Catch Ball

修業の時計を止めない教師でありたいです。

志村けんに学ぶ 4

2011-10-30 20:38:58 | 道徳
 僕の夢は,1級建築士になって誰にも認められる大工になることです。志村けんさんの話を聞いて,思いました。夢をあきらめちゃいけない。「つらいことが終わったら楽しいことが来るんだ」と書いてあって,僕も簡単に夢をあきらめちゃいけないと思いました。

 若いときに決意して,61歳の今まで夢をあきらめないで続けるということを学びました。すぐあきらめると,仕事がなくなってしまうので,今日学べてよかったです。

 志村けんは努力して,自分の夢に向かっていきました。私も幼稚園の先生になるために努力をしようと,今日学んで思いました。志村けんさんは,すごく素敵な人,すごい人だと思います。何があっても,夢をあきらめてはいけないということを,すごく学びました。

 私は,志村けんさんがこんなに頑張ってきた,こんなに苦労をしてきたんだと思いました,努力したら,必ず夢がかなうと思いました。

 今回の学習で,努力の大切さを知ることができました。康徳さんが夢に向かってずっと努力し続けたことは,とてもすごいことだと思いました。将来,僕もつらいことを耐えるように努力したいです。

 学んだことは,決して自分の夢を壊さないことや,あきらめない気持ちを強くするということ。ずっと我慢してやると,いいことがある。努力する。努力は必ず夢に結び付く。

 13歳でお笑い芸人になる決意をした。そして,いかりや長介のところを訪ねた。でも,留守だった。それでも待ち続けた。やっと帰ってきて,1週間後に連絡すると言われた。電話が掛かってきてやることにしたみたいです。すぐにあきらめちゃだめということを,忘れちゃいけないなと思いました。

 こんなに長く付き人になっていたりして,すごいと思いました。すぐにあきらめてはだめなんだということが分かりました。自分はすぐにあきらめていたけど,すぐにあきらめてはいけないと思いました。

志村けんに学ぶ 3

2011-10-29 20:37:27 | 道徳
 志村けんさんは自分の夢がかなってすごいなと思いました。私も自分の夢を持って,最後まであきらめないようにしたいと思いました。すぐにあきらめちゃだめということが分かって,よかったです。

 とても努力が大切だということが分かりました。「つらいことの後は,必ずいいことがやってくる」この言葉はとてもいい言葉だと思いました。私は,努力をしないであきらめてしまうタイプなので,とても感動しました。

 今日,志村けんさんの授業を受けて,志村けんさんはすごいと思いました。夢が実現できなそうになっても,決してあきらめないでいるのは,とてもすごいと思いました。すごい努力をしたからこそ,今のような人気芸能人になれたんだと思います。私も将来の夢を見つけたとき,あきらめないで頑張りたいと思いました。

 今日,あきらめないで,めげないで頑張れば,夢はかなうということを学びました。志村さんのあきらめないという努力はすごいと思います。私も夢があります。今回の授業で「めげないで頑張りたい」。そう思いました。

 僕はいろんなことをやってきたのが分かりました。しかも,志村けんは夢を全然あきらめないからすごいと思いました。夢をあきらめないことが,これからできるといいです。

 志村けんは,家を訪ねて留守だったときも,家に帰ってくるのを待って,付き人になった。でも,つらくて夜逃げをし,マックボンボンというのを作り,それでも受けずにドリフに戻り,もう一度ドリフの付き人になった。ドリフのメンバーになれるように頑張って,24歳になってやっとドリフのなった。受けなかったけれど耐えて,そしてやっと受けるようになってきた。志村けんは,つらいことを耐えて耐えて耐え抜いて,夢がかなった。1つずつかなえていって,,最後は必ず夢をかなえていたので,私もあきらめないように頑張ろうと思いました。

 「辞めようと思ったことは1度もない」という言葉はすごいと思いました。私は何かを始めようとしても,すぐにあきらめてしまうことが多いです。私は将来,小説家になりたいと思っています。自分の書いた本が売れないかもしれません。そのときに,あきらめないで,前向きに生きていけるようにしたいです。

志村けんに学ぶ 2

2011-10-28 20:35:48 | 道徳
 志村康徳さんは,最後まで夢を捨てないで,最後まで夢をかなえるために努力したということが分かりました。私も志村康徳さんみたいに,自分の夢を捨てないでかなえたいので,あきらめないようにしたいです。

 志村けんは,全然はやらなかったのに,あとからいっぱい笑わせることができたなんて,すごいです。

 志村けんさんは,努力してやっとなったのだなと思いました。志村さんは,あきらめず,自分の将来の夢を実現できたので,とてもすごいなと思いました。夢をあきらめなければなれるということがとても分かりました。ドリフターズは大好きなので,とても面白かったです。次は,他のメンバーのも知りたいです。

