気がなければ、そもそも師は現れない。

プロジェクトで失敗をするのが必然だったとしても、Risk Mitigationに推敲を重ね、リスクを最小限に食い止め、また再発防止を心がけなければならない。

「今を精一杯頑張れ」
「やれるだけの事は納得のいくまでやっておけ」

結局ここに帰着する事になる。



実は、この「偶然と必然」という事に気づいた時に、今まで抱えていた悩みのほとんどが解決してしまった。色々な点と点がつながり、一本の太い線が出来たような気になっている(今のところは)。

なので、スッキリしてます。
感覚的な話で、もしかしたらボクの独りよがりなのかもしれませんが。

が、そこで新たなる悩みが。
「今を精一杯頑張るっていうのが一番大変なんだよなぁ」ってこと。



うん。
まぁ、そういうことで、アレですよ。

頑張るのって大変だから、適当でいいんじゃない?

ってことです。
今までの話は一体何だったんだ、って話ですけど、まぁ、そういうことで一つよろしくお願いします。

コメント
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