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西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

西洋音楽史 9

2022-08-21 16:14:32 | 音楽一般
バロック時代前期、ドイツは国難の時を迎えるのであった。ボヘミアの急進派新教徒議員が2人の皇帝顧問官を投げ落とす事件が起こった(プラハ王宮事件、またはプラハ窓外放擲事件)。1618年5月23日のことである。前年にボヘミア王となったフェルディナントが、宗教改革後、新教が流布したボヘミアで信仰の自由を取り消したためである。皇帝マティーアスもフェルディナントを助けるべく軍隊を派遣したが、新教徒側はこれをも破る勢いを示した。翌年3月マティーアスが亡くなると、フェルディナントがフェルディナント2世として皇帝位に就いた。これに対し、新教側はフェルディナントのボヘミア王位を取り消し、新たにファルツ選帝侯フリードリヒ5世を国王に選んだ。当時ドイツ国内は新教派と旧教派に分かれ、フリードリヒは新教側である。しかしカルヴァン派のフリードリヒにルター派の諸侯たちが援助することは少なく、これに対し旧教側は国内の旧教派諸侯及びスペインの援助を受け、「白山(ビーラー・ホラ)の戦い」で勝利を収めることになる。1620年11月8日のことである。新教側は敗北し、フリードリヒはボヘミア王位を失った。この2世紀半後、チェコの愛国者ドボルザークは讃歌「白山の後継者たち」を作曲した。管弦楽伴奏の合唱曲で翌年の1873年にプラハで初演された。これだけで終われば、ドイツ国内の反乱事件は2,3年で終結したことだろう。その後、様々な思惑から周辺のデンマーク、スウェーデン、フランスがこのドイツ国内の宗教絡みの紛争に乗り出した。そして、最終的には宗教とは関係のないところで終結した。1618年に始まった戦争は1648年のウエストファリア条約で終わった。よって、30年戦争Thirty Years' Warと呼ばれる。デンマークとの戦争ではドイツ皇帝軍の司令官ワレンシュタインの活躍が見られた。フランスの作曲家でワグネリアンのヴァンサン・ダンディはシラーの戯曲に基づく管弦楽曲「ワレンシュタイン」を書いた。その後、スウェーデン王のグスタフ2世アドルフは領土的野心から紛争に加わり、皇帝軍をリュッツェンの戦い(1632)で破ったが、王自身この戦争で戦死してしまった。王の死後、スウェーデンでは、6歳の王女クリスティーナが王位に就いた。
この戦争でドイツ国内は疲弊し、人口の3分の一が失われたという。ドイツは三百数十の領邦国家に分裂し、このウエストファリア条約は「ドイツ帝国の死亡証書」と呼ばれる。

この様な時代に、ドイツでは3Sと呼ばれる音楽家が誕生し、後世に残る作品を遺した。シャイト、シャイン、シュッツである。このうち、シュッツは、ヴェネツィアに留学し、ジョヴァンニ・ガブリエリのもとで学んだ。その後、ドイツに戻るが、再びイタリア、デンマークなどに渡り、最後はドレスデンで亡くなった。シュッツの作品は、生きた時代の苦悩を体験した人の感情が込められているように思う。私はその中で「イエス・キリストの物語」「イエス・キリストの十字架上の7つの言葉」を買い求めた。
シュッツは1585年に生れたが、そのちょうど100年後、J.S. バッハが誕生した。シュッツはドイツ音楽の基礎を築き、バッハを生み出す先蹤となったと言うことができるだろう。

西洋音楽史 8

2022-08-13 13:43:30 | 音楽一般
バロック期の中期になるとイタリアでコレルリ、トレルリなどバイオリン音楽の大家が出現する。コレルリは、バイオリンを学んだ人は誰でも取り上げる「ラ・フォリア」が有名である。作品1から6にそれぞれが12曲ずつ含み、すべて録音され出ている。全集と言うとすぐ揃えたくなる私は買い求めました。その前に「ラ・フォリア」を含む作品5の全曲は買っていましたが。


コレルリの作品6「合奏協奏曲」の8に「クリスマス」と題する曲があります。トレルリにもあり、後期バロックに属するロカテルリ、マンフレディーニにもあり、これらの4曲クリスマスに因む作品をまとめて名指揮者カラヤンが録音を残してくれています。カラヤンは音楽史の隅々まで目をやり、後世に最優秀の録音を遺してくれたのは大変嬉しいことです。

国王の祝賀会でオペラが上演されたことを述べましたが、バロック中期の1666年に行われた婚儀でも同様のことが行われました。ハプスブルク家のレオポルト1世とスペイン王フェリペ4世の王女で国王カルロス2世の姉に当たるマルガリータ・テレサとの結婚式です。翌1667年チェスティ作曲の「黄金のりんご」が上演されました。5幕66場という長大なもので、目を奪うような豪華な舞台だったということだ。マルガリータはベラスケスの描いた肖像画で有名です。昔は写真はありませんでしたから、この絵をハプスブルク家に届け、お見合い写真のように扱ったということです。2人に子供は生まれたが、近親婚(伯父と姪の関係)のためか出産後まもなく亡くなったものが多かった。弟のカルロス2世も同様だった。生まれつき病弱で子供はいなかった。スペインでは、1700年にカルロス2世が亡くなったとき、スペイン継承戦争が起こった。この戦争は1713年ユトレヒト条約を結び終結したが、この年ヘンデルが作曲した「テ・デウム」がその記念に聖パウロ大聖堂で演奏されたのだった。