 今日の勉強では,志村けんのことを学びました。志村けんは努力したからこそ今もテレビに出ている。僕も大人になったときに,志村けんのことを思い出して努力をして,自分の夢を実現させたいなと思いました。だから,今のうちに自分の夢をつくって,その夢を追い掛けていきたいなと思いました。

 私は「やめる」と答えたところもあるけれど,志村けんさんのように努力してあきらめないということを見習いたいと思った。私は幼稚園の先生になるのが夢なので,努力したいと思います。

 私が今日学んだことは,「あきらめない」ということです。深夜まで訪ねた人を待ったり,マックボンボンやドリフの2年間など,受けないときの我慢もそうです。私の将来の夢はいっぱいあって,まだ決まってはいません。でも,もうすぐ夢を決めて,それに向かって進んでいけるように頑張れたらいいと思います。

 僕は今日,「失敗してもあきらめない」ということを学びました。あきらめるとそこで終わりだけど,あきらめないで続ければ,最後には必ずいいことがあります。だから,僕は今度からやると決めたことはあきらめないようにします。

 今日学んだことは,何事もあきらめなければ必ず成功できるということです。けれど,僕は,頑張っても絶対にできないこともあると思っています。

 志村けんさんに,そんな過去があるとは知りませんでした。けれど今志村さんがやることは面白いと思います。13歳のときに決意し,18歳でドリフの付き人になり,24歳頃にドリフメンバーにやっとなれて,すごいと思いました。

志村けんに学ぶ 1

2011-10-27 20:30:56 | 道徳
 5年生の道徳の時間に「志村けんに学ぶ」の授業を行った。

 原実践は私であるが,たくさんの先生方に追試していただいているようで,TOSSランドにも3本登録されている他,TOSS長崎著『子どもの「夢」を育てる技』にも紹介されている。

 今回の実践は,TOSSランドにアップしている実践とほぼ同じ内容で行った。
 変更点としては「東村山音頭」のYou Tube映像を流したことである。

 初めは「また太田先生のふざけた授業が始まるのか」と,子どもたちは思っていたようであった。
 しかし,授業が進むにつれ,子どもたちの表情が見る見る真剣な顔つきに変わっていった。
 志村氏の人生の中に,子どもたちの心に響くものがあったからであろう。

 子どもたちの感想を全てそのまま紹介する。


 志村けんさんはすごい人だと思いました。僕は大人になったら,志村けんさんのように,努力をする人間になろうと思いました。だから,今から頑張ろうと思いました。

 志村さんは,最初に決めたことを最後まであきらめないので,僕も最後まであきらめないように頑張ります。

 自分はサッカー選手になりたいので,志村けんさんの言葉のように,徹夜で頑張ったりして自分がなりたいことに向かって頑張りたいと思います。今回の勉強を生かして,これからの人生を生きたいと思います。

 今日は志村けんについて勉強しました。夢をあきらめずに芸能人になることはすごいと思いました。僕も夢をあきらめずに頑張りたいと思います。

 3年も荷物運びをやってもやめなかった。2年間受けなくても,やめないで努力を続けた。それが報われたんだと思う。これから努力し続けたい。

 人生はいいことだけではないと学びました。夢をあきらめない。

 どんなことも自分が決めた道だったら,努力して頑張らないといけないんだなあと思いました。そして,「努力の後には楽しいことがある」夢をあきらめないで頑張ろうと思いました。

 僕は今日,あきらめないで努力することを学びました。志村さんのように,プロ野球選手になる夢をあきらめないで頑張りたいです。

バンクーバーオリンピック

2010-02-28 22:28:00 | 道徳
 バンクーバーオリンピックの女子フィギュアスケートを,授業中にテレビで見せました。

 「授業でオリンピック観戦とは何事か」とお叱りを受けそうです。

 当初,見せる予定は全くありませんでした。
 しかし,「2組でオリンピックを見てるよ」「3組もだよ」と,子どもから訴えられてしまいました。同じ学年で他のクラスが見ているというのではやむを得ません。どうやら,給食時間,休み時間と,ずっとテレビを見ていたようです。

 テレビをつけると,ちょうど韓国の金妍児選手の演技が終了したところでした。
 タイミングよく,次が日本の浅田真央選手です。

 浅田選手の演技を,食い入るように見つめる子どもたちの表情。ものすごく真剣な目です。
 祈るかのように手を組んで見ている子もいました。
 ジャンプを成功するたびに,子どもたちから「よし」と拍手が起こります。
 バランスを崩すと,「あっ」と悲鳴が聞かれます。
 ジャンプが失敗すると,「がんばれ」と拍手が起こります。

