今日は、ベルリオーズの劇的交響曲「ファウストの劫罰」が初演された日です(1846年、パリ)。
1803年に生まれたベルリオーズは、1869年66歳で生涯を閉じます。この間、フランスのみならず、ヨーロッパは一つの激動の時代にあったといっても過言ではないでしょう。彼の代表作「幻想交響曲」は1830年、28歳の時にパリで初演されましたが、この年の7月、いわゆる「7月革命」が起こり、それはフランス・ロマン派の運動と軌を一にするものと言ってよいでしょう。ルイ18世、シャルル10世のブルボン朝復古王政は、国民の不満の高まった世情を見て、アルジェリア遠征を行った。国民の不満の捌け口を外に求めた最も分かりやすい例である。議会は議会政治の停止・言論出版の取締りなどの令を出してこれに反発した労働者・学生・知識人などが武装蜂起したのがこの革命である。3日間市街戦が行われ、その結果「フランス人民の王」ルイ・フィリップの「7月王政」が打ち立てられた。ベルリオーズは、この時ちょうどローマ賞を目指し、課題作品を書いていた。カンタータ「サルダナパールの最後の夜」がそれである(この作品名は、同じくフランス・ロマン派の絵画の代表者と言ってよいドラクロアの「サルダナパールの死」を思い起こさせます)。5回目のチャレンジとなった今回、念願の一等賞を受賞した。ベルリオーズは、この作品を書き上げた時に革命が始まったと、「回想録」で書いている。そして、革命の「輝かしい3日間」を興奮した群衆の一人として過ごしたということだ。ベルリオーズは、革命10周年に当たる1840年に「葬送と勝利の交響曲」を政府から依頼され完成し、国王ルイ・フィリップに献呈した。
ベルリオーズは、生涯でもう一度「革命」に遭遇する。1848年の「2月革命」(「フランス人民の王」ルイ・フィリップが廃位され、ロンドンに亡命する。)である。英国でその知らせを聞き、制度機構が破壊されていったとの知らせに、自身の年金が大いに気になったようだ。やはり「回想録」で「一家の生計すら立てられない・・・」とこの頃書いている。パリでの2度目の暴動(「6月蜂起」)を聞き、ベルリオーズはいてもたってもいられず、パリに向かう。新聞紙上の評論担当の地位とコンセルバトワール図書館主事補としての年金を確保するためである。周囲の人の働きかけでこれは功を奏したということである。このような自身の体験もあり、「2月革命」はベルリオーズにとって批判の対象でしかなかったようだ。
1803年に生まれたベルリオーズは、1869年66歳で生涯を閉じます。この間、フランスのみならず、ヨーロッパは一つの激動の時代にあったといっても過言ではないでしょう。彼の代表作「幻想交響曲」は1830年、28歳の時にパリで初演されましたが、この年の7月、いわゆる「7月革命」が起こり、それはフランス・ロマン派の運動と軌を一にするものと言ってよいでしょう。ルイ18世、シャルル10世のブルボン朝復古王政は、国民の不満の高まった世情を見て、アルジェリア遠征を行った。国民の不満の捌け口を外に求めた最も分かりやすい例である。議会は議会政治の停止・言論出版の取締りなどの令を出してこれに反発した労働者・学生・知識人などが武装蜂起したのがこの革命である。3日間市街戦が行われ、その結果「フランス人民の王」ルイ・フィリップの「7月王政」が打ち立てられた。ベルリオーズは、この時ちょうどローマ賞を目指し、課題作品を書いていた。カンタータ「サルダナパールの最後の夜」がそれである(この作品名は、同じくフランス・ロマン派の絵画の代表者と言ってよいドラクロアの「サルダナパールの死」を思い起こさせます)。5回目のチャレンジとなった今回、念願の一等賞を受賞した。ベルリオーズは、この作品を書き上げた時に革命が始まったと、「回想録」で書いている。そして、革命の「輝かしい3日間」を興奮した群衆の一人として過ごしたということだ。ベルリオーズは、革命10周年に当たる1840年に「葬送と勝利の交響曲」を政府から依頼され完成し、国王ルイ・フィリップに献呈した。
ベルリオーズは、生涯でもう一度「革命」に遭遇する。1848年の「2月革命」(「フランス人民の王」ルイ・フィリップが廃位され、ロンドンに亡命する。)である。英国でその知らせを聞き、制度機構が破壊されていったとの知らせに、自身の年金が大いに気になったようだ。やはり「回想録」で「一家の生計すら立てられない・・・」とこの頃書いている。パリでの2度目の暴動(「6月蜂起」)を聞き、ベルリオーズはいてもたってもいられず、パリに向かう。新聞紙上の評論担当の地位とコンセルバトワール図書館主事補としての年金を確保するためである。周囲の人の働きかけでこれは功を奏したということである。このような自身の体験もあり、「2月革命」はベルリオーズにとって批判の対象でしかなかったようだ。
Mittelbergさんをはじめ、これまでお読みいただいている方には感謝の念にたえません。私は、音楽の面でもましてや歴史の面でも単なるディレッタントに過ぎません。何か本を読み学びながら書いていると言ったところです。多少の音楽の通史的な知識(と呼べるものではないですが)と実際の音楽家たちの作品には平均的な人より少しは聴き触れてきたかな、ということで書いているだけです。飽く迄私的な感想文といった所に過ぎません。
音楽関係のサイトとのリンクはこちらも本来希望する所であります。
これからもよろしくお願いいたします。