Catch Ball

修業の時計を止めない教師でありたいです。

「学習発表会」の劇は国語?

2012-10-27 22:30:14 | 教師修業
 勤務校の「学習発表会」は11月10日である。練習が本格化してきている。
 私の担任している5年では,劇「ほんとうの宝ものは」に取り組んでいる。
 勤務校では,今年度から1・3・5年が劇,2・4・6が音楽と,職員会議で申し合わせがされた。

 私が疑問に思っていることがある。

 そもそも劇というのは,何の学習なのかということである。
 「学芸会」ではなく「学習発表会」なのである。

 劇の練習の時数は何の教科で取ればいいのだろうか。
 「国語だ」という先生が多い。
 
 本当だろうか。
 学習指導要領にあたってみる。

 1・2年の「読むこと」の言語活動例として「イ 物語の読み聞かせを聞いたり,物語を演じたりすること」とある。
 解説を読むと,「役割を決めて読んだり,友達と協力して人形劇,音読劇,紙芝居などの簡単な劇をする活動」とある。
 私の読み取りでは,学芸会で行うような大掛かりな劇とはだいぶ違うように感じる。
 
 3年以降には,劇に関する記述はない。

 1・2年に関してはよいとしても,3年以降は国語として扱うことには無理があると言わざるを得ない。

 私は昨年度も5年を担任したのだが,劇が一体何の学習にあたるのか分からなかったので,音楽を行った(1・3・5年は劇という決まりも昨年度はなかったので)。

 教科書にある曲を合唱・合奏したのである。
 普段の学習の成果を発表したのだから,これなら「学習発表会」といってもいいだろう。

 再度いうが,「学芸会」ではなく「学習発表会」なのである。

 このような名称になっていることには,おそらく意味があるはずである。

 たぶん時数との兼ね合いもあるのだと思う。
 私が新任の頃は,このような行事の練習は「学校行事」として時数を取っていた。8時間ほどあったと記憶している。
 しかし,現在は余剰時数がほとんどなくなり,教科で取らざるを得なくなった。
 そのようなこともあって「学習発表会」という名称になったのだと思う。
 
 名称は変わっても,内容は変わらない。
 しかも,普段の学習の発表ではない。
 「学習発表会」とはいったい何なのだろうか。

6年3組同窓会 2

2012-10-13 22:17:56 | 教師修業
 子どもたちの夢や現在の職業を聞きました。
 M君は教師を目指し,現在利府支援学校で講師をしているそうです。
 K君はブックオフで働いているとのこと。
 Sさんは看護士。
 K君はデザイナー。
 M君はミュージシャン。どんな音楽を目指しているのかを聞いたところ,彼には確固たる信念があることが伝わってきました。

 みんな,それでいいんだ。
 自分の信じた道を歩んでいってほしい。

 Sさんが「先生の夢は何ですか」と聞いてきました。
 「今が夢だ」と答えました。

 私にとって,夢は先にあるものではないのです。
 教師を志したときの爆発的なエネルギーが現在も続いています。
 現在,やっていることの状態。
 これが夢です。
 30年後も50年後も同じようにやっていると思います。

 最後に,「今日は先生にプレゼントがあります」と言われました。
 そんなものが用意してあるとは全く気付かなかったので,驚きました。
 「お前たちはサプライズが好きだな」と思わず言いました。
 子どもたちも大笑いしていました。

 卒業式前日の放課後,子どもたちに取り囲まれ音楽室に連れていかれました。
 そして,いきなり子どもたちの企画による「感謝の会」が始まりました。
 
 また,卒業式の日,最後の学級活動を終え,「さようなら」をする直前に,1人1人のメッセージが入ったカセットテープを渡されました。

 これらのことは極秘で計画が立てられ,私は全く知らなかったのです。

 今回のプレゼントの件も,私を驚かせようと,事前に話し合いをしていたようです。

 しかし,このサプライズ企画の方法は,もともと私が教えたものです。
 転校生が出たときには,本人に極秘でお別れ会の計画を立てました。
 今回も参加したM君のお別れ会のときは,目隠しをして突然屋上に連行しました。
 M子さんが転校するときの企画はもっと大がかりでした。
 大説教をしたあとに全員に反省文を書かせたものの,その内容は別れの手紙でした。

 当然,子どもたちもこれらの出来事はしっかりと記憶していたようです。

 今回のサプライズによって,この子どもたちの中に間違いなく私の遺伝子が息づいているということが確認できました。

 とても楽しいひと時でした。教師冥利に尽きます。

6年3組同窓会 1

2012-10-12 22:11:32 | 教師修業
 10月5日(金),初任校での初めて卒業生との同窓会が行われました。

 Facebookでこのときの子どもたちとのつながりができたことから実現しました。
 初任校では4・5・6年と3年連続で持ち上がったので,大変思い出深い子どもたちです。

