今日は、ブルックナーの「交響曲第1番」が初演された日です(1868年、リンツ)。
ブルックナーは、「交響曲第9番」(未完成)が最後の交響曲の番号と言うことで、全部で9つの交響曲を作曲した、というところですが、実はもう広く知れ渡っているように、この「第1番」の前に「第0番」というのを作曲しています。更にその前にも「交響曲」を書いていて、これは通常「第何番」という言い方はしないで「習作」などと読んでいますが、その2曲を合わせ、全部で11曲書いているということになります。ブルックナーをまだよく知らない時、「交響曲第0番」というのはどういうことなのか、などと思っていましたが、作曲者本人が、「1番」の前に書いた交響曲が発見されたので、「1」の前の「0」をつけたということなのでしょう。私には、自然数でない「0」がつけられることにどうしてもピンと来ないことがありますが、数列を考えると納得します。それで、その前の「習作」交響曲を「マイナス1番」とか「00番」などと呼ぶ言い方も出てきたように思いますが、これは作曲者自身がつけたのではないので、やはり避けるべきでしょう。
「交響曲第1番」は、1865年から66年にかけて作曲されました。しかし、その後、ブルックナーにおいてはよくあることですが、「第8番」(第2稿)を書き上げた後、1890年から91年にかけて改訂しています。それで、最初の稿を第1稿(リンツ稿) そして後の稿を第2稿(ウィーン稿)と呼んでいます。ここで、いつも思うのですが、ふつう改訂稿の方が優れていて、決定稿とみなされるべき所ですが、この「第1番」に関しては、「リンツ稿」の方が好んで取り上げられています。自分ではまだ2つの稿を聴き比べて、その理由を納得するに至ってないですが、いつか解説などをもとにしてみたいと思っているところです。
この交響曲は、最初のハ短調の曲(全部で3曲書いています)ですが、第1楽章の出だしがとてもユニークに思われます。作曲者自身この曲を「悪童」とか言っていたようですが、そのニックネームがわかるような気がします。私は、ベートーベンに次いでブルックナーがすべての作曲家の中で好きですが、この曲を最初聴いて良い曲だなどとは決して思っていなかったでしょう。何度も聴いてやっと曲に慣れていったのだと思います。この曲自体を取り上げれば、初演当時そうだったように、わかりやすい優れた曲とはいえないでしょうが、このような曲があったからこそ、後の第7・8・9番などの偉大な曲が作られたのだと思っています。この最後の3つの交響曲は、たとえようもないほど優れた曲です。
しかし、先に記したように、この曲の改訂が最後の「第9番」を未完にしてしまったのではないかなどと思うことがあります。善意からとはいえ、周囲の人の3・8・1番などの改訂を勧めることがなければ、「第9番」が完成したのではなどと考えたりすることもありますが、どうなのでしょう。

ブルックナーは、「交響曲第9番」(未完成)が最後の交響曲の番号と言うことで、全部で9つの交響曲を作曲した、というところですが、実はもう広く知れ渡っているように、この「第1番」の前に「第0番」というのを作曲しています。更にその前にも「交響曲」を書いていて、これは通常「第何番」という言い方はしないで「習作」などと読んでいますが、その2曲を合わせ、全部で11曲書いているということになります。ブルックナーをまだよく知らない時、「交響曲第0番」というのはどういうことなのか、などと思っていましたが、作曲者本人が、「1番」の前に書いた交響曲が発見されたので、「1」の前の「0」をつけたということなのでしょう。私には、自然数でない「0」がつけられることにどうしてもピンと来ないことがありますが、数列を考えると納得します。それで、その前の「習作」交響曲を「マイナス1番」とか「00番」などと呼ぶ言い方も出てきたように思いますが、これは作曲者自身がつけたのではないので、やはり避けるべきでしょう。
「交響曲第1番」は、1865年から66年にかけて作曲されました。しかし、その後、ブルックナーにおいてはよくあることですが、「第8番」(第2稿)を書き上げた後、1890年から91年にかけて改訂しています。それで、最初の稿を第1稿(リンツ稿) そして後の稿を第2稿(ウィーン稿)と呼んでいます。ここで、いつも思うのですが、ふつう改訂稿の方が優れていて、決定稿とみなされるべき所ですが、この「第1番」に関しては、「リンツ稿」の方が好んで取り上げられています。自分ではまだ2つの稿を聴き比べて、その理由を納得するに至ってないですが、いつか解説などをもとにしてみたいと思っているところです。
この交響曲は、最初のハ短調の曲(全部で3曲書いています)ですが、第1楽章の出だしがとてもユニークに思われます。作曲者自身この曲を「悪童」とか言っていたようですが、そのニックネームがわかるような気がします。私は、ベートーベンに次いでブルックナーがすべての作曲家の中で好きですが、この曲を最初聴いて良い曲だなどとは決して思っていなかったでしょう。何度も聴いてやっと曲に慣れていったのだと思います。この曲自体を取り上げれば、初演当時そうだったように、わかりやすい優れた曲とはいえないでしょうが、このような曲があったからこそ、後の第7・8・9番などの偉大な曲が作られたのだと思っています。この最後の3つの交響曲は、たとえようもないほど優れた曲です。
しかし、先に記したように、この曲の改訂が最後の「第9番」を未完にしてしまったのではないかなどと思うことがあります。善意からとはいえ、周囲の人の3・8・1番などの改訂を勧めることがなければ、「第9番」が完成したのではなどと考えたりすることもありますが、どうなのでしょう。