西洋音楽史 7

2022-08-11 15:45:00 | 音楽一般
モンテヴェルディは、1610年ローマに向かった。その時携え、教皇パウロ5世に献呈したのが「聖母マリアのミサと晩課」である。名誉職を求めたのであるが、上手くいかなかったらしい。1613年、結局モンテヴェルディはマントバからベネチアへ移り、サン・マルコ大聖堂の楽長職に就き、他界するまでの30年間ここで暮らすことになった。ベネチアは1637年に最初の公開オペラ劇場サン・カッシアーノ座が誕生し、オペラが一部貴族だけのものではなく、大衆の娯楽の場を提供するものになった。ここでモンテヴェルディは、「ウリッセの帰還」と「ポッペアの戴冠」の晩年の2大オペラを作曲した。
フランスでは、アンリ4世が1610年に暗殺された後、長男のルイ13世が即位し、その後1643年にルイ14世が4歳で王位に就いた。1653年、ルイが14歳になった時、リュリなどが作曲した宮廷バレエ「夜」に「太陽」の役で舞台に上がった。作曲者のリュリも一緒に踊ったという。リュリはルイの従妹のオルレアン家のアンヌ・マリー・ルイーズのイタリア語会話の相手にイタリアから来ていたのだったが、後にルイ14世に仕え、宮廷合奏団を指導するまでになった。ルイ14世が後に「太陽王」と呼ばれるのは、これに由来する。
ルイ14世は、1660年、スペイン国王フェリペ4世とアンリ4世の息女(つまりルイ13世の妹)のエリザベート(スペイン名イサベル)との王女のマリー・テレーズと結婚式を挙げた。この祝賀行事にイタリア出身のサン・マルコ大聖堂の楽長を務めたカヴァッリのオペラ「クセルクセス」が上演された。
ルイ14世は、1661年に宰相マザランが亡くなると、親政を開始し、パリ郊外に宮殿の造営に取り掛かった。そして1682年から王はそこに住むことになった。ベルサイユ宮殿である。ここで奏でられた音楽と作曲者に興味を持ち、次のレコードを買い求めた。全部で7枚。全部揃えると写真集がもらえるからというのでだったが、買い過ぎたか? 

この時代の音楽家には、教会音楽に印象的な作品を残したシャルパンティエやドラランド、それにクラヴサン音楽を多く作曲したクープラン(ルイとフランソワ)などがいる。



西洋音楽史 6

2022-08-10 10:56:48 | 音楽一般
バロック音楽の時代は、1600年頃から1750年頃とされる。ルネサンス時代同様、ここでも50年ごとに初期、中期、後期と区分される。
バロック音楽はいつごろから日本で一般に聴かれるようになったのだろうか。ヴィヴァルディ、バッハ以外を言うならば、1970年代以降が主でなかったか。そのころラジオでバロック音楽を扱う番組があり、私は好んで聴くようになった。(自分の中では、このような印象でしたが、実際には昭和35年にヴェンツィンガー指揮のバッハ「ブランデンブルク協奏曲」が発売され、また服部、皆川両氏の「バロック音楽の楽しみ」は昭和37年に始まったということです」)一つには、服部幸三さんの語りで、都市ごとにその都市に纏わる音楽家を取り上げていたのを思い出す。カセットテープにとり、今もわずかだが持っていて聴くことができる。また別の番組では幅広くバロック音楽の作曲者を取り上げ、その内容パンフを請求し、今もそれを持っている。下がそれである。

昭和47年から48年の放送とある。ここで知らなかった作曲家、作品を聴き、バロック音楽により開眼されたように思う。また、次の本も買い、とても勉強になった。

著者皆川氏は、読めば分かるが、独自の考えを持ち、それを披露すること多々あるが、読んで教えられることも多く、名曲名盤を100紹介しているが、7割~8割所持するようになった。バロック小辞典が付いて私などにはとても勉強になり、ありがたい。
また少し後になるが、NHK市民大学で磯山雅(ただし)氏の講義による「バロック音楽」のテキストを買った。

当時どれだけテレビを見たか(ほとんど見てなかった?)覚えてないが、今回テキストを熟読しとても勉強になった。このような本、パンフの類も私は捨てずに持っています。いつか処分するでしょうが。
磯山氏は特にバッハの著書などを買い求め、大いに勉強になることが多かった。事故で亡くなられた報を見た時は本当にびっくりした。その前に見た夢のことが氏の日記のようなものに書いてあり、それをネット上で読み、印象に残ったことを思い出す。
いくつかの本、百科事典などを読み、バロック音楽がどのような時代に、どのような事と関わっていたかなどを書いてみたいと思います。

バロック時代の開始年と言われる(実際には、1580年代にすでに始まったと考える見方もあるが)1600年の10月、フランス、ブルボン朝初代アンリ4世がイタリアの花の都フィレンツェで、トスカナ大公国を支配する名門メディチ家のマリアと結婚式を挙げた。この祝賀行事にオペラの上演が含まれていた、ペーリが作曲したオペラ「エウリディーチェ」でピッティ宮で行われた。花嫁はフランスではマリ・ド・メディシスと呼ばれることになる。またこの上演の3日後にはカッチーニらが作曲した「チェファロの強奪」がウフィツィ宮で上演されている。オペラはバロック時代に生まれ開花した。オペラ「エウリディーチェ」が1600年に上演されたことは時代を画する出来事と言っていいだろう。
その7年後、マントバの宮廷では、モンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」が上演された。劇的な表現が見られ、歌劇のその後の方向を決定づけるものとなった。モンテヴェルディは、他のオペラ、マドリガル曲集、教会音楽など多くの作品を書いた。私はその中で「聖母マリアのミサと晩課」(3LP)を買い求めた。レコード店でもう一つ有名な作品「倫理的宗教的な森」(おそらく5LP) を何度も目にしたが、これは買わず仕舞いに終わった。 モンテヴェルディは、初期バロックの最大の作曲家と言っていいだろう。