 この様子を見ていて,感動しました。
 浅田選手の演技も素晴らしかったのですが,子どもたちの姿が何よりも素晴らしかったのです。

 授業でオリンピックを見るということについては是非が問われると思います。
 私はどちらかというと非の立場でしたが,今はそうは思っていません。

 これ以上の愛国心教育があるでしょうか。

 道徳の時間などに,どんなに愛国心について語ったとしても,オリンピック観戦にはかなわないと思いました。

おばあさんのけが 2

2010-01-13 21:47:32 | 道徳
 これが理想的な答えであるはずはない。
 しかし,実際場面で子どもがとる可能性が大きい行動は,「逃げる」であることは容易に想像できる。
 
 大人だってそうである。
 つい先日,私はファミリーレストランの駐車場で車をぶつけた後に逃走したおばさんを,目の前で目撃している。
 そのエピソードを話して聞かせた。
 
 「大人だって弱い心の方が勝って,逃げてしまうことがあるのです。
  もう一度聞きます。自分だったらどうしますか。」

 すると,クラスの半数の12名が「逃げる」と答え直した。
 自分の弱い心と正対したのである。
 
 ストーリーは次のように続く。
******************************************************************* 
 よしおとたかしは逃げた。
 翌日,神社の境内でおばあさんが転んでけがをしたという噂を耳にして,よしおはドキンとする。
 よしおはたかしのところに行って,どうするか話し合いをした。
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 ここで,次のように聞いた。
 
 「よしおとたかしは,どんなことを話し合ったと思いますか。」

 子どもたちの意見は次の通りである。

1 謝りに行こう。
2 逃げ続けよう。
3 知らんぷりをしておこう。
4 正直に言おう。
5 お見舞いに行こう。

 子どもたちは理想論から離れ,自分なら実際にどうするかということに置き換えて考えていることが分かる。
 そうでなければ,2や3などの意見は出るはずがない。

 もちろん2や3の意見は,よい考えではない。
 この考え方は,否定されなければならない。

 「よい考え方には○を,悪い考え方には×をつけなさい。」

と指示し,まとめとした。


 道徳の時間になると,子どもたちは突然いい子になる。
 強い心の持ち主となる。

 しかし,実際の生活場面では見られない嘘がまかり通るような授業ではいけないと思う。
 自分の弱い心と真剣に向き合うことも大切であろう。

おばあさんのけが 1

2010-01-12 21:44:35 | 道徳
 道徳で「おばあさんのけが」(1年 日本標準)の授業を行った。

 次のようなストーリーである。
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 よしおとたかしは,神社の境内で,木に厚紙を吊るして的当てゲームをしていた。
 上手になってきたので,的を厚紙ではなく街灯に変えた。
 すると,街灯にボールがぶつかり,ガラスが割れてしまった。(後略)
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 ここまでストーリーを確認したあと,次のように問い掛けた。

 「自分だったら,この後どうしますか。」

 「先生が知りたいのは,よしおやたかしはどうするだろうかということではありません。自分ならどうするかということです」と更に念を押して,ノートに書かせた。

 11月29日の本ブログに記した「くまさんのなみだ」の授業でもそうであったように,今回も子どもたちは「理想的な答え」を書くであろう。
 「きれいごと」を書くだろう。
 
 自分の行動と正対せず,理想論に終始しようとする子どもたちの観念をぶっ壊さなければならない。
 
 子どもたちのノートを見て回った。
 やはり予想通りである。

・弁償する。
・おうちの人に知らせに行く。
・神社の人に謝る。
・「ガラスが飛び散っているからあぶないよ」と近くを通った人に教えてあげる。

 いったい何を言っているのだ。
 嘘もほどほどにしてほしい。

 実際にこういう場面になったら,こんなことをする子は少数だろう。

 これらの意見は確かに素晴らしい。
 しかし,これをそのまま肯定したら,嘘で塗り固められた道徳授業になってしまう。
 道徳の時間は,嘘をついてもいい時間であるということになってしまう。

 そこで,対立意見を引き出す。
 R君がただ1人,次のように書いていたので,発表させた。

・逃げる

くまさんのなみだ 2

2009-11-30 23:27:08 | 道徳
 次のように言った。

「先生ならAのように思う。
 ざまあみろと思う。
 あなたたちは本当に助けてあげようと思うのですか。
 普段,意地悪ばかりしてくる嫌な奴に対して,本当にそういう気持ちになるのですか。
 理想的な答えがBであることなど,誰だってわかる。
 先生が聞いているのは,いい答えはどちらかということではない。
 自分ならどう思うのかということなのだ。
 どうだ。あなたたちは『ざまあみろ』とは思わないのか。本当に心配するのか。」

