西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ケーレル讃(続き) 「勇気と意志と決断」

2013-07-29 13:01:19 | 音楽一般
図らずも、この歳時記の読者のMittelberg氏より、YouTubeにあるケーレルの映像を届けていただいた。思いもかけない贈り物をいただいた感じだ。Mittelberg氏はドイツ語に堪能と聞きます。解説文の翻訳をしていただけるといいのですが。

再度この映像を見ていたら、レコードで出ていないMozartのソナタ第8番イ短調もあったので聴いたところです。

ケーレルの名前は明らかにドイツ系のものでしょう(ドイツ語だとケーラーと読むことになるでしょうか)。リヒテルも、ドイツ語読みならリヒターとなりますが、これも同じくドイツ系でしょう。ケーレルの経歴の中で1939年現在ウズベキスタン共和国のタシケント近郊に強制移住させられたとあります。私はこのようなことの背景を知りたくなりました。

ケーレル氏は、1923年グルジア共和国の首都トビリシ(別名チフリス)に生まれた。同共和国で最古の都市の一つで、11世紀にグルジアの首都となるが、1801年ロシアに併合された。1921年に、成立したばかりのソ連に編入された。22年にはアルメニア共和国、アゼルバイジャン共和国とザカフカズ連邦を形成するが36年分離する。アゼルバイジャン共和国は石油の埋蔵で有名なバクーを首都とするが、チェリストのロストロポービチ(1927-2007)の生地である。またアルメニアというとアルメニア人作曲家ハチャトゥリアン(1903-78)を思い起こすが、生まれはケーレルと同じグルジアの首都トビリシである。カフカズ(英語でコーカサス)はロシア共和国に含まれる北カフカズと南のカフカズ(ザカフカズ)に分かれるが、このザカフカズは上に見るように偉大な音楽家たちを生み出したのである。このザカフカズにもう一人音楽家ではないが政治家として歴史に名を残す人物が生まれた。グルジアの都市ゴリに生まれた靴職人の息子ヨシフ・スターリン(1878-1953)である。

ケーレルやリヒテルなどドイツ系の人物がロシアに多い理由は、いろいろな時代からの流入者がいるでしょうが、その一つにエカチェリーナ2世(1729-96)時代に、その産業振興策に協力するため、多数のドイツ人が移り住んだことによります。そして第2次大戦が始まる2年前の1937年7月の共産党会議でスターリンは次のメモを残した。以下「スターリン秘録」(産経新聞・斉藤勉著)からの引用である。
≪「我が国の軍事、化学、発電、建設など全産業分野で、ドイツ人を全員、逮捕すべきである」…このメモで、専門技術者などとして当時ソ連に来ていたドイツ人の運命は一瞬のうちに決まった。…
 37年は「人民の敵」の逮捕、銃殺の嵐が吹き荒れた大粛清のピークの年だった。…「ヒトラーと戦う日」に備え、ヒトラー側に加担する恐れがある危険分子を根絶しておく必要があったのだ。「人民の敵」の多くが「ヒトラーのスパイ」の濡れ衣を着せられて消されていった。最大の危険分子は当然、ドイツ人だった。≫

1924年12月に成立した「ボルガ・ドイツ自治共和国」(さきほどのエカチェリーナ時代の移住者たちが移り住んだ地域)は41年9月の強制移住により約38万のドイツ系ロシア人がシベリア、中央アジアなどへと家畜輸送用貨車により連行されていった。

リヒテル(1915-97)については、かなりのレコード、CDが出されそれらのライナーノートには記述を見出すことができなかったが、つい最近雑誌「モーストリー・クラシック」上で、やはりスパイの嫌疑を受けた父親が息子を助けることを懇願し処刑された(今、ネットを見るとオデッサで処刑と出てました)ということです。

前回画像を載せたレコードの解説を読むと、次のように出ている。
「第2次大戦で師範学校に進むことを余儀なくされ、卒業後、6年間数学の教師をせねばならなかった…音楽界との断絶の15年間を送り、宿願のピアニストとしてのデビューをほぼ諦めなければならない運命におかれた…
 しかし、ケーレルは、ピアノからはなれることができず、その15年間、ひそかに熱心にピアノを勉強した。そして、1961年の全ソ・ピアノ・コンクールに38才という最長年齢で出場し、みごとに第1位を獲得(50点満点の50点で)したのだった。
 …
 このケーレルについてモスクワ音楽院の2人の教授は、次のように語っている。…
ヤコブザク教授――≪彼は、まれな才能をもつピアニストです。錬成された音楽家です。彼の創造的な努力の個性的な特徴は、勇気と意志と決断です。楽曲を全体に包含する能力をもっているので、彼は、音楽の本質を感じとることに繊細かつ精密です。≫
ニラ・エメルヤノバ教授――≪ケーレルは、ソヴェトのピアノ界の例外的な輝かしい出現です。彼は聴衆をとらえてはなさない。彼の独創的な個性、多面におよぶ才能、そして興味深い解釈が彼のピアニストとしての雄大な資質と結びついています。≫」

ケーレルの演奏の録音が残されているのなら、そのすべてを聴きたいと思います。