Catch Ball

修業の時計を止めない教師でありたいです。

「うとてとこ」の研究授業を終えて 2

2010-09-25 23:53:56 | 国語
 話し合いによってグループの代表の意見が出揃った後,教師とのやりとりの中で更に適否を検討していった。
 この場面では子どもとの問答を通しながら,おかしいと思う意見に「×」をつけていった。
 この「×」をつけた場面が,あまりにもズバッと斬り過ぎるのではないかという意見をいただいた。

 話し合いの結果,黒板に出た意見は,次のものであった。
・にくじゃがつくる
・あるいてく
・あしあるく
・あそびます
・いもをにる
・いためます
・なべがなる

 「おかしいと思うものはないか」と問うた。
 すると,「歩くときにトコトコとはいうけれど,コトコトとはいわない」という意見があった。
 子供たちもそれに賛同したので「あるいてく」「あしあるく」は「×」となった。
 決して私が一刀両断したのではない。子供たちも納得したのである。

 しかし,検討会では「靴がコトコト鳴るのではないか」「下駄をはいたら音が鳴るだろう」などという意見もあった。

 「にくじゃがつくる」も音数が合わないからという理由で「×」にしたのだが,「『にくじゃがつくる』でもリズムはいいではないか」という批判があった。

 要は,子どもが一生懸命作り,話し合って出した意見なのに,かわいそうではないかというのである。

 たしかにそうかもしれないが,間違った解釈をそのままにして,「いろいろな意見が出てよかったね」などと,曖昧にしたまま授業を終えようという考えは毛頭なかった。

 有無を言わさず一刀両断に処したように見えたのであれば,私の指導法が悪かったのであろう。
 しかし,曖昧にせず,明白に決着をつけるべきという考えは,決して間違ってはいないと思っている。

「うとてとこ」の研究授業を終えて 1

2010-09-24 23:50:42 | 国語
 国語の研究授業を行った。
 勤務校の研究テーマは「伝える力・かかわる力の育成 ~特別支援教育の視点を踏まえた授業づくりを通して~」である。
 
 教材として「うとてとこ」を選んだ。
 野口芳宏氏の実践の修正追試である。
 3連の4行目を子供たちに作らせたあと,3~4人でのグループで適否を検討させていった。
 グループの代表の意見を出させ,その後に教師とのやり取りを通して,更に適否を検討していく。
 
 流れとしては比較的スムーズに進んだが,やはりグループでの検討には課題が生じた。
 自分がその詩を作った根拠をはっきりと述べさせなかったために,発言力の強い子の意見が通ってしまった面が見られた。
 
 検討会では,グループの3人の意見の中から,なぜそれを選んだのかという理由を言うようにすればよかったのではないかという案をいただいた。

 グループでの話し合いでは「僕は(私は)○○にしました」という話型だけを提示した。
 一通り発表が終わった後に代表の意見を選ぶのは,フリートークで行わせた。
 これに対して,「僕は○○にしました。理由は~」と理由も言わせれば,更に話し合いが深まったのではないかという意見をいただいた。

 3連の創作部分には,次の3つの条件がある。
5音5文字であること
「4人の子」に合う述部であること
「ことことことこと」に合う述部であること

 これらの条件を事前に確認しないまま話し合いを行わせたことに対する批判もいただいた。
 選ぶときの基準を事前に確認すれば,話し合いもスムーズにいったのではないかというのである。
 
 しかし,私はそうはしたくなかった。逐一指導のようになってしまうのは避けたかったからである。
 これら3条件について,多くの子は2連までで気づいているはずである。
 だから,子どもたちの話し合いの中で適否を検討するときに,その気づきが生かされると考えていたのである。
 
 ただ,実際に3つの条件を満たしたようなものはあまり出てこなかった。
 結果的には事前に確認しておくこともひとつの手であったということを認識する結果となってしまった。
 子どもの力量の実態把握がしっかりできていなかったということになるだろう。

バトンパスの常識を疑う 3

2010-09-10 22:44:40 | 体育
 従来,バトンを受けるときは手の平を返すようにするように指導されてきた。

 アンダーハンドパスならまだしも,オーバーハンドパスで肩あたりの高さまで腕を上げるとなると相当苦しい。

 このように手の平を返すような動きは日常の中にはない。
 したがって,指導しなければどうなるかというと,手の平を返さずに上に向けるか,リングバトンを受けるときと同様に親指が上になるようにして横向きにして構えることになる。