ずっと昔、コンサートで指揮者にインタビューすることがあった。尋ねられた彼は、日本の民謡のことが話題となった時、民謡は嫌いです!と言った。アンタ日本人で(そう思ってました、当時)、音楽の仕事しているんだろう、と思い、嫌いでもそのような事を言うか?、と思いましたね。マーラーやショスタコをよく振る音楽家で、その時に演奏されたチャイコの「イタリア奇想曲」はとても印象に残ったのでしたが。
西洋音楽について、(ベートーベンを敬愛し、西洋音楽をよく知りたいが出発点であったが)、書いてきたが、自国の音楽も知りたいと思い、その一助に、大学時代ちょうど発売された全集を買い求めた。生協で「筑摩書房の邦楽(ホウガク)大系」が欲しいと言ったら、お店の人「法学」ですか?、と聞いてきた。

リタイア後、じっくり読み、聴いて、学びたいと思いながら、まだできていない。まあゆっくり取り組みたいと思っているところです。だけど日本の音楽の歴史は理解するには、私などにはなかなか難しいものがありますが、少しずつ読み、聴いて行きたいと思います。


西洋音楽史 5

2022-07-28 21:15:52 | 音楽一般
ルネサンス時代の初期に当たるブルゴーニュ楽派の時代はギヨーム・デュファイ(1400頃―1474)を代表とする。次のフランドル楽派はヨハンネス・オケゲム(1425頃―97)の名がまず挙げられる。彼は3代のフランス国王に仕えた。シャルル7世(1422-61)、ルイ11世(1461-83)、シャルル8世(1483-98)である。オケゲムの後、ヤコブ・オブレヒト(1450頃―1505)、ジョスカン・デ・プレ(1440頃―1521)が続き、このジョスカンを持って、中期(盛期)ルネサンスの代表とされる。
フランドル楽派の最後を飾るのは、後期ルネッサンス時代を代表するオルランド・ディ・ラッソ(1532頃―1594)である。フランドルに生を享けたが、ブルゴーニュの宮廷は既に終息し(1477)、フランドルの地はハプスブルク家、さらにスペイン王家の支配するところとなり、スペイン生まれのフェリペ2世(ヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」のタイトルの父親に当たる、在位1556-98)は、フランドル人にとっては忌避すべきものだった。オランダ独立戦争(1568年開始)の結果、フランドルの北部はネーデルランド共和国(1581年建国を宣言)が起こるなどして、音楽家たちは、帰る故郷を失う有様になった。ラッソは、イタリアで学び、南ドイツ、ミュンヘンで没した。2000曲の教会音楽、世俗音楽を作曲して「天才オルランド」と称されたということである。
(ルネサンス時代の代表的作曲家として、
 初期‥ギヨーム・デュファイ(1400頃―1474)、
 中期(盛期)‥ジョスカン・デ・プレ(1440頃―1521)、
 後期‥オルランド・ディ・ラッソ(1532頃―1594)
  と覚えるといいでしょう。ギヨームは前に出た中世の第3期を代表するギョーム・ド・マショー(1300頃―1377)と間違えやすいので注意! ギョームGuillaumeはフランス名で、英語のWilliamにあたる。ウイリアム・テルは、仏語でギョーム・テルである)

アルヒーフレコードでは、かつてJ.S.バッハを中心に中世からウィーン古典派までの音楽を網羅的に出していた。(以前書いたマンロウの《ゴシック期の音楽》もこのシリーズ)私にはとても魅力的なシリーズで、その中からいくつか購入した。他のレーベルのものもあり、次のものを揃えてしまった。

このようなカタログも捨てられなくまだ持っている。いずれ処分することになるだろうが。

1.デュファイ、ダンスタブル:モテット集 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ
2.オケゲム:死者のためのミサ曲 ジョスカン・デ・プレ:オケゲムの死を悼む挽歌 ブルーノ・ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ(LP)
3.アヴェ・レジナ/16世紀フランドル楽派のモテトゥス ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ
4.ジョスカン・デ・プレ:ミサ曲、モテトゥス ブルーノ・ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ(LP)
5.ラッスス:「7つの懺悔詩篇歌」第1曲、第4曲 3つのモテット ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ
6.パレストリーナ ミサ・オディエ・クリストゥス・ナトゥス・エスト フィリップ・レッジャー指揮 ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団(LP)
7.パレストリーナ:ミサ曲、モテット ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ
8.パレストリーナ 教皇マルチェルスのミサ ミサ・ブレーヴィス ウィルコックス指揮 ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団

9.パレストリーナ 《アヴェ・マリア》ミサ レッジャー指揮 ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団 
10.ビクトリア 聖週間 聖務曲集 ラ・クエスタ神父指揮(3LP)

11.ビクトリア:レクイエム ジョージ・ゲスト指揮 ケンブリッジ・セント・ジョンズ・カレッジ合唱団(LP)
12.涙のパヴァーヌ(ルネッサンス舞曲の楽しみ) マンロウ指揮 ロンドン古楽コンソート&モーリー・コンソート
13.タリス/エレミアの哀歌 ミサ曲「プエル・ナトゥス・エスト」他 レッジャー指揮 ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団
14.タリス:エレミア哀歌 バード:3声部のミサ曲 ターナー指揮 プロ・カンティオーネ・アンティクヮ


