Catch Ball

修業の時計を止めない教師でありたいです。

指名法

2008-12-31 16:29:04 | 教師修業
 今月上旬,校内の研究授業が行われた。6年国語である。
 私が印象に残ったのは,指名法である。

 授業者は,発問後すぐに子供を指名していた。
 子供が手を挙げていようが挙げていまいが,関係なくアトランダムに指名していった。
 子供にしてみれば,手を挙げていなくても指名されるのである。
 いわば強制的指名である。
 指名された子は,自分の意見を述べていた。

 授業者の意図は,全員に発言させようということであったようである。この授業では確かに多くの子が発言の機会を得ていた。

 しかし,これはよいのだろうか。

 よくあるのは,「発問→挙手→指名」という方法である。
 手を挙げているのは,分かった子である。分からない子は手を挙げない。
 つまり,子供側から見れば,手を挙げさえしなければ,指名されることもない。安全であるともいえる。
 教師は手を挙げている,出来のよい子だけを相手にして授業していることになる。

 「発問→挙手→指名」方式と,今回の授業者の強制的指名方式で同じなのは,子供が何と答えるか,教師があらかじめつかめないということである。
 意図的に授業を構成することができないのである。

 数年前,校内の研究授業でこのような場面があった。
 授業の最後のまとめの段階で,教師が発問し,挙手した子を指名した。すると,その子の答えは,授業の流れを無視したような珍答だったのである。教師はあわててその場を適当に取り繕い,次の子を指名した。
 この場面は,私にとって大変印象深いものであった。

 私の授業では,「発問→挙手→指名」方式はあまりしていない。することもあるが,それはほとんどの子が答えられるような問題の場合である。

 私が行っているのは,「発問→ノート作業→机間巡視→指名」である。
 この方法は野口芳宏氏から学んだ。

 机間巡視によって,子供の意見を探り,誰に指名すべきかを考えていく。
 誰がどんな考えを持っているのかを把握し,ノートに○や◎をつけながら考えを分類していく。
 そして,意図的指名によって対立する意見を出させていくのである。
 この方法は自分ではうまくいっていると思っている。

 「発問→挙手→指名」から脱却し,ノート作業と机間巡視をして,意図的指名をする方法を,今後も追究していきたい。

「ああ」

2008-12-30 16:47:24 | 国語
 校内で2年国語「お手紙」の研究授業があった。

 事後検討会で話題になったのは,「ああ」の音読の仕方である。
 「ああ。」「とってもいいお手紙だ。」の部分の「ああ」である。これは,感嘆の「ああ」である。

 子供たちの読みは「ああ↓」であった。
 これに対し,私は読み間違いではないかと指摘した。
 私は同じ感嘆でも,「ああ↑」と読むべきだと考えていたからである。

 なぜ私が「ああ↑」だと思ったかというと,前の場面に「ああ↓」があるからである。
 がまくんが「ああ。一度も」という場面である。これは落ち込んでいるのであるから,明確に「ああ↓」である。

 この2つの「ああ」を対比させるのが,この教材のねらいの一つであると思う。

 子供には,この2つの違いを音読によって表現させなければならない。

 その場合,感嘆の「ああ」を「ああ↓」と表現したのでは,前の場面の「ああ」との違いが明確にならない。
 実際,私が聞いていて子供たちの音読した「ああ」はため息のようにも聞こえた。

 以上が,私が「ああ↑」でなければならないと考えた理由である。

 検討会では,「ああ↑」「ああ↓」のどちらもあり得るというような曖昧な結論に至った。子供たちはがまくんの気持ちを考えて一所懸命表現していたのだから,それでよいのではないかというのである。

 しかし,私はそれではだめだと思う。
 物語の解釈としては「ああ↑」も「ああ↓」もあり得るだろうが,教材としての解釈でいえば,「ああ↑」とすべきだと思う。
 どちらでもいいというような教材観では,授業はできない。
 授業者は,確固たる信念を持って授業に臨むべきである。