 卒業式の後,私はすぐに異動となったので,その後は子どもたちとは1度も会っていません。
 2002年3月以来,10年ぶりの再会となりました。
 
 Tさん,Sさんが中心となって企画してくれました。
 急な呼び掛けにも関わらず,9名も参加してくれました。
 発起人の2人の他は,K君,Y君,M君,T君,K君,M君,Mさんです。MさんとTさんの娘さん,そして,Mさんの妹さんも参加しました。
 Mさんに子どもがいたことは知らなかったので,驚きました。
 参加できなかった子たちからもたくさんのメールが届いていました。とてもありがたいことです。

 近況を報告し合ったり,卒業アルバムを見ながら思い出話に花が咲いたり,大変盛り上がりました。

 私がすっかり忘れていたエピソードも話題になり,だんだん記憶が甦ってきました。

 M君がクラスでいじめに遭ったことが話題となりました。
 そのとき,私は授業を全て潰し,問題の解決に当たったとのことです。
 言われてみれば,確かにそんなことがありました。
 このことは子どもたちの心に強烈に残っているようです。
 Sさんはこのことを就職試験の小論文に書いたというのです。
 私は「熱い教師」として子どもたちの印象に残っているようです。

 卒業アルバムの中から1枚のプリントが出てきました。
 「同窓会のお知らせ」と書いてあります。
 私が卒業式の日に配ったものだというのです。
 2012年3月に同窓会を行うと書かれていました。
 日付,時間,幹事まで決められていました。
 そして,10年ごとに同窓会を開くということも書いてありました。
 完全に忘れていましたが,間違いなく私が作ったものです。

 当時はくだらないこともいろいろしていたということも話題となりました。
 自分の娘が生まれたときは,教室に写真を掲示しました。
 他にも夫婦の写真なども掲示していました。
 ギャグの一環としての掲示物ですが,公私混同も甚だしかったと反省しました。

 「お助けし隊」という係の活動について,M君が語っていました。
 そんな細かいことも子どもたちの記憶に残っているのだなと感心しました。
 ちなみに一緒に活動したはずのK君は全く記憶にないとのことでした。

「報道の日」を視聴して知った教え子のドラマ

2011-12-26 23:19:15 | 教師修業
 TBS系「報道の日2011」を視聴していた。東日本大震災の特集である。
 七ヶ浜町でのドラマが紹介されていた。

■■
 宮城県七ヶ浜町に住むSさん一家の初めての子どものMちゃんは,避難生活で命を落としかけた。
 七ヶ浜町は,東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた。

 妻・Mさんの実家は,津波で全壊してしまった。
 Mちゃんのことを考え,暖房を効かせられる車で過ごした。
 母乳さえあれば生きていけると思っていた。

 そう思っていた矢先に,生後2カ月のMちゃんに異変が起き,すぐに七ヶ浜町母子健康センターへと駆け込んだ。
 Mちゃんは母乳をのどに詰まらせていて,センターのスタッフによって一命を取り留めた。

 翌日,Mさんはストレスのせいか母乳が出なくなり,Sさん一家は避難所の七ヶ浜国際村に入ることにした。
 しかし,Mちゃんは粉ミルクを飲まず,母乳しか受け付けない。
 母乳を飲めないまま数日が過ぎ,Mちゃんに危機が迫っていた。

 そのとき,Sさん夫妻は見知らぬ女性がMちゃんに母乳をあげているのを目にした。
 母乳をあげていたのは見ず知らずの人で,避難所にいた人でもなかった。
 Mちゃんを助けたいという,見知らぬ人たちの命のリレーによって,情報はその女性へと伝わった。

 女性は避難所のあった七ケ浜町に住んでおり,同じく赤ちゃんを抱えた母親だった。

 赤ちゃんの情報は,ラジオを通して拡散した。
 同じ避難所にいた別の女性が,ホームセンターにたまたま止まっていた東北放送のアナウンサーにラジオで伝えて欲しいとお願いしたのである。
 その情報をつかんだ別の女性が,いとこである女性に伝え,母乳を届けたのだという。

 情報を伝えるラジオでは「ミルクが必要」という情報しか伝わらなかった。
 多くの人が「必要なのは粉ミルクだ」と思っていた中で,女性は母親である経験と直感で「母乳が必要なのだ」と感じたという。

 その後,Mさんも母乳が出るようになり,Mちゃんは一命を取りとめた。

 現在,2人の母親は互いに交流を深めている。
■■

 この赤ちゃんの母親であるS・Mさんは,14年前,4年生のときにわずか2ヶ月間だが私が担任した子である。
 最初にテレビで顔を見たときには気づかなかった。
 だが,どこかで見たような顔だと思った。
 そして,名前が出てはっきりと分かった。