帰るべき故郷を失った後期フランドル時代の作曲家たちはイタリア、スペインなど外国にその跡を残すことになった。その頃のイタリアに誕生したパレストリーナ(1525-1594)は、折からのトリエント公会議(1545-63)の要請に応えるかのように「透明な構成、ポリフォニーとホモフォニーの適切なバランス、規則だった不協和音の用法など」(皆川氏の文章より)によるミサ曲、モテトゥスなどの教会音楽、さらに世俗マドリガルにも多くの作品を残した。8.の「教皇マルチェルスのミサ」は、パレストリーナの作品中、最も有名な曲の一つであろう。マルケルス2世(在位1555)は在位22日であった。教皇は、音楽を簡素化し歌詞が聴いてわかるよう提言した。これに応えてこの曲が作られ、命名された。
3.にはゴンベールの「アヴェ・レジナ・チェロールム」が含まれている。このフランドル出身の音楽家は神聖ローマ皇帝カルル5世(=スペイン王カルロス1世)の宮廷に仕えていた。16世紀スペインの掉尾を飾るのはトマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548-1611)である。ビクトリアの偉大な作品の一つ「死者のためのミサ曲」はフェリペ2世の妹で神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の妃のマリアの葬礼のために作曲された。ビクトリアの神秘的な作品を聴くと、私は同時代の画家エル・グレコ(1541-1614)の画風を想像してしまう。数年前、スペイン旅行でトレドのサント・トメ教会を訪れた時、そこで見たエル・グレコの最高傑作と言うべき「オルガス伯の埋葬」が10.の「聖週間 聖務曲集」とほぼ同時期の作品であることがわかった。

西洋音楽史 4

2021-08-27 13:34:46 | 音楽一般
音楽史におけるルネサンスの時代は、1450年頃から1600頃までで、この時代を50年ずつに区切り、(1)ブルゴーニュ楽派、(2)フランドル楽派、それと(3)ルネサンスからバロックへ の時代と前に述べた。ここに出るブルゴーニュ、フランドルはどのような土地で、どうつながるのか見てみたい。
ブルゴーニュは、ゲルマン民族の一派ブルグンド族の名に由来する。437年から534年まで南フランスのローヌ川周辺にブルグンド王国を作った。それ以前、ウォルムスWormsに都していたブルグンド族は、アッティラ大王に率いられたフン族によりグンテル王以下全王族が殺され滅亡した。その遺臣たちが、ローマ皇帝によりアラマン族の防波堤になるよう南フランスに移ることを許されたのだった。
アッティラというと、ヴェルディのオペラ『アッティラ』をすぐ思い浮べるが、フン族によるブルグンド王国滅亡は、1200年頃に書かれた中世ドイツの文学作品『ニーベルンゲンの歌』で語られ、ワーグナーの『ニーベルングの指輪』の題材となった。
同じゲルマン民族の一派フランク族により、ガリアの地、今のフランスに、481年フランク王国メロビング朝が建てられたが、その初代クロービス1世は最初他のゲルマン族同様キリスト教アリウス派を信奉していたが、496年ローマ・カトリックに改宗した。このことは他のゲルマン族国家を征服する口実となり、534年テウデリヒ1世の時、ブルグンド王国はフランスの一部となったのだった。その後、時代は下り、14世紀バロア朝の時代、第2代ジャン2世は百年戦争中のポアティエの戦い(1356年)で英国側のエドワード黒太子に敗れ、ロンドン塔に幽閉された。次のシャルル5世(在位1364-1380)になり、ブルゴーニュの地はその弟フィリップ剛勇公(在位1364-1404)の支配するところとなった。これが初代ブルゴーニュ公で同公国の始まりである。首都ディジョンの宮廷は著名な音楽家が活躍する場となり、芸術文化が花開くこととなる。フィリップは、1369年、フランドル伯ルイ2世と、ブラバント公ジャン3世の娘マルグリット、の長女であるマルグリットと結婚する。このことにより、ブルゴーニュ公領は、フランドルおよびアルトアの地も併せ持つようになり、公領は広がることとなった。フィリップの後を第2代ジャン無畏公(在位1404-19)が継ぐが、この時は英仏間の百年戦争中でブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立があり、ジャンは暗殺されることとなった。

下記『中世の秋』より。
このブルゴーニュの宮廷で活躍したギヨーム・デュファイ(1400頃―1474)は同じく同宮廷で活躍したジル・バンショワと異なり、イタリアにも赴き、1431年ローマ教皇エウゲニウス4世(在位1431-47)の戴冠式のためにモテット「忠実な教会の都ローマ」を、また1436年に完成したフィレンツェのサンタ・マリア大聖堂の献堂式ではモテット「みずみずしいばらの花よ」を作曲した。そして1453年オスマン・トルコによりコンスタンティノポリスが陥落した翌年にジャン無畏公の息フィリップ善良公(第3代ブルゴーニュ公、在位1419-67)の呼びかけで同都の奪還を求める集会のために「コンスタンティノポリスの聖母教会の哀歌」を作曲した。善良公と次のシャルル豪胆公(第4代ブルゴーニュ公、在位1467-77)は芸術に理解を示し、多くの音楽家が活躍した。シャルルには唯一の女子マリが残された。この結果、ブルゴーニュ公国はフランスに併合されることになり、またマリ(1457-1482)は後の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459-1519、在位1508-1519)と結婚し、ここにフランドルの領地は神聖ローマ帝国皇帝のハプスブルク家に引き継がれることになった。オランダの歴史家ホイジンガはその主著『中世の秋』のシャルル豪胆公に多く言及している。

