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修業の時計を止めない教師でありたいです。

尖閣諸島を譲ったらどうなるか 2

2012-12-26 11:03:08 | 社会
 ブータンでは中国が北部を領有し,国土の2割ほどを奪われた状態となっている。

 チベットは軍事力により制圧され,中国に主権を奪われている。

 1992年,中国は尖閣諸島や西沙諸島,南沙諸島といった日本や東南アジア諸国と領有権で問題となっている地域を自国の領土であると規定した「領海法」を施行した。
 そして,2012年7月17日には三沙市の成立を一方的に発表した。
 この三沙市には,フィリピン,ブルネイ,ベトナム,マレーシア,インドネシア,台湾が実効支配している島が含まれている。

 尖閣諸島を譲るということは,日本の未来もこのようになる恐れがあるということにつながっていく。

 日本列島を起点に45度ほど角度を変え,中国大陸から太平洋を望む視点で作られた地図を見てみる。

 日本列島や沖縄などの島々が左から右(北から南)まで中国を包囲しているような形となっている。

 中国が太平洋に出ていくためには,この日本の領海を抜けていかなくてはならない。

 そういった意味でも,日本の島々の存在は中国にとって煩わしい存在であるといえる。
 
 中国が尖閣諸島を足掛かりに,将来的に沖縄,さらに日本列島そのものを支配下に治めようとしている可能性は十分にあるのである。

 そんなことが許されるはずがない。

 何よりも大事なのは,日本人が自分たちの力で領土を守る気概を持つことである。

 そのために教育の持つ力は大きい。
 若い世代を教育して,歴史的な事実関係を理解させ,中国に対してきちんと反論できるようにすることが必要である。

尖閣諸島を譲ったらどうなるか 1

2012-12-25 22:59:14 | 社会
 尖閣諸島は現在日本が実効支配しているが,世界第2位の軍事大国となった中国が領有を目指して動いている。

 尖閣諸島は歴史的に見ても明らかに日本の領土である。

 しかし,自信を持って尖閣諸島が日本の領土であるといえる日本人は少ない。
 中には「日中で半々にすればいい」「小島の1つや2つ,中国にくれてしまえ」というような暴論を言う者までいる始末である。

 これは日本の学校教育において領土の問題を取り上げてこなかった結果ともいえる。
 教育の責任は大きい。

 仮に日本が中国に尖閣諸島を譲ったらどうなるのであろうか。
 暴論を言っている者たちは,そのことを深く考えたことがあるのだろうか。

 尖閣諸島を譲ってそれで終わるという保証は全くないのである。

 尖閣諸島を譲ったということは,他の土地についても日本は譲る可能性があるということを中国に示すということになってしまうのである。
 なめて見られるのである。

 尖閣諸島は小さな島であり,仮になくなったとしても,多くの日本人にとって生活が変化するということは少ない。

 しかし,一度譲歩してしまえば,次に中国が求めてくるのは沖縄であることは間違いないといわれている。

 中国での反日デモでは,「沖縄を日本から奪い返せ」という主張をしている者もいる。

 歴史的に見れば,明や清は琉球と君臣関係を結ぶ冊封体制を敷いていた。
 琉球は中国を宗主国として朝貢を行っていたのである。
 琉球が中国の支配下にあった時代があるのは確かである。

 琉球王国が薩摩藩の支配下に入ったのは江戸時代初期の1609年であり,明と薩摩の両属の領土となった。
 日本に編入されたのは明治維新後である。
 1872年に琉球藩となり,清との交易も禁じられた。
 1879年に廃藩置県が断行され,沖縄県となったが,清が撤回を要請し,分割案も浮上。
 最終的には日清戦争で日本が勝ったことにより,日本に編入されることに落ち着いたのである。

 このような歴史があることから,中国に世論には沖縄を奪還せよという意見があるのである。

 中国の主張は沖縄だけにとどまらないかもしれない。

 日本は遣隋使,遣唐使など中国に朝貢していた歴史がある。
 さらにもっと歴史を遡れば,239年に卑弥呼が魏から金印を授かったといわれている。
 また,57年に倭の王が漢の光武帝から金印(漢委奴国王印)を授かったともいわれている。
 この金印を授かった国は魏や漢の従属国ということである。

 このような歴史を盾に,中国が日本そのものを領土として主張してくる可能性すらあるのである。

 そのような理不尽なことがありえるのかという意見もあるだろう。
 しかし,実際に中国はブータン,チベット,南シナ海周辺などで理不尽な主張をし,実効支配を強めているのである。

「学習発表会」の劇は国語?