 七ヶ浜で教えた子どもたちがどうしているのか,とても気になっていた。
 このような出来事があったとは全く知らなかった。
 命のリレーが繋がれ,一つの幼い命が助かったことに感動した。

選挙の投票で

2011-11-13 23:25:47 | 教師修業
 本日,宮城県議会議員選挙があった。

 選挙に行って,いつもやってみるくだらないことがある。

 投票用紙を折り曲げて,置いておくのである。
 すると,すぐに開く。

 4つ折りにして置いてみる。
 やはりすぐ開く。

 ならば,もう1回折ってみたらどうだろう。
 多少時間が掛かるが,開くのである。

 思いっきり力を込めて折り目を付けてみる。
 これはさすがに開きにくいようである。

 あまり長時間やっていると,怪しまれるのでほどほどにしておく。

 これはただの紙ではない。
 開票しやすいように,折っても開く特殊な紙を使っているのである。


 投票所で「はてな?」と思うことのひとつに,鉛筆がある。

 必ず鉛筆である。
 しかも,いつも2Bである。

 なぜなのだろうか。
 ボールペンやサインペンでは駄目なのだろうか。

 調べてみると,理由は2つあるようである。

 ひとつは字写りを防ぐためであるという。

 ボールペンやサインペンでは,インクが他の用紙についてしまう可能性がある。
 汚れるばかりでなく,紙同士がくっついてしまう恐れもあるという。

 もうひとつは,経費の削減であるという。

 鉛筆は,ペンに比べると安価である。
 ちなみに2Bなのは,力のない方でも書きやすいようにという配慮からのようである。
 だったら,4Bとか6Bでもいいのではと思うが,たぶん擦れて汚れてしまうから駄目なのであろう。 

研究授業を行って 2

2011-11-12 21:04:19 | 教師修業
 逆に「私なら絶対に座らせておく」と,立たせたことに対しての批判があった。
 この先生からは,これらのシーンは異様に映ったのであろう。
 
 立ち歩かせたら,余計に騒がしくなるのではないかと考えているのだと思う。

 「立ち歩く」「廊下に出る」「騒ぐ」のは,ドーパミンの不足が原因である。
 ドーパミン不足への防衛反応として動くのである。
 動くことでドーパミンの分泌を促しているのである。

 ところが,これが教師にとっては授業の妨害に映る。
 他の子どもたちにとっても邪魔になる。

 その結果,子どもを叱責し,怒号が響き,恐怖によって子どもを抑えるようになる。
 
 私のような対応をしていくと,子どもたちは「合法的に」動くことができる。
 あくまでも教師の指示に従っているだけなのである。

 教師自身がそのように指示しているのであるから,授業の妨害にはならない。
 また,教師の指示に従っているのだから,他の子にとってもそれが邪魔には映らない。
 
 先日,別の学年の研究授業があった。

 45分間,1つの学習を座りっぱなしで行っていた。
 先生方からは「しっとりとした授業」「落ち着いた授業」という言葉が聞かれた。

 しかし,私はそう受け止めなかった。
 この学年も,2割近くの子が発達障害傾向を持っているはずである。
 子どもにとっては相当きついだろうと感じた。
 緊張によって,子どもが自分を抑えている様子が見て取れたからである。

 「心地よい緊張」ならよい。しかし,ここで見られたのは「束縛」である。

 案の定,この研究授業の次の時間は乱れた様子だったという。

 私の学校は,特別支援教育の研究開発指定を受けていた。
 今でも,特別支援に関してては最先端を行っている学校の一つのようだ。
 全国から視察の方も訪れる。

 しかし,研究期間が終了して3年が経過し,教員も大半が入れ替わった。
 特別支援教育への対応スキルを持っている先生と持っていない先生との差が,歴然としている。

 校内で特別支援教育の基本スキルをもう一度学習していく必要があるのではないかと感じている。


研究授業を行って 1

2011-11-11 21:01:52 | 教師修業
 私の勤務校は,学区に児童福祉施設があることもあり,虐待などの「第4の発達障害」も含めると,2割以上の子が発達障害の傾向を持っていると考えられる。
 
 勤務校では「授業中に立ち歩く子がいる」「子どもが廊下に出ていってしまう」「騒がしくて収拾がつかない」というような声が,先生方からよく聞かれる。

 私の授業では,そういう状態になったことはあまりない。

 だいぶ前であるが,10月18日に国語「古文に親しもう」の研究授業を行った。
 今回の研究授業の中にも,前述のような状態にならないための手立てをいくつか組み入れていた。