 バトンを渡された後のことを考えてみる。
 通常,バトンパスされた後は,すぐに反対の手に持ち替えることになる。
 
 手の平を返す従来のバトンパスの方法だと,反対の手に持ち替えたときにバトンの上の方を持つことになるのではないだろうか。
 バトンの上を持っていたのでは,次走者にスムーズにバトンを渡すことはできない。
 次走者がバトンをつかむ場所がないからである。
 
 リングバトンを受け取るように親指を上にして横に構える方法だとどうなるか。
 受け取るときにバトンの上の方をつかむため,持ち替えたときにはバトンの下を持って走ることになる。
 これだと,次走者にスムーズにバトンを渡すことができる。

バトンパスの常識を疑う 2

2010-09-07 23:28:16 | 体育

 右手でバトンを受ける場合は,フィールドに背を向けているために,インコースが空いたときに容易に詰めることができない。
 視野に入らないために,インコースが空いていることに気づかない場合もある。

 背を向けていてどれぐらいのスペースが空いているか把握しきれないため,不用意に間隔を詰め過ぎて他の走者と接触しやすくなってしまう。

 一方,左手でバトンを受ける場合は,フィールド側に体が向いている。
 その結果,インコースが空いていることに気づくので,内側に詰めていくことができる。

 更に,右手を伸ばしてインコースの人をブロックすることにより,自分が走るスペースを確保しやすいという利点も生じる。
 他の走者と接触する可能性は減る。



 右手でバトンを受け,左手に持ち替えて走る従来の方法は,コーナーを走りやすいだろうか。

 コーナーを走る際は,遠心力に逆らうために内側に体を傾け,左腕よりも右腕を大きく振ることとなる。
 右腕を大きく振るためには,バトンを右に持った方がよいのか,左に持った方がよいのか。
 私は右手の方がよいような気がするのですが,どうだろうか。
 バトンを持つということは,その分だけ腕が長くなるということである。長くなった腕を大きく振る方が自然のように思う。

 ちなみに4×100mリレーの場合は,カーブを走る第1走者,第3走者は右手にバトンを持っている。
 ただ,それは第2走者,第4走者が直線を走る際にレーンの外側を走ることが大きく関連している。



 バトンパスの際,前走者は相当疲れている。
 疲れと遠心力のためにカーブで膨らみがちになる。

 左手でバトンを渡す場合は,相手の右手に渡すために,ただでさえ膨らみがちであるのに更に自分の体の分を外側に走ってバトンを渡さなければならない。
 結果的に走る距離が長くなる。

 右手でバトンを渡す場合は,自分の体の分だけ内側に寄って走るので,走る距離は短くて済むということになる。



 バトンをパスしたあと,前走者がどこに抜けていくかという問題がある。
 
 従来のバトンパスだと,右側に抜けていくことになる。
 すると,外側にいる後続の走者の妨害になりやすい。

 一方,左手でバトンを受ける方法だと,バトンパスのあと左側に抜けて,すぐにフィールドに入れる。
 コーナートップであるから,左側には走者はいないはずである。
 したがって,後続の走者との接触はない。





バトンパスの常識を疑う 1

2010-09-06 00:25:18 | 体育
 通常の体育の授業で,バトンパスをどのように指導しているだろうか。
 一般的には次のような指導がされている。

「右手でバトンをもらい,その後左手に持ち替えて走る」

 私が子どもの頃もこのように指導されてきたし,教師になってからもこのように指導してきた。体育の準教科書でも,このように書かれている。
 常識といってもよいほど浸透している。
 しかし,これは本当に有効なのだろうか。


 右手でバトンを受けるためには,フィールドに背を向けて待つことになる。
 そうすると,レースの様子を把握するためには,首の向きを変えなければならない。視線が途中で遮断されることになる。

 校庭のトラックで走る場合には,カーブが終わるとすぐにテイクオーバーゾーンになることが多いので,尚更この傾向が強くなる。
 フィールドに背を向けていては,コーナーを回ってくる前走者を捉えにくい。

 常識に反して,左手でバトンを受けるようにした場合はどうなるだろうか。
 フィールド側に体を向けて待つことになる。
 内側に体を向けていれば,レースの様子が把握しやすい。
 コーナーを回ってくる前走者をとらえやすいので,スタートが容易になる。