2012-10-27 22:30:14 | 教師修業
 勤務校の「学習発表会」は11月10日である。練習が本格化してきている。
 私の担任している5年では,劇「ほんとうの宝ものは」に取り組んでいる。
 勤務校では,今年度から1・3・5年が劇,2・4・6が音楽と,職員会議で申し合わせがされた。

 私が疑問に思っていることがある。

 そもそも劇というのは,何の学習なのかということである。
 「学芸会」ではなく「学習発表会」なのである。

 劇の練習の時数は何の教科で取ればいいのだろうか。
 「国語だ」という先生が多い。
 
 本当だろうか。
 学習指導要領にあたってみる。

 1・2年の「読むこと」の言語活動例として「イ 物語の読み聞かせを聞いたり,物語を演じたりすること」とある。
 解説を読むと,「役割を決めて読んだり,友達と協力して人形劇,音読劇,紙芝居などの簡単な劇をする活動」とある。
 私の読み取りでは,学芸会で行うような大掛かりな劇とはだいぶ違うように感じる。
 
 3年以降には,劇に関する記述はない。

 1・2年に関してはよいとしても,3年以降は国語として扱うことには無理があると言わざるを得ない。

 私は昨年度も5年を担任したのだが,劇が一体何の学習にあたるのか分からなかったので,音楽を行った(1・3・5年は劇という決まりも昨年度はなかったので)。

 教科書にある曲を合唱・合奏したのである。
 普段の学習の成果を発表したのだから,これなら「学習発表会」といってもいいだろう。

 再度いうが,「学芸会」ではなく「学習発表会」なのである。

 このような名称になっていることには,おそらく意味があるはずである。

 たぶん時数との兼ね合いもあるのだと思う。
 私が新任の頃は,このような行事の練習は「学校行事」として時数を取っていた。8時間ほどあったと記憶している。
 しかし,現在は余剰時数がほとんどなくなり,教科で取らざるを得なくなった。
 そのようなこともあって「学習発表会」という名称になったのだと思う。
 
 名称は変わっても,内容は変わらない。
 しかも,普段の学習の発表ではない。
 「学習発表会」とはいったい何なのだろうか。

6年3組同窓会 2

2012-10-13 22:17:56 | 教師修業
 子どもたちの夢や現在の職業を聞きました。
 M君は教師を目指し,現在利府支援学校で講師をしているそうです。
 K君はブックオフで働いているとのこと。
 Sさんは看護士。
 K君はデザイナー。
 M君はミュージシャン。どんな音楽を目指しているのかを聞いたところ,彼には確固たる信念があることが伝わってきました。

 みんな,それでいいんだ。
 自分の信じた道を歩んでいってほしい。

 Sさんが「先生の夢は何ですか」と聞いてきました。
 「今が夢だ」と答えました。

 私にとって,夢は先にあるものではないのです。
 教師を志したときの爆発的なエネルギーが現在も続いています。
 現在,やっていることの状態。
 これが夢です。
 30年後も50年後も同じようにやっていると思います。

 最後に,「今日は先生にプレゼントがあります」と言われました。
 そんなものが用意してあるとは全く気付かなかったので,驚きました。
 「お前たちはサプライズが好きだな」と思わず言いました。
 子どもたちも大笑いしていました。

 卒業式前日の放課後,子どもたちに取り囲まれ音楽室に連れていかれました。
 そして,いきなり子どもたちの企画による「感謝の会」が始まりました。
 
 また,卒業式の日,最後の学級活動を終え,「さようなら」をする直前に,1人1人のメッセージが入ったカセットテープを渡されました。

 これらのことは極秘で計画が立てられ,私は全く知らなかったのです。

 今回のプレゼントの件も,私を驚かせようと,事前に話し合いをしていたようです。

 しかし,このサプライズ企画の方法は,もともと私が教えたものです。
 転校生が出たときには,本人に極秘でお別れ会の計画を立てました。
 今回も参加したM君のお別れ会のときは,目隠しをして突然屋上に連行しました。
 M子さんが転校するときの企画はもっと大がかりでした。
 大説教をしたあとに全員に反省文を書かせたものの,その内容は別れの手紙でした。

