西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

コジマ・ワーグナー

2007-12-25 08:31:43 | 音楽一般
今日は、コジマ・ワーグナーの生誕日です(1837年)。
コジマという名前を見ると小島さん、あるいは児島さんという日本人の姓を思い出してしまいます。この名前はヨーロッパの人に多く見られるのだろうか。ハンガリー出身なのでハンガリーの女性名には多くあるのだろうか。コジーマまたはコージマと伸ばす表記もあるようです。
コジマはピアニストであり作曲家でもあるハンガリーの巨匠フランツ・リストの次女で、1837年、リスト26歳の時に生まれました。母親は、マリー・ダグー伯爵夫人である。リストがマリーと知り合った時、マリーはリストより6歳年長の人妻だった。ベルリオーズによりリストに紹介されたのは1833年初めのことだった。2人は35年に生活を共にし、その年12月に長女を、37年に次女コジマを、そして39年に長男を生んだが、そのころマリーとは不和になり生活を解消する。長女と長男は早く亡くなった。コジマは最初ハンス・フォン・ビューローと結婚した。ビューローは1882年創設のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代常任指揮者である。2人の間には、2人の子供がいたが、コジマはビューロー自身心酔していたワーグナーと恋愛関係になり、1865年イゾルデ、1867年エーファ、1869年ジークフリートと3人の子供を生んでいる。(3人ともワーグナーの楽劇に出てくる名前である!)コジマは長命で、1930年92歳で亡くなった。その間、ジークフリートは1915年46歳でイギリス出身の女性ヴィニフレートと結婚した。有名な演出家ヴィーラントとヴォルフガングの2人を含む4人の子供をもうけたが、ジークフリートはコジマのあとを追うように同年1930年に亡くなった。その後バイロイトの主催者となったのは妻のヴィニフレートであった。1930年のドイツ。その頃党勢を伸ばしてきたのがナチスであった。党首ヒトラーはワーグナー信奉者であった。そしてヴィニフレートは根っからのナチス思想の賛美者であった。一時は2人は結婚するのではないかとの噂も立ったほどだと言う。1980年ヴィニフレートは亡くなったが、その数年前にインタビューに答えたことがあった。もし今でもヒトラーが現れたら、歓迎して出迎えるとの内容だった。私は新聞記事でそれを読んだのを記憶しています。読んだ時の印象ではたとえそのような考えだとしても時代の趨勢もあるし、よくもそこまで言うものだなと思ったのを覚えています。今ではワーグナーから見て4代目にあたる女性が演出家となり、活躍しているようですが、どうも私には彼女のような新しすぎる演出はよくわからないことがあり、曽祖父ワーグナーはこのような演出を良しとするだろうかなどと思ってしまいます。



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