西洋音楽史 3

2021-08-20 14:58:20 | 音楽一般
中世の第1期(450頃-1150頃)では、そのごく最初期に(中世以前の古代との考えもある)東方教会聖歌(シリア聖歌、アルメニア聖歌、コプト(エジプト)聖歌、アビシニア(エチオピア)聖歌、ビザンツ聖歌)が生み出された。これらの影響を一部受けて西方教会聖歌(グレゴリオ聖歌、アンブロジオ聖歌、モサラベ聖歌、ガリア聖歌)が成立した。そのうちの特筆すべきものが教皇グレゴリウス1世(在位590-604)に大成が帰せられるグレゴリオ聖歌である。以上の教会聖歌は「ルネッサンスとバロックの音楽」(筑摩書房)第1巻『中世の宗教音楽と世俗音楽』にすべて取り上げられていて、その片鱗を伺うことができる。また、私は
1.決定盤! グレゴリオ聖歌集大成(20LP)(キング・レコード)
を購入した。大部なので迷ったが、これに匹敵するものは後に出ることはないだろうと。(CDで再発されたように思う)皆川氏の監修で、解説者の1人にも名を連ねている。皆川氏の「発刊に寄せて」から少し長くなるが引用したい。
 グレゴリオ聖歌は、ヨーロッパ音楽の源泉である。それは、現存するヨーロッパ音楽のなかでもっとも古く、しかも今日なお演奏され人びとにふかい感動をあたえつつある、生命力にみちた音楽である。同時に、グレゴリオ聖歌は、祈りの音楽である。それは、ローマ・カトリック教会の典礼とふかく結びついて神への祈りとして歌いだされた音楽である。キリスト教が今日なおヨーロッパ精神のひとつの中核であるという意味でグレゴリオ聖歌はヨーロッパ音楽の精神の中核といえる。中世以来、それぞれの時代の作曲家たちはグレゴリオ聖歌から新しい霊感をうけとめ、それを作曲のひとつの規範としまたそれを楽曲構成のための素材として利用してきたのであった。あの古典派やロマン派の音楽家たちでさえグレゴリオ聖歌にたいする敬意と愛着とを隠そうとはせずその旋律を自己の作品の中に借用しさえしている。
レコードに付いた解説書ゆえ、解説が大部で詳しい。CDのだとこれほどまでのものは付かないだろう。「グレゴリオ聖歌を自分の作品に使った作曲家とその作品」と題する小石忠男氏の小論もあり、その中に、「ベートーヴェンは1818年、<ほんとうの教会音楽を書くために、修道院その他のあらゆる教会合唱を全部くわしく調べ、選び出すこと、最もよく出来た翻訳で、最も正確な韻律と歌の節を>と書き記した。彼の「第9」については、すでに述べたが、晩年の弦楽四重奏曲も、こうした彼の姿勢を反映しているものと思われる。」と述べている。
第2期(1150頃ー1300頃)では、南フランスおよびプロバンス地方に興ったトルバドゥール、それに少し遅れ北フランスに現れたトルベールの中世騎士世俗歌の時代を迎える。これはドイツでもその影響が見られ、ミンネゼンガーの芸術が生れる。
第1期に起こった多声音楽もこの時代に発展を迎え、ノートル・ダム楽派が誕生する。レオニヌスの2声オルガヌムは、1182年のノートル・ダム寺院の献堂式に鳴り響いた、との推測も出されている。ペロティヌスの3声、4声オルガヌムも寺院の拡大とともに生まれた?とも考えられている。これらは後に、アルス・アンティクヮ(旧芸術)と呼ばれることになる。
第3期(1300頃ー1450頃)はアルス・ノバ(新芸術)の時代を迎え、その代表的作曲家にギョーム・ド・マショー(1300頃-1377)がいる。マショーはボヘミア王ルクセンブルク公ヨハンに仕え、王に従い各地を旅し、戦役にも従軍したという。1337年から始まった英仏間の百年戦争はマショーの活動にも影響を与えた。百年戦争の第1期にあたるクレシ―の戦い(1346年)でヨハンを失った後、後にバロア朝を開始したフランス王フィリップ6世(在位1328-1350)の息ジャン2世に嫁いだルクセンブルク公ヨハンの娘ボンヌ、さらにナバール王シャルル2世の宮廷で仕えることになった。ボヘミア王ヨハンは、神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の息子で、息子のカール4世も同皇帝である人物である。ボンヌは、ジャン2世(在位1350-1364)が王位に就く前年に当時流行の黒死病で亡くなってしまった。マショーは、ジャン2世とボンヌの間に生まれたシャルル5世(在位1364-1380)に仕えて、ランス大聖堂で就任時の戴冠式で作曲した4声の『ノートルダム・ミサ曲』(一人の作曲家によって通作された最初の多声ミサ曲)が演奏されたとも言われるが、疑問視されている。
まず、この時代を知るために、
2.ゴシック期の音楽 デヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(アルヒーフ)(3LP)