 当然,子どもたちもこれらの出来事はしっかりと記憶していたようです。

 今回のサプライズによって,この子どもたちの中に間違いなく私の遺伝子が息づいているということが確認できました。

 とても楽しいひと時でした。教師冥利に尽きます。

6年3組同窓会 1

2012-10-12 22:11:32 | 教師修業
 10月5日(金),初任校での初めて卒業生との同窓会が行われました。

 Facebookでこのときの子どもたちとのつながりができたことから実現しました。
 初任校では4・5・6年と3年連続で持ち上がったので,大変思い出深い子どもたちです。

 卒業式の後,私はすぐに異動となったので,その後は子どもたちとは1度も会っていません。
 2002年3月以来,10年ぶりの再会となりました。
 
 Tさん,Sさんが中心となって企画してくれました。
 急な呼び掛けにも関わらず,9名も参加してくれました。
 発起人の2人の他は,K君,Y君,M君,T君,K君,M君,Mさんです。MさんとTさんの娘さん,そして,Mさんの妹さんも参加しました。
 Mさんに子どもがいたことは知らなかったので,驚きました。
 参加できなかった子たちからもたくさんのメールが届いていました。とてもありがたいことです。

 近況を報告し合ったり,卒業アルバムを見ながら思い出話に花が咲いたり,大変盛り上がりました。

 私がすっかり忘れていたエピソードも話題になり,だんだん記憶が甦ってきました。

 M君がクラスでいじめに遭ったことが話題となりました。
 そのとき,私は授業を全て潰し,問題の解決に当たったとのことです。
 言われてみれば,確かにそんなことがありました。
 このことは子どもたちの心に強烈に残っているようです。
 Sさんはこのことを就職試験の小論文に書いたというのです。
 私は「熱い教師」として子どもたちの印象に残っているようです。

 卒業アルバムの中から1枚のプリントが出てきました。
 「同窓会のお知らせ」と書いてあります。
 私が卒業式の日に配ったものだというのです。
 2012年3月に同窓会を行うと書かれていました。
 日付,時間,幹事まで決められていました。
 そして,10年ごとに同窓会を開くということも書いてありました。
 完全に忘れていましたが,間違いなく私が作ったものです。

 当時はくだらないこともいろいろしていたということも話題となりました。
 自分の娘が生まれたときは,教室に写真を掲示しました。
 他にも夫婦の写真なども掲示していました。
 ギャグの一環としての掲示物ですが,公私混同も甚だしかったと反省しました。

 「お助けし隊」という係の活動について,M君が語っていました。
 そんな細かいことも子どもたちの記憶に残っているのだなと感心しました。
 ちなみに一緒に活動したはずのK君は全く記憶にないとのことでした。

「報道の日」を視聴して知った教え子のドラマ

2011-12-26 23:19:15 | 教師修業
 TBS系「報道の日2011」を視聴していた。東日本大震災の特集である。
 七ヶ浜町でのドラマが紹介されていた。

■■
 宮城県七ヶ浜町に住むSさん一家の初めての子どものMちゃんは,避難生活で命を落としかけた。
 七ヶ浜町は,東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた。

 妻・Mさんの実家は,津波で全壊してしまった。
 Mちゃんのことを考え,暖房を効かせられる車で過ごした。
 母乳さえあれば生きていけると思っていた。

 そう思っていた矢先に,生後2カ月のMちゃんに異変が起き,すぐに七ヶ浜町母子健康センターへと駆け込んだ。
 Mちゃんは母乳をのどに詰まらせていて,センターのスタッフによって一命を取り留めた。

 翌日,Mさんはストレスのせいか母乳が出なくなり,Sさん一家は避難所の七ヶ浜国際村に入ることにした。
 しかし,Mちゃんは粉ミルクを飲まず,母乳しか受け付けない。
 母乳を飲めないまま数日が過ぎ,Mちゃんに危機が迫っていた。

 そのとき,Sさん夫妻は見知らぬ女性がMちゃんに母乳をあげているのを目にした。
 母乳をあげていたのは見ず知らずの人で,避難所にいた人でもなかった。
 Mちゃんを助けたいという,見知らぬ人たちの命のリレーによって,情報はその女性へと伝わった。