楽しい絵画・工作教室 2

2010-09-05 23:25:00 | 教師修業
酒井式絵画「ふるやのもり」

 酒井式への批判のひとつに,間口を狭めすぎるというものがある。
 そのため,画一的でどれも似たような作品になるのではないかという。
 
 酒井氏は「間口を広くする指導は,やらないより悪い」と言う。
 
 好きな話を描く,好きなように描く,好きなものに描く,好きな道具で描く。
 全くの自由である。
 
 酒井式では,どの民話を描くのか,民話のどの場面を描くのか,どのように描くのか,ぎりぎりまで絞っている。
 描き方もしっかりと教えていく。
 
 そして,その結果はみんな同じ作品にはならない。
 「同じ作品だという人は,私とは哲学が違う」と酒井氏は言う。
 
 間口が狭ければ狭いほど,逆に表現が広がっていくのである。

楽しい絵画・工作教室 1

2010-09-04 23:20:20 | 教師修業
 8月28日,リオーネ古川で行われた「第11回 楽しい絵画・工作教室」に参加した。
 講師は酒井臣吾氏,佐藤昌彦氏である。

佐藤式工作「しわしわ紙の大活躍」 
 
 佐藤式工作の大きな特徴は,「イメージ→形」と「形→イメージ」の両者の共存である。
 一般に,工作とはイメージを形に表すものだとされている。
 では,つくろうとするもののイメージが思い浮かばなければどうしたらよいのか。
 佐藤式では,「とりあえず」ひとつの形をつくってみて,その形から次を考えていく。
 だから,イメージが思い浮かんだ場合も浮かばない場合も,どちらでも創作することができる。
 最初にイメージがなくても,つくっていくうちに次々とアイディアが浮かんでくるという発想である。
 
 佐藤式工作の教材は,次の3つに大別できる。
 (1)想像
 (2)既存・現実
 (3)その他

(1)想像
 想像であるから,何が出てきてもよい。正解はないのである。
 だから,子どもは生き生きと取り組むことができる。
 例えば,動物,怪物,お化けなど,空想上の生き物をテーマとしたものがある。

(2)既存・現実
 現実に存在するものだから,その通りにつくらなければならないというのでは,子どもたちは生き生きと活動できない。
 題材名に「見たこともないような~」「新種の~」などのような言葉をつければ,既存の者でも新たな可能性を探ることができる。
 例えば,「見たこともないような顔」などのようにテーマを設定する。

(3)その他
 題材名に「見たこともないような~」という言葉はないが,造形的に新たな可能性を探るものである。
 例えば,「さかさまにすると」「パクパク人形」などがある。

 今回の講座の題材は「しわしわ紙」である。
 色画用紙をしわしわにしたものである。
 色画用紙の質を変えることによって,立体的にする。3Dになるのである。
 「キーワードは『とりあえず』です」と佐藤氏は言った。
 とにかく置いてみる。とにかくちぎってみるのである。

「4×2m」はできるか 2

2010-09-03 23:18:01 | 教師修業
 今回の授業のねらいは,授業の中でこの発言を取り上げることでゆさぶりを掛け,物事を論理的に考えようとする力をつけさせていこうということである。
 
 向山氏の言っていることがおかしい,向山氏を貶めようなどいうことを考えていたのではない。
 私ごときに向山氏を貶めるなどということができるはずがない。
 
 向山氏の発言を取り上げたのは,あくまでもゆさぶりのためである。
 
 そのねらいはうまくいったと思う。
 4×2mはできないとして,初め「×」としていたA氏が,向山氏の発言を取り上げた後「○」に変更した。また,B氏が首をかしげている姿が目に入った。

 審査員の星野裕二氏からのコメントは,次の通りである。
・授業開きとして行うような内容であり,今回取り上げるのは状況設定としてふさわしくない。
・「4×2m」を検証する力は,子どもたちにはないのではないか。
・22級でC表レベルなのだから,1つの授業の追試ではもの足りない。
・C表の授業は単元としての主張が必要である。単元丸ごとを授業するような感じである。
・単元全体を通しての主張が第一声に現れるようにするとよい。
・今回のような内容は,提案性として薄い。