を購入した。この「ゴシック期の音楽」で、マンロウは、
Ⅰ.ノートル・ダム楽派(1160頃-1250)
Ⅱ.アルス・アンティクヮ(1250頃-1320)
Ⅲ.アルス・ノヴァ(1320頃-1400)
と区分している。年代区分が多少異なるが、中世の音楽の第2・3期を扱っていることになる。アルス・アンティクヮ(旧芸術)にノートル・ダム楽派は含まれない? いくつか参考書に当ったが含んでいるように思われるが。
マンロウはこの時代の作品を多く我々に提供してくれている。少し先の時代のものも含むが、「マンロウ1800」のシリーズ(全10枚)をすべて挙げてみる。
3.宮廷の愛 Vol.1 (ギョ-ム・ド・マショーとその時代) デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)

4.宮廷の愛 Vol.2 (14世紀後半の様相) デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
5.宮廷の愛 Vol.3 (ブルゴーニュ宮廷の音楽) デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
6.デュファイ デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
7.ネーデルランド学派の音楽 VOL.1 世俗歌曲集 デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
8.ネーデルランド学派の音楽 VOL.2 器楽合奏曲及びミサ曲から デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
9.ネーデルランド学派の音楽 VOL.3 モテット集 デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
10.ルネッサンス・スペインの宮廷音楽 デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
11.モンテヴェルディの周辺 デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
12.プレトリウス/‟テルプシコーレ”とモテット集 マンロウ指揮 ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
中世の最後に書くことになる音楽家はイギリスのジョン・ダンスタブル(1380頃―1453)である。ダンスタブルは音楽家であると同時に外交官でもあった。百年戦争の休戦時(1413年頃までのことか)にフランスに滞在し、イギリス独自の六の和弦(ミーソードのような)の連続使用を大陸に伝え、また大陸の音楽をイギリスに伝えたということだ。この交流からルネサンス音楽が開始されることになった。ダンスタブルが亡くなったのは、1453年のクリスマス・イブの日で、この年に百年戦争は終わるとともに、東ローマ帝国の崩壊、歴史上中世が幕を閉じる年で、そういう意味で、ダンスタブルは音楽の歴史上中世の終焉に相応しい音楽家であるとともにまたルネサンスの扉を開いた人物と言えよう。CD時代になり、ルネサンス以前の作曲家の作品集は買うことはなかったのだが、コレクションを見ると、次の1枚があった。ヒリヤード・アンサンブルの名声を聞き、買ったものだったか。
2.ダンスタブル モテット集 ザ・ヒリヤード・アンサンブル(CD)(東芝EMI)


西洋音楽史 (続)

2021-08-14 12:51:41 | 音楽一般
中世に淵源を持つ西洋音楽のルーツの旅に出てみたい。

古典派、ロマン派と呼ばれる作品の多くに我々は、クラシック音楽と言えば、考え、接し、多く聴くのであるが、それらの前の時代はどのように区分されるのか。前回書いた寺西著『音楽史のすすめ』に「中世音楽史の時期的区分」の項があり、次のように出ている。
ほぼ400年(あるいは500年)ごろから1400年頃まで、とある。約1000年間である。その中で、真に中世的であったのは、900年頃から1300年頃まで、と。さらに、この1000年を5期に分けて説明を加えている。
(1)400-600年
(2)600-900年
(3)900-1150年
(4)1150-1300年
(5)1300-1400年
手元の「ブリタニカ」の西洋音楽史を見ると、古代ギリシアの後に、中世が、
第一期(400頃ー1150頃)
第二期(1150頃ー1300頃)
第三期(1300頃-1450頃)
とあり、続くルネサンスが、
ブルゴーニュ楽派(15世紀後半)
フランドル楽派(16世紀前半)
ルネサンスからバロックへ(16世紀後半)
とある。バロック時代以降は後で触れるとして今は中世、ルネサンスの時代を見てみたい。
この時代、ヨーロッパの歴史事象はどうであったか。中世はいつ? に対し、いろいろな考えはあるだろうが、一つの考えとして、ローマ帝国が東西に2分され(395年)、その後西ローマ帝国が滅亡し(476年)、そして東ローマ帝国が滅亡した(1453年)、この東西ローマ帝国の滅亡年をヨーロッパ中世の開始および終りと見る考えだ。イギリスのジョン・ダンスタブル(1380-1453)の活動時期およびヨーロッパ中世史から見て、音楽史においても、中世を400年(あるいは500年)頃から1450年頃までの約1000年間(450年から、とした)、と見てみたい。これを3期に分けるならばブリタニカに倣い、それぞれ700年、150年、150年となる。
ルネサンス時代は、1450年ごろから1600年頃の同じく150年間と見ていいだろう。
これらの時代の解説は、「ブリタニカ」および先に述べた「ルネサンス・バロックの音楽」(全12巻)についている解説書も大いに勉強になる。「中世・ルネサンスの音楽」(皆川著)を読めば、一般の愛好家にとっては充分な知識を得られるだろう。他に、私は、
1.中世・ルネサンスの社会と音楽 今谷和徳著(音楽之友社)

を読んだ。社会の動きの中で音楽家たちがどのような活動をしたか、そのような事を知りたいと思ったからだ。




西洋音楽史

2021-06-16 20:10:20 | 音楽一般
ヴィヴァルディは、後期バロックの作曲家である。後期があれば、前期、中期もあるだろう。バロックの時代の前はルネサンスの時代。その前、中世の時代の音楽は、などとやはり現代の音楽にたどり着くまでの歴史を知りたく思った。古典ギリシアの時代も音楽はあったはずだが、とりあえずグレゴリオ聖歌からの歴史をまず学びたいと思った。そのような時に出版されたのが、

1.ルネサンス・バロックの音楽 全12巻(筑摩書房)