 女性は避難所のあった七ケ浜町に住んでおり,同じく赤ちゃんを抱えた母親だった。

 赤ちゃんの情報は,ラジオを通して拡散した。
 同じ避難所にいた別の女性が,ホームセンターにたまたま止まっていた東北放送のアナウンサーにラジオで伝えて欲しいとお願いしたのである。
 その情報をつかんだ別の女性が,いとこである女性に伝え,母乳を届けたのだという。

 情報を伝えるラジオでは「ミルクが必要」という情報しか伝わらなかった。
 多くの人が「必要なのは粉ミルクだ」と思っていた中で,女性は母親である経験と直感で「母乳が必要なのだ」と感じたという。

 その後,Mさんも母乳が出るようになり,Mちゃんは一命を取りとめた。

 現在,2人の母親は互いに交流を深めている。
■■

 この赤ちゃんの母親であるS・Mさんは,14年前,4年生のときにわずか2ヶ月間だが私が担任した子である。
 最初にテレビで顔を見たときには気づかなかった。
 だが,どこかで見たような顔だと思った。
 そして,名前が出てはっきりと分かった。

 七ヶ浜で教えた子どもたちがどうしているのか,とても気になっていた。
 このような出来事があったとは全く知らなかった。
 命のリレーが繋がれ,一つの幼い命が助かったことに感動した。

避難訓練「おはしの約束」

2011-11-17 19:10:58 | 特別活動
 昨日,避難訓練がありました。
 避難の鉄則として「おはしの約束」というのがあります。

 普通はこう言われています。

 「お」……押さない
 「は」……走らない
 「し」……しゃべらない

 しかし,私は「そうではない」と伝えました。

 「お」……お話しない
 「は」……話さない
 「し」……しゃべらない
 
 つまり,「口を閉じなさい」ということです。
 非常時には,これを徹底しなければなりないと思います。

 話をしていては,教師の指示が徹底しません。
 放送も聞こえません。

 もちろん「押さない」「走らない」も大切でしょうが,一番重要なのは「しゃべらない」であることは間違いないと思います。
 とにかくしゃべっては駄目なのです。

 指示や放送が聞こえない結果,命を失うことにもなりかねないのです。



 私は毎年このような指導をしています。

 3月11日の東日本大震災。
 
 あの激しい揺れの中で,3年生の私のクラスの子は机の下に入り,黙って耐えていました。

 長時間,黙って耐え抜いた子どもたちの態度は,本当に立派でした。


 先月,休み時間に防犯警報が鳴ったことがありました。
 これは,不審者が校内に侵入したときなどに鳴る警報なのです。
 
 そのときも,私はまず子どもたちを黙らせました。
 廊下にいた子たちを全員教室に入れました。
 その上で,「先生が教室から出たら,鍵を掛けなさい」と言って,現場の確認に行きました。

 警報が鳴った原因は誤作動だったのですが,もし本当に不審者が入ってきていたとしたら,そして,もし騒いでいて私の指示を聞き逃したとしたら,命の危険にさらされていたかもしれません。

 今回の避難訓練も立派でした。
 1人もしゃべっていなかったと思います。
 整然とした態度で避難できました。

工業地帯と工業地域 2

2011-11-16 21:08:58 | 社会
 資料集を見ていたAさんが,次のように発表した。

「古くから工業が発展している京浜・中京・阪神は工業地帯と呼ばれますが,そのほかの北九州・瀬戸内・東海・京葉・関東内陸などの地域は工業地域と呼ばれます」

 Aさんは,社会の資料集をしょっちゅう読んでいる。読み込んでいる。
 だから,このように書いていることに気付いたのである。

 「工業地帯は戦前から工業が盛んだったところです。戦後新しく増えた工業地帯を,それまでの工業地帯と区別するために工業地域と呼ぶことにしたのです」と説明した。

 しかし,この説明では,北九州が工業地域になっていることには納得いかない。

 「かつては4大工業地帯といっていましたが,工業生産額から見ると,他の工業地域よりも低くなってしまったため,北九州は4大工業地域から引き落とされ,最近では3大工業地帯といいます」といって,まとめた。