 毎回言われていることであるが,C表レベルである22級の者の授業としては,提案性が乏しいとのことである。
 毎回言われるということは,成長がないということかもしれない。
 次回,C表受検の機会があれば,挑戦していきたい。

「4×2m」はできるか 1

2010-09-02 23:14:41 | 教師修業
 8月20日,TOSS宮城サークルSkie拡大検定例会において,TOSS授業技量検定を受検した。9回目である。
 
 今回の内容は,向山実践の追試である。
 『教師修業十年』に記されている算数の授業を行った。
 ここで,向山氏は「4+2」「4m+2」から始め,「4m÷2m」「4m×2m」などができるかを検証させている。
 一見簡単そうなことでも,よく考えなければならないというのがねらいの授業である。
  向山氏の原実践は補欠授業として行われたものだが,授業開きの内容としてもよく知られている。
 
 初めて読んだときから,この授業の中で疑問に思っていることがあった。
 向山氏の次の発言である。
 「⑦はできるのです。なぜなら,かけ算では交換の法則が成り立つからです。4×2m=2m×4とすることができるからです」
 この発言に,どうしても納得がいかない。

 この式が成り立つ問題場面を想定してみる。「2m×4」というのは分かる。
 2mの4つ分,2mの4倍ということである。
 しかし,交換した「4×2m」というのはどういうことなのだろうか。
 私にはこのような式になる場面が考えつかない。
 4の2m分,4の2m倍とはどういうことなのだろうか。
 4に単位がついていないので,4というものが何なのかが分からないのである。
 
 「1箱にキャラメルが4個ずつ入った箱が2つあります。キャラメルは全部で何個でしょうか」という問題の場合,「4×2」を正解として,通常「2×4」は不正解としてきた。
 このような式を書く子は,かけ算の意味を理解していないとされてきた。
 しかし,向山氏のように交換法則を適用できるのだとすれば,「2×4」でも正解となってしまう。
 
 私の現段階での考えは「4×2mはできない」である。

「うとてとこ」の研究授業

2010-09-01 23:10:26 | 国語
 校内の研究授業で「うとてとこ」を授業することを考えている。
 勤務校の研究テーマは「伝える力・かかわる力の育成」である。

 なぜ「うとてとこ」を取り上げるのか。
 
 積極的な理由としては,言語感覚を高めるのにふさわしい教材だからである。
 授業の中で3連を創作する場面がある。
 言語の適否・正誤について,適切に判断するセンスが育てることができる。
 子どもたちが創作した第3連の内容の適否を,話し合いを通してはっきりさせていく。
 そこに価値ある討議が成立し,伝え合い,かかわり合いが生じる。
 
 消極的な理由としては,教科書にふさわしい教材がないからである。
 「伝える・かかわる」のテーマに沿ったものとしては「話す・聞く」の領域の授業が考えられる。
 教科書には「『分類』ということ」という教材があるが,展開がしっくりこないのである。
 
 「うとてとこ」はいうまでもなく,野口芳宏氏の実践である。
 授業のクライマックスは,3連の創作である。
 様々な考えが出され,拡散する。
 この拡散した考えを比較し,検討させることによって,子どもの論理的思考を高めていく。
 
 野口氏はここで教師の力量が問われるという。
 
 力量に乏しい教師は,子どもに次々と発言させて「いろいろ出ましたね」「なるほど」などと言って終わってしまう。これでは「活動あって指導なし」である。
 
 次のレベルの教師は,いろいろの意見を出させるが,それらの意見の白黒をはっきりさせずに終わってしまう。
 決着をつけることができないので,曖昧のままで終わってしまう。
 
 力のある教師は,価値ある討議を組織し,可否,真偽を明白にさせる。
 それによって,子どもたちに正なるもの・真なるものを求めていくことの面白さ・楽しさを味わわせることができる。
 知的興味をかきたて,知的興奮を感じさせ,私的満足を得させ,知的感動にまで子どもたちを高めていく。
 
 今回の授業は,野口氏の実践の修正追試になる。
 3連の意見を収束させていくときに段階を踏む。

 第1段階は,子ども同士の話し合いである。
 自分の意見を明確に持ち,それらを3~4人のグループの仲間同士で検討していく。

 第2段階は,教師主導である。
 グループ内で絞った意見を発表させる。
 グループの検討で7~8つの意見に収束されている意見の正誤をさらに検討していく。

 問題は第1段階がどのように展開していくかである。