である。文学物を主に出す社であるが、他の分野の本を出すこともある。これも私にはお気に入りの書で、愛蔵品である。LP2枚と、解説書が付いている。
第1巻 中世の宗教音楽と世俗音楽、から第12巻 古典派への道、とあり間にバッハが4巻を占める。服部幸三と皆川達夫の両氏の編集で解説もとても勉強になる。(すべてしっかり読んだわけではないが、こう書くとまだ読んでないエッセイ、以前読み学んだエッセイも再度読んでみたい気持ちが起こる。)前回書いた「世界大音楽全集」とこの「ルネサンス・バロックの音楽」で西洋音楽の流れは掴めることができたように思います。

服部さんはラジオでよく解説をされていてカセット・テープに収め、今も所持している。皆川さんは、最近亡くなられたが、いくつか本を買い勉強した。

2.バロックの音楽 皆川達夫著(講談社現代新書)

3.中世・ルネサンスの音楽 皆川達夫著(講談社現代新書)

これからもこの2冊は折に触れ読んでいきたい。演奏ものでは、

4.マンロウ ゴシック期の音楽 LP3枚組

5.グレゴリオ聖歌全集 LP20枚組(キング・レコード)

をまずあげなくてはならない。

1.の全集では、当然のことながら、ゴシック期の音楽はその一部をふれるだけであった。もう少し知りたいと思い購入したのが4.でタイムリーにレコード店で見つけ購入した。今、手元に置いていないため内容を書くことはできないが、マンロウの死去の知らせをその後ほどなくして聞いた時には驚いてしまった。つぎはどのようなレコードを出してくれるのかと思っていたところだった。

5.は、やはり1.では部分的にしか接することができなかったので、これを聴けばと思い、購入した。これまでに聴いたのは1度だけのように思う。持ち帰るのが重かった。すごく立派な解説本が付いていて、読んで勉強したいと思っているがまだしていない。

2.と3.の本は興味を持って読んだ(部分的に?)。3.は間違えて2冊買ってしまった。(1冊は後で処分)皆川さんの書かれた本は文章が読みやすいし、また深い知識に裏付けされているようでとても勉強になります。そばに置いておきたいですね。次の書も購入しました。

6.西洋音楽ふるさと行脚 皆川達夫著(音楽之友社)

これは第1部で、専門の中世・ルネッサンスの音楽を扱い、2・3部ではざっくばらんな話題を扱っていて、葡萄酒のことも語っています。ところどころつまみ読みをしただけか? 皆川さんについて、こんな言葉をどこかで見たように思います。カラヤンのヴィヴァルディの演奏は、女性の厚化粧のようだ、と。カラヤンファンの私にはそんなことが記憶にあります。まあ、すべて芸術に対する受け取りは人それぞれで、ここでは玄人・素人はないように思うので、自分に合う演奏と思えばそれでいいのではと思います。

手元にある、ブリタニカの百科事典で「西洋音楽史」の項を見ると、「古代ギリシア」の項が出ています。ピタゴラス音階など、また古代ギリシアの演劇を見ると、合唱隊なども出てきたりします、またキタラ、リラなどの楽器なども語られます。どのような音楽なのかと思っていた時がありました。そうしたらこれも何と、レコードになって出た時がありました。放送で一部を聴いたか?、覚えてないですが、このレコードは蒐集が趣味の私も結局買いませんでした。

パンフです。その後は、このような試みはなされていないように思います。

このギリシアの音楽ですが、さきほどの皆川氏は、3.の中で「古代ギリシアの音楽をもってヨーロッパ音楽の原点とみなすことはできない」「古代ギリシアの音楽がその後の時代に残した遺産は、音楽作品そのものではなく、むしろその音楽理論であり、その美学であり、また音楽劇の理念であった。」と述べています。そのように考えるべきなのでしょう。他に、買った本には、

7.音楽史のすすめ 寺西春雄著(音楽之友社)

8.音楽の歴史 ベルナール・シャンピニュール著 吉田秀和訳(文庫クセジュ 白水社)

があります。7.は、ざっと読んだ、のメモがありましたが、8.は読んでない? ざっとでもこれから読んでみたいと思います。

西洋音楽入門

2021-04-12 16:19:19 | 音楽一般
クラシック音楽には、高校1年ごろから興味関心を持ち始めた。周囲の中学から聴いているとか、楽器を学んでいるなどと言う人もいるのを知ると自分は遅い方なのかと思った。そしてその人達に負けないようにクラシック音楽について様々なことを知りたいと自然思うようになった。人と競争するようなことでもないのだが。
ちょうどそのころ

1.世界大音楽全集(河出書房)
なるものがでた。レコードを含む本で、だから大判である。いろんな意味で自分の興味を満足させてくれるとともに、大変勉強になった。

これから書いていこうとすることはこれまでのレコード・CD・音楽に関する本、などの蒐集についてであり、結構多量なものである。いまこれを書くのは、このうちで残しておきたいもの、余計な買い物だったか、など自分のためのメモ書きになる。断捨離といえばいいか。そのためのものです。記憶で書いていくこともあり、後で追加、訂正もあるでしょう。自分でこれまでの蒐集を整理してみたいということから書き始めてみることにする。(何やら兼好法師に似た書きぶりか。)

1.が出たころは、ちょうど昨年生誕250周年を迎えたベートーヴェンの生誕200年の年の前後で、

2.ベートーヴェンの作品全集(レコード78枚)(グラモフォン)

