今月上旬,校内の研究授業が行われた。6年国語である。
私が印象に残ったのは,指名法である。
授業者は,発問後すぐに子供を指名していた。
子供が手を挙げていようが挙げていまいが,関係なくアトランダムに指名していった。
子供にしてみれば,手を挙げていなくても指名されるのである。
いわば強制的指名である。
指名された子は,自分の意見を述べていた。
授業者の意図は,全員に発言させようということであったようである。この授業では確かに多くの子が発言の機会を得ていた。
しかし,これはよいのだろうか。
よくあるのは,「発問→挙手→指名」という方法である。
手を挙げているのは,分かった子である。分からない子は手を挙げない。
つまり,子供側から見れば,手を挙げさえしなければ,指名されることもない。安全であるともいえる。
教師は手を挙げている,出来のよい子だけを相手にして授業していることになる。
「発問→挙手→指名」方式と,今回の授業者の強制的指名方式で同じなのは,子供が何と答えるか,教師があらかじめつかめないということである。
意図的に授業を構成することができないのである。
数年前,校内の研究授業でこのような場面があった。
授業の最後のまとめの段階で,教師が発問し,挙手した子を指名した。すると,その子の答えは,授業の流れを無視したような珍答だったのである。教師はあわててその場を適当に取り繕い,次の子を指名した。
この場面は,私にとって大変印象深いものであった。
私の授業では,「発問→挙手→指名」方式はあまりしていない。することもあるが,それはほとんどの子が答えられるような問題の場合である。
私が行っているのは,「発問→ノート作業→机間巡視→指名」である。
この方法は野口芳宏氏から学んだ。
机間巡視によって,子供の意見を探り,誰に指名すべきかを考えていく。
誰がどんな考えを持っているのかを把握し,ノートに○や◎をつけながら考えを分類していく。
そして,意図的指名によって対立する意見を出させていくのである。
この方法は自分ではうまくいっていると思っている。
「発問→挙手→指名」から脱却し,ノート作業と机間巡視をして,意図的指名をする方法を,今後も追究していきたい。
私が印象に残ったのは,指名法である。
授業者は,発問後すぐに子供を指名していた。
子供が手を挙げていようが挙げていまいが,関係なくアトランダムに指名していった。
子供にしてみれば,手を挙げていなくても指名されるのである。
いわば強制的指名である。
指名された子は,自分の意見を述べていた。
授業者の意図は,全員に発言させようということであったようである。この授業では確かに多くの子が発言の機会を得ていた。
しかし,これはよいのだろうか。
よくあるのは,「発問→挙手→指名」という方法である。
手を挙げているのは,分かった子である。分からない子は手を挙げない。
つまり,子供側から見れば,手を挙げさえしなければ,指名されることもない。安全であるともいえる。
教師は手を挙げている,出来のよい子だけを相手にして授業していることになる。
「発問→挙手→指名」方式と,今回の授業者の強制的指名方式で同じなのは,子供が何と答えるか,教師があらかじめつかめないということである。
意図的に授業を構成することができないのである。
数年前,校内の研究授業でこのような場面があった。
授業の最後のまとめの段階で,教師が発問し,挙手した子を指名した。すると,その子の答えは,授業の流れを無視したような珍答だったのである。教師はあわててその場を適当に取り繕い,次の子を指名した。
この場面は,私にとって大変印象深いものであった。
私の授業では,「発問→挙手→指名」方式はあまりしていない。することもあるが,それはほとんどの子が答えられるような問題の場合である。
私が行っているのは,「発問→ノート作業→机間巡視→指名」である。
この方法は野口芳宏氏から学んだ。
机間巡視によって,子供の意見を探り,誰に指名すべきかを考えていく。
誰がどんな考えを持っているのかを把握し,ノートに○や◎をつけながら考えを分類していく。
そして,意図的指名によって対立する意見を出させていくのである。
この方法は自分ではうまくいっていると思っている。
「発問→挙手→指名」から脱却し,ノート作業と机間巡視をして,意図的指名をする方法を,今後も追究していきたい。