西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

弦楽四重奏曲

2008-09-26 10:23:17 | ベートーヴェン
ベートーヴェンは、生涯に16曲の弦楽四重奏曲を書いていて、これは32曲のピアノ・ソナタ、9曲の交響曲とともに、作曲家の創作活動の3つの基本柱の一つとなっています。そしてこの16曲は、ほぼ同じ数だけ3つの創作時期に渡って創作が行われている。それを示すと、以下のようになる。

第1期(1792-1802)
作品18の1~6 これが弦楽四重奏曲第1番から第6番である。
第2期(1803-14)
作品59の1~3 これが第7番から第9番である。この3曲は「ラズモフスキー第1~3番」と呼ばれている。
作品74 第10番「ハープ」
作品95 第11番「セリオーソ」
第3期(1815-27)
作品127 第12番
作品130 第13番
作品131 第14番
作品132 第15番
作品135 第16番
このうち、第12・15・13番の順で、「ガリツィン第1~3番」と呼ばれている。実は、このほかに、作品133として、「大フーガ」の名を持つ弦楽四重奏曲があるが、これは元々は第13番の終楽章に当たるもので、長大すぎるということで、友人の勧めにより、独立させたものです。第13番の新たな終楽章は、第16番が完成された後に作曲され、これがベートーヴェンの作曲し完成した最後の楽章ということになった。

さて、作曲順であるが、ピアノ・ソナタが、その第19・20番を除いて、ほぼ番号順と言ってよかったのに対し、弦楽四重奏曲では、全16曲の完成は、以下のようであった。
3・1・2・5・6・4(4・6、との説もある)、7・8・9・10・11(中期はほぼ順番通り)、12・15・13(「大フーガ」付)・14・16・13の新しい終楽章、である。

ハイドンが83曲、モーツァルトは23曲の弦楽四重奏曲を書いた。古典派から出発したベートーヴェンが弦楽四重奏曲を書くのは必然的なことであった。いやそれ以上に、作品番号111でピアノ・ソナタを書き上げ、作品番号125で交響曲の最終作所謂「合唱付き」を書き上げ、作品127から始まった後期の弦楽四重奏曲群。ここにこそベートーヴェンの生涯の総決算たるべき音楽が秘められている。勿論ベートーヴェンもこのことを意識していただろう。これらの作品を書いた後のことだろう、「私はやっと自分の書きたいものが少しだけ書けた。」このような発言をどこかの伝記本で読んだことを覚えている。(今その本を見つけられず、多少言葉が違っているだろうが、そのような内容だったと思う。)私は、「第9交響曲」の終楽章を聴いた後、そこに述べられた大きな思想・思索の跡にいつも感動を覚えざるを得ない。しかし、「第9」は「第10」の一つ前の交響曲にはならなかった。だが、ここに弦楽器4本からなる澄明な作品群がある。私はこれらの作品に接するとただただ感謝するだけである。どれだけ理解しているかは甚だ心もとない。ただ聴き続けるだけである。
以前雑誌で、戦前の話のこと、2人の青年が、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲について語りあった、喫茶店かどこかで、などと言う記事を見て、今果たして、このような青年たちは出るのだろうか、などと考え込んでしまう。物質的に豊か過ぎる故に、精神は極めて貧弱なのが今の時代なのではないかなどと思うのである。