 例えば,学校の研究テーマの一つである「ユニバーサルデザインの3原則」に則った授業展開もそのひとつである。
 テンポのある授業もそうである。
 また,いくつかの学習を組み合わせた「ユニット学習」もそうであるし,授業展開の見通しを黒板の端に示したこともそうである。

 大きいのは「子どもを動かせたこと」「子どもを歩かせたこと」である。

 「プリントを取りに来なさい」と言って,子どもを歩かせる。
 「全員立ちなさい。枕草子を読みます」と言って,子どもを立たせる。
 「百人一首をします」と言って,子どもを動かす。
 「書けたら,持ってきなさい」と言って,子どもを動かす。

 しかし,このことを見て取ったのは研究主任のH氏だけであった。

 授業後の検討会で,H氏以外からこのことに関するプラス評価はなかった。

「瞬足」

2011-11-03 22:20:00 | 教師修業
 子どもたちの履いている運動靴のブランドを調べてみると,1位はおそらく「瞬足」(アキレス)であろう。

 年間100万足で大ヒットと言われる靴市場で,昨年600万足の売り上げがあったという。

 「瞬足」がターゲットとしているのは3歳~12歳の子どもたちである。
 その人口は1137万人というから,約半数が「瞬足」を履いているということになる。

 今日,靴屋に行って,子ども靴のコーナーを見てみた。
 すると,様々なモデルの「瞬足」が所狭しと並んでいた。

 「瞬足」の大きな特徴は,底である。
 通常の靴と違って,左右非対称なのである。
 
 写真を見れば分かるように,スパイクが,右足の内側と左足の外側に付けられている。
 
 写真は「WINGBLADE」というモデルであるが,このモデルだけではなく,その他のものも非対称なのである。
 
 なぜこのようになっているのか。

 小学校のトラックと関係がある。

 小学校最大のイベントといえば,運動会である。
 運動会で転倒シーンを目にすることも少なくない。特にコーナーでの転倒が多い。

 小学校のトラックは狭いので,コーナーがきつい。
 あまりの急カーブに,コーナーを曲がるときに遠心力に負けてしまい,バランスを崩して転倒するのである。
 
 それで,踏ん張りが効くように両足とも左側にスパイクをつけることになったそうである。

 「狭いトラックでも力一杯走れるシューズを」という開発者の思いがあったという。

 子どもの夢をかなえる靴なのである。

 最近では,サッカー用,長距離用なども開発されている。

 子ども向けの靴だからといって侮れない。

節電の感謝状が届く

2011-11-01 20:42:10 | 教師修業
 節電の感謝状が届いた。
 
 学年全体で取り組んだので,今日全員に感謝状を渡した。

 「経済産業省資源エネルギー庁長官」と書いてある。
 「長官だって。何だかすごいな」という声が聞かれた。

 夏の節電は終わったが,これをきっかけにして環境問題を考えられる大人になってほしい。
 環境問題に興味を持ち,地球規模で物事を考えられる人間になってほしい。
 

第2回復興ボランティア 3

2011-10-18 20:28:52 | 教師修業
 会の終了後,娘と2人で,残った石狩鍋を仮設住宅に運んだ。
 その途中で,参加された方から次のように声を掛けていただいた。

「今日は体を動かせて,本当に楽しかった。
 家にいたときは,バランスボールとかをやっていたから,いろいろ運動してみたいと思っていたところだった。
 手軽にできるのを紹介してもらったから,続けてやってみようと思う。」

 この言葉はとても嬉しかった。
 この言葉によって,心がだいぶ晴れた。

 実は,私はボランティア活動には,あまり乗り気ではなかった。

 理由は,3月11日以降に学校で避難所運営にあたっていたときに,辛い思いをしたからである。

 実質的に私が現場責任者になった時間帯があったのだが,そのときに町内会長や避難している方から,理不尽な要求をされ,罵声を浴びせられた。
 さらに,飲み水などの支援物資がが盗難に遭う場面にも遭遇した。

 非常時にも関わらず,整然と秩序ある行動をする日本人の姿が称えられている。
 確かにほとんどの方は秩序ある行動をされていた。
 しかし,私はそうではないシーンも目撃してしまったのである。

 怒りや虚しさ,悔しさがこみ上げてきた。
 しかし,そのような感情を持ち続けたからといって,何かが解決するわけではない。
 誰にも相談せずに,心を鍛える機会と捉えることにして,負の感情を自分の心に閉まっておいた。

 今回,上のような言葉を掛けていただいたことで,何かが吹っ切れた。
 自分自身の成長のきっかけになる出来事であった。

 ボランティア活動をして,本当によかった。
 次回は,11月23日。根本正雄先生,末廣真弓先生ら参加しての「Yosakoiソーラン」である。