Catch Ball

修業の時計を止めない教師でありたいです。

宝運びゲーム 第5時間目 1

2009-10-21 23:22:25 | 体育
 5時間目は,10年経験者研修の研究授業として行った。主任指導主事の先生をはじめ,勤務校の先生方が参観された。

 授業の組み立ては次の通りである。

1.向山型準備運動・体つくりの運動
2.主運動Ⅰ:長縄跳び
3.主運動Ⅱ:宝運びゲーム

 宝運びゲームでは,最初に作戦を立てさせた。

 1人1人の意見は,昨日の「おたよりノート」に書かれている。したがって,1人1人が考えを持って話し合いに臨んではいる。
 私は,1人1人の子がどんな作戦を考えていたのかを,きちんと把握していた。

 問題だったのは,子どもたちに話し合いの学習技能が身についていないということである。
 そのため,自己顕示欲の強い子の意見に左右されがちになってしまうところがある。
 気の弱い子の意見が吸い上げられにくい。
 例えば,「1人で突破しようとせず,2人揃うまで待つ」という意見を書いていたMさんは,なかなか意見を言い出すことができない様子であった。

 話し合い活動に関してのもうひとつの問題は,クラスに自己顕示欲の強い子が多すぎるということである。
 1人1人が意見を持っている。
 それぞれ違う考えであるから,どれを採用しようかということで衝突するのである。
 互いに譲り合うなどして妥協点を見いだせないため,一見すると喧嘩のようなやり取りになってしまうのである。

 この場面に限らず,今日の授業の中では,子ども同士の激しいやり取りが何度も見られた。

 作戦タイムでの意見の衝突のほか,試合中では,ラインを出たとか出ないとか…。転ばされたとか,そうではないとか…。
 試合結果の確認中には,ズルをしたとかしていないとか…。

 研究授業で多くの先生方が参観しているのであるから,多少は空気を察知してほしいとも思うのだが,普段のままであるのも私のクラスらしいと思う。
 
 このような喧々囂々とした雰囲気の中でも,私は比較的落ち着いていた。
 全て想定の範囲内だったからである。
 喧嘩が起こってもよいと思っていたのである。

 子どもたちのやり取りを,私も当然見ているのだが,指導の手をほとんど入れなかった。
 これは意図的である。

 このような場面を経験することも,人間形成には必要であると考えているからである。

 体育で育てるのは,究極的には人間力であるという考えを持っているからである。

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