が出た。この2についてはまたベートーヴェンのみを扱った章で詳しく書きたい。

当時、西洋音楽を紹介する本も、どのような曲があるのかを知りたいと思い次の本を購入した。

3.名曲をたずねて(上)(下) 神保◉一郎著(◉は景に王偏が付く)(角川文庫)

4.名曲決定版(上)(下) あらえびす著(中公文庫)

河出書房は、1.を出す以前「世界音楽全集」を発行していた。17cm(?)のレコード2枚が付いた解説本で、もし1回配本が出る前に知っていたら全巻購入していたかもしれなかったが、数巻買っただけで、「世界大音楽全集」が出たこともあり、全巻は求めなかった。今もその数巻を所持している。いずれ処分? ウェーバーやロッシーニなど「大」に入っていない作曲家も入っている。さて、この1.だが最初24巻、のちにさらに6巻出て、全30巻の膨大なものである。ヴィヴァルディからショスタコ―ヴィチまで40数人の作品、および伝記がその構成の中心である。LPレコード2枚が付き、こんな低価格でいいのかと思っていた。そういう点、実に有難かった。いや、それよりもそこに収められていた名演奏に感謝すべきだろう。バルシャイのモーツァルト、ミュンシュなどのドイツ系の名曲群の演奏。それにこれまで何回か触れた(当時)ソ連のピアニストであるルドルフ・ケーレルによるベートーベン「皇帝」、ラフマニノフの「第2番」の協奏曲。何度言っても言い足りないくらい素晴らしい演奏だ。よくお仕着せのこういうタイプのものでは自分の望む演奏家のものが選べないなどといって良しとしない人もいるが、この全集についてもそのようなことを言う人がいるだろうか。伝記や曲の解説などもとても勉強になり、また音楽史的な解説も時たま付いていて勉強になることが多かった。ただ、ごく一部、この記述、このエッセイはない方がいい、読みたくないのもあった。出版社は採算取れたのだろうか? などと思った。私にはクラシック音楽にちょうど興味を持つ頃であり、大変ありがたい出版であった。ネットを見ると、これを出している人があるようだが、私は、記入などもあり、出せるものではないが、ずっとそばに置いておきたいものだ。

3.の著者は(1897-1976)とネットで探すと生没年がでている。(上)(下)とも初版昭和50年、再版昭和51年発行のもの。「序に代えて」には「日本の国ほど音楽に恵まれている国はない。……ベートーヴェンが禁止されたり、その国のイデオロギーをPRする曲が優先されるといったことがない。まったく自由に音楽がある。また、東洋の片隅にある遠いこの国に、世界の一流演奏者や演奏団体が、たえずやって来て名演をきかせてくれる。まったくありがたいことだ。……」とある。(昭和50年の記述)さらに読むとどうもこの本はずっと以前、戦争(大東亜戦争)前に出されたもののようだ。「戦争の最中、私のところに中国の第一線にある将校から「名曲を尋ねて(注文庫での再版に際し「たずねて」に変更)」を送ってくれという手紙が来たことがある。」の記述がある。文庫でだすにあたり、新たに記述を加えたとある。「音楽のすがた」「楽曲の形式」などの項の後に、グレゴリアン・チャント、パレストリーナから作曲家の紹介、代表曲の説明と続く。ショスタコーヴィッチの交響曲第15番なども解説されていて、これは文庫版で追加されたのだろう。私はこのような曲紹介を見ると、集めたい、聴いてみたいとチェックを入れる。98%くらいはチェックが入っただろうか。

4.著者あらえびすは、このブログを読んでくださっている方はご存知だろうか。野村長一(おさかず)(1882-1963)である。まだ? の人も多いだろう。「銭形平次捕物控」の著者である。私も最初知ったときには驚きました。しかしもっと驚いたのは、この本の内容。演奏家を挙げ、その録音物を述べているのである。(上)では、ヴァイオリン、ピアノ、チェロ、室内楽を扱い、(下)では歌、管弦楽、器楽等を扱っている。上巻の巻頭言、この書の成るまで、には「音楽を愛するが故に、私はレコードを集めた。それは、見栄でも道楽でも、思惑でも競争でもなかった。未知の音楽を一つ一つ聴くことが、私に取っては、新しい世界の一つ一つの発見であった。」と書き始められている。「その頃、日本においては、ワーグナーもベートーヴェンも聴く方法はなかった。劇詩としての『白鳥の騎士(ロ―ヘングリン、のルビ付き)』を読み、文献によって『第九シンフォニー』の壮麗さは知っても、それを音楽として聴くことの出来なかった時代に、我らは少青年時代を送ったのである。」と続けられている。今は、何たる恵まれた時代とつくづく思わざるを得ない。
「クライスラーには、特別の甘さがあり、比類のない情味がある。」
「ティボーの演奏において感ずるものは、美しさと弱さである。気高さと頼りなさである。」
「メニューインを一度聴いた人たちは、その重厚な気品と、高邁な気魄に敬服せざるはない。」 
「クーレンカンプには、猶太(ユダヤ)系提琴家たちの持つ旋律の甘美さはない。」などの言葉が続く。この時代にここまで聴いていたのかと思ってしまう。演奏家の代表的名盤もずらりと挙げられている。まったくの驚きである。弦楽四重奏団にも、カペエ、レナー、ロート、クレトリー、ロンドン、ブッシュ、プロ・アルト、フロンザリー、ローゼ、ブダペスト、デマン、等々と続く。私の名前さえ知らない団体もたくさん出てくる。歌手についても同様である。驚かざるを得ない。

ということで、このような雑文を重ねていきたいと思う。