 「これらの工業地帯に共通していることは何ですか」と聞き,ノートに作業させた。

 ・海沿いである。
 ・太平洋側に多い。
 ・人口が多い。
 ・機械工業が盛ん。
 ・川が流れている。
 ・高速道路が近い

などが出された。

 これらが,工業地帯ができる場所の条件となるのである。
 海の近くだと,原料の輸入や製品の輸出がしやすい。
 製品を高速道路で送ることができる。
 大きな川があれば,工業用水を得やすい。
 
 最後に「このように工業地域や工業地帯が広がっているところを何と言いますか」と聞いた。
 「太平洋ベルトです」と答えて,授業を終えた。

工業地帯と工業地域 1

2011-11-15 21:06:49 | 社会
 社会で「工業生産と工業地域」の授業を行った。
 13日のサークル例会で模擬授業した部分である。
 
 まずは,教科書にある,工業地帯・工業地域とその生産額を表す図を読み取らせる。

 「中京工業地帯はどこですか」「その工業生産額はいくらですか」と,資料の見方を確認していった。

 「9つの工業地帯・工業地域が出ています。1位から9位まで順位をつけなさい」と言って,教科書に記入させた。

 その順位をノートに記述させた。

 順位は次のようになる。

 1位 中京工業地帯
 2位 阪神工業地帯
 3位 関東内陸工業地域
 3位 瀬戸内工業地域
 5位 京浜工業地帯
 6位 東海工業地域
 7位 北陸工業地域
 7位 京葉工業地域
 9位 北九州工業地域

 順位をつけたり,ノートに書いたりしているうちに,あることが気になってくるはずである。
 「“工業地帯”と“工業地域”はどう違うのだろうか」という疑問が思い浮かぶのである。

 「何か『はてな?』と思うことはありますか」と聞くと,予想通り「工業地帯というのと工業地域というのがある」という。

 「工業地帯と工業地域というのは,どう違うのですか。どういうふうに区別しているのですか」と聞いた。

 子どもは,教科書の前のページを見て,次のように説明した。

 「多くの工場が集まり,工業生産が盛んな地域を工業地域という。その中でも特に帯のようにつながっているところを工業地帯という」

 何だか分かったような,分からないような説明である。
 瀬戸内だって北陸だって帯のように連なっているではないか。

 「工業地帯と工業地域ではどちらが規模が大きいということですか」と問うと,「工業地帯だ」という。

 それに対して,おかしいという子も出た。
 3位,4位は工業地域で,5位が工業地帯なのである。

 次のように言って,子どもを更にゆさぶる。

 「北九州工業地域となっていますが,これは北九州工業地帯ということもあります」

 子どもの「はてな?」はさらに大きくなる。
 「どうして最下位の北九州が工業地帯なのだ?」

選挙の投票で

2011-11-13 23:25:47 | 教師修業
 本日,宮城県議会議員選挙があった。

 選挙に行って,いつもやってみるくだらないことがある。

 投票用紙を折り曲げて,置いておくのである。
 すると,すぐに開く。

 4つ折りにして置いてみる。
 やはりすぐ開く。

 ならば,もう1回折ってみたらどうだろう。
 多少時間が掛かるが,開くのである。

 思いっきり力を込めて折り目を付けてみる。
 これはさすがに開きにくいようである。

 あまり長時間やっていると,怪しまれるのでほどほどにしておく。

 これはただの紙ではない。
 開票しやすいように,折っても開く特殊な紙を使っているのである。


 投票所で「はてな?」と思うことのひとつに,鉛筆がある。

 必ず鉛筆である。
 しかも,いつも2Bである。

 なぜなのだろうか。
 ボールペンやサインペンでは駄目なのだろうか。

 調べてみると,理由は2つあるようである。

 ひとつは字写りを防ぐためであるという。

 ボールペンやサインペンでは,インクが他の用紙についてしまう可能性がある。
 汚れるばかりでなく,紙同士がくっついてしまう恐れもあるという。

 もうひとつは,経費の削減であるという。

 鉛筆は,ペンに比べると安価である。
 ちなみに2Bなのは,力のない方でも書きやすいようにという配慮からのようである。
 だったら,4Bとか6Bでもいいのではと思うが,たぶん擦れて汚れてしまうから駄目なのであろう。