西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ベートーベン 作品番号 分析(12)

2015-02-20 15:27:16 | 音楽一般
Op.121は以前も書いたようにa,bの二つある。aは、ヴェンツェル・ミュラーの歌曲「私は仕立屋カカドゥ」による変奏曲、bはカンタータ《奉献歌》。前者は、ピアノ三重奏曲で、第11番と言われることもある。ある本には作曲年について「1803?,改訂1816」とあるが、これとはずいぶん離れた年代を示すものもある。ここに書いた作曲年だと、番号は全く作曲年代を表わしていない。後者は、1稿が1822年、その改訂2稿が1824年ということで、これは番号は作曲年代を表わしていることになる。しかし、なぜ曲種も違う2つが同番号となったのかということであるが、それを説明する記述は見ていないように思う。楽譜を同番号で刊行してしまったからということか。

Op.122はカンタータ《盟友歌》。これも、1稿は1822年、その改訂2稿が1824年ということで、《奉献歌》と全く同じ作曲年となっている。

Op.123はミサ・ソレムニスで、1819年から23年にかけて作曲されました。

Op.126は、ピアノ曲の6つのバガテルです。1824年の作品で、以上2つは番号は作曲年代を表わしています。

Op.128は、わずか1分49秒のアリエッタ《接吻》です。1798年の作品ですが、ずっと後1822年になって今の形に完成されたようです。年代的には、番号は完成年代を表わしていますが、曲集でなくわずか1曲の歌曲が一つの番号を与えられているのはどういうことなのかといつも考えてしまう。ある説明書きによると、この作品は元はOp.121となっていたと言うことです。そうすると、Op.121は曲種の違う3曲と言うことになっていたと言うことか。

Op.129はロンド・ア・カプリッチョ《なくした小銭への怒り》という変わった題名が付いたピアノ曲です。出版期から1823年作と思われてきたが、後の研究でそうではないことが分かったと言うことだ。ある本だと、1795年作ということで、全く番号は作曲年とは異なっている。

最後の3つの作品番号は、いずれも作曲年を表わしていません。

Op.136は、カンタータ《栄光の時》で、1814年秋の作品。

Op.137は、弦楽五重奏のためのフーガ ニ長調で、1817年11月の作品。

Op.138は、前にも記しましたが、1807年作曲の序曲《レオノーレ》第1番。

以上で、Op.の作品番号全てに触れましたが、現代では間違いなく、作曲して、それを作曲家の意思で出版するとなれば、順に番号が付けられていくのでしょうが、ベートーベンの時代はそのようなことでなかったと言うことでしょう。

ベートーベンの作品は、Op.,WoO,Hessの3つが付けられていますが、今ではそれに漏れる作品もあるように思います。ネットを見ると、さらに別の番号を付けることを考えている学者がいるようですが、それはやめたほうがいいというのが私の考えです。バルトークの作品表を見ると、Sz,BB,DD,Opと4つの番号が、すべての作品にではないですが付いているのですね。学者の研究からそうなったのだと思いますが、ベートーベンの場合は上の3つでいいのでは。

ベートーベンの作品表を見て、年代順ではないようだ、どうなっているのだろう、ということから、すべての作品番号を確認したいと言うのがこれまで12回に渡って書いた理由です。その前にも一度チャレンジしてましたが。そして私は、そのすべてを聴いてみたい、なぜなら私にとってベートーベンははるかに偉大な人間であり、その足跡を追ってみたいとの考えが強かったのです。歴史を見ると、偉大な人間を見つけることがあります(すべて私にとってですが)。どういう人間が偉大と考えるのかと問われたら、私はベートーベンのような人間が、と答えるでしょう。

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