 何という展開であろう。

 子どもは「いったいこの先生は何を言い出すのだ」と思って聞いていたに違いない。
 
 教師の意図どおりに理想的な答えを出してあげたのに,それを「嘘つき」と否定され,挙句の果てに「先生ならざまあみろと思う」とは,いったい何事なのだ。
 
 天地がひっくり返ったような思いで,子どもは聞いていただろう。
 
 もちろん本当にBのように思っているのなら,それは素晴らしいことである。
 しかし,22人もの子がBで,Aは2人だけというのは,どう考えても信じがたい。
 普段の子どもたちの様子から判断しても,そんなはずはないのである。
 
 理想的な解ばかりを発表しようとする子どもたち。
 いったい何なのだろうか。

 1年生の段階で,既に教師の意図を察知しようとするような子どもになってしまっているのである。

 子どもの中にあるこのような心をぶっ壊さなければ,本当の道徳の授業など成立しない。

 自分の本当の姿と向き合うことが大切なのである。
 大切なのは自己と正対することである。

 きれいごとの観念論に終始していたのでは,本当の学びにはならない。

くまさんのなみだ 1

2009-11-29 23:24:01 | 道徳
 11月25日,道徳で「くまさんのなみだ」(『みんなで考える道徳』1年 日本標準)という資料を使って授業をした。
 中心価値は友情,思いやりである。

 資料のストーリーは次の通りである。

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 森の動物たちが,仲よく相撲をして遊んでいました。
 そこに,よく意地悪するくまさんがやってきました。
 「何だ,相撲か。僕が一番力持ちだぞ。」
と,そばの木を抜いてみんなの邪魔をしました。
 ところがくまさんは,その木を足の上に落としてしまいました。
 「痛いよう。痛いよう。」   (後略)
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 ここまで資料を読み進めて,次のような発問をした。

 「自分が森の動物たちなら,くまさんを見てどう思いますか。」

 子どもたちの書く答えは,次のように分かれると予想した。

A.意地悪をするからバチがあたったんだ。
B.かわいそう。大変だ。助けてあげよう。

 子どもたちの書いている意見を机間巡視で把握していった。
 Bが22名と圧倒的に多く,Aは2人だけであった。
 
 まずBの意見を書いた子5名を指名し,発表させた。
 子どもたちは「うん,うん。そうだよね」と聞いている。
 
 次にSさんに発表させた。
 心の優しい子として,周囲からも認められている子である。
 SさんはAの意見を書いたのである。
 この意見を聞いた子どもたちから,「えー?」という声が聞かれた。

 当然理想的な答えはBである。
 圧倒的にBが多いとは,何と素直な考え方をするよい子たちなのであろう,授業も展開しやすいな,などとは私は考えなかった。

 「嘘をついている」と,子どもたちを追及した。
 自分が実際にそういう場面に出くわしたら,本当にBのように思うのか。現実的にはAではないのか。

道徳「志村けんに学ぶ」 2

2008-10-03 00:58:49 | 道徳
 この授業は,子どもたちを引き付ける。
 なぜ引き付けられるのだろうか。自分なりに分析してみる。

1.ネタの斬新さ

 まさか道徳の時間に志村けんを扱うとは,子どもたちは考えていない。


2.意外性

 普段「バカ殿」などで見ている志村けんの姿は,とても道徳的とは言い難いものである。
 ところが,志村けんがすさまじい努力と苦労を重ねてきたことを知り,意外性に驚くのである。


3.葛藤場面

 志村けんの立場を自分に置き換えさせ,何度か発問している。
 「何年経っても付き人のままで,自分のやりたいことができません。自分だったら続けますか。辞めてしまいますか」
 「ドリフターズのメンバーになったのはいいのですが,全くお客さんに受けません。番組も2ヶ月間中断になってしまいました。自分だったら続けますか。辞めてしまいますか」
 
 葛藤場面である。自分の立場に置き換えさせる手法を私は道徳でよく使う。
 
 「子どもたちが,課題を自分自身の問題として考えたときに,授業は成立する」と林竹二氏は述べている。まさに葛藤である。


4.教師の語り

 私自身が教員という夢を実現させるために,大変な苦労をしている。志村けんの努力と重なり合うところが多い。
 志村けんはテレビでしか知らない存在である。しかし,教師は子どもにとって身近な存在である。この場合,教師自身が教材になる。