Catch Ball

修業の時計を止めない教師でありたいです。

ボランティアのトルコ人

2011-03-26 23:45:44 | 教師修業
 3月24日,修了式が終わり職員室に戻ると,事務長が「今日はトルコ人の方が炊き出しをしているよ」と教えてくれました。
 見に行くと,肉料理とスープを作っていました。
 私の頭に中にはすぐに「エルトゥールル号事件」が想起されました。
 
 1890年9月16日,紀伊半島沖で座礁したトルコ船エルトゥールル号。
 587人が死亡する大事故でしたが,現在の串本町の住民が総出で救助活動にあたり,69名が救出されたのです。
 トルコ人は日本人に対して好印象を抱いたといいます。
 
 1985年のイラン・イラク戦争の際,イランに住む日本人たちが国外に脱出できなくなってしまいました。
 世界各国は自国の救援機を出して救出していましたが,日本では自衛隊が救出に行くことができなかったのです。
 パニックになる日本人の前に,2機の飛行機が到着しました。
 トルコ航空の飛行機です。
 215名の日本人全員を乗せて,成田に向けて飛び立ちました。

 駐日トルコ大使は,次のように言ったそうです。
「エルトゥールル号の事故に際し,大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を,今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ,歴史教科書で学びました。トルコでは,子どもたちさえエルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで,テヘランで困っている日本人を助けようとトルコ航空機が飛んだのです」

 今回,トルコ人の方がボランティアとしてきてくださったのも,エルトゥールル号事件と無関係ではないと思います。
 トルコという国の情の厚さに胸を打たれました。

 世界が日本の復興を応援しています。

東日本大震災 6

2011-03-21 17:00:33 | 教師修業
 午後からは時間が空いたので,自分でできることをしようと思いました。
 私ができることといえば,掃除ぐらいのものです。
 1階から4階まで校舎の瓦礫を寄せ,廊下や階段を丁寧にほうきで掃きました。
 子どもたちが次に登校するときに,塵ひとつない学校にして迎えてあげたいという思いでした。
 
 閉口したのは,2年生の若い先生が自分の教室の掃除をしていたことです。
 1階にある2年生の教室はほとんど被害がなかったのにも関わらずです。
 子どもたちの荷物をせっせとまとめ,机の上に置いていっているようです。

 確かにそれもしなければならないことではあると思いますが,今すべきことでしょうか。
 
 このような状況で,自分のことを優先する,自分のことしか考えないというのは,私には考えられないことです。
 生き方,考え方が違うのだから,やむを得ないことなのでしょう。
 
 私が自分のことより他のことを優先するのは,父の教えによるものが大きいと思います。
 父からは「何をやってもいい。ただ,人に迷惑を掛けることだけはするな」と教えられてきました。
 人に迷惑を掛けるなということは,裏を返せば「自分のことばかり考えるな」「他人のことを優先せよ」ということだと考えています。
 実際に父はそのような生き方をしています。
 
 私が自分の教室の片付けに行った頃には,既に誰かが片付けてくださっていました。
 感謝です。
 
 16日,17日は体育館の避難所の方々への食事の配給の手伝い,掃除,通信表・指導要録の作成などを行いました。

 18日には再度家庭訪問を行いました。
 23日まで休校とし,24日に終了式を行うことの連絡のためです。
 別の場所に避難していて,不在の家もありました。
 
 20日,21日と出勤し,掃除を行いました。
 非常時なので土足で廊下を歩く方が多く,汚れが激しくなっています。
 ほうきで掃き,その上でモップで拭いていきました。
 
 3月24日,修了式が行われます。
 強い余震も続いています。
 校舎の壁も崩落しています。
 こういった状況で,本当に子どもを登校させていいのでしょうか。
 疑問です。

東日本大震災 5

2011-03-20 22:59:21 | 教師修業
 3月13日は全職員出勤でした。
 
 まずは職員室の復旧作業です。
 過去の要録などが保管されている大型の金庫が倒れてしまっています。
 全男性職員で起こそうと試みましたがびくともせず,結局現在もそのままになっています。

 その後,特別教室の片付けです。私が担当した音楽室はピアノが動いたり,楽器が多数倒れたりしていました。
 準備室の木琴,鉄琴は壊れてしまい,廃棄しました。

 校舎を建て増しした部分の3・4階の廊下の継ぎ目が崩落し,中から外が見えてしまっています(写真参照)。

 午後からは家庭訪問をしました。
 児童の安否確認と21日まで休校であることの連絡のためです。
 28人中10人不在でした。
 しかし,全員無事に引き渡して下校したのですから,無事ではあるはずです。
 在宅している児童はみんな元気そうで,安心しました。

 14日も家庭訪問でしたが,自転車で回った私は前日のうちに全家庭を訪問済みでしたので,掃除など片づけをしました。

 15日は全職員で特別教室の片付けを行いました。
 私が行ったのは,図書室,家庭科室,理科室,PTA室,教材室,4階の教室などです。
 全員で行ったので作業は午前中でほぼ終わりました。

東日本大震災 4

2011-03-17 23:39:41 | 教師修業
 ○○小学校の隣の児童館の水道が出るという情報があり,別の先生が行列を作っているみなさんにそれを知らせに行ったようです。
 しかし,○○小まではやや遠いので,動かず並び続けていました。

 ところが,これは誤報でした。
 ○○小学校ではなく□□小学校の誤りだったのです。
 それで私が知らせに行きました。
 □□小なら,隣の学区なのでそんなに遠くはありません。
 これは朗報です。みなさんに喜んでいただけると思い,ハンドマイクを握って「□□小の隣の児童館では水が出ているとのことです。給水車は次はいつ来れるか分かりません。よろしければ,□□の方に行ってみてはいかがでしょうか」と言いました。

 ところが,2人ほど私に喰ってかかってきました。
 「さっきは○○と言ったではないか」
 「給水車が来ないというのはどういうことなのだ。さっきはもうすぐ来るということではなかったのか」
 「何時間並んでいると思っているんだ」
 殴りかからんばかりの剣幕の方もいましたが,このようなことを言われても,情報がない中で動いているので,私も困ります。
 更にタイミングの悪いことに,このあと10分ほどして給水車がやってきたのです。

 その上,配給のおにぎりにも問題がありました。
 朝,昼はピンポン玉大だったのに,夕食分を見てみると,普通の大きさに握っているのです。
 「これで大丈夫なのですか」と聞いてみたところ,大丈夫だというのです。
 
 17時になり配ってみると,案の定足りません。
 避難している方だけなら足りたのかもしれませんが,配給の時間が近づくと食事をもらいに学校にやってくる方がいるのです。
 それで,給水に並んでいた方の分のおにぎりが確保できなくなってしまいました。

 わずかに余ったおにぎりを持って,おにぎりを握っていた消防団の方に相談に行くと,「何で昼食なんか出したのだ。こういう非常時は,朝と夜の1日2食で十分なのだ」などという始末。
 わずかに余ったおにぎりも何故かその方に取り上げられてしまいました。

 さらには「ボランティアをしたら,優先的におにぎりがもらえるのではないのか」などという方まで現れました。

 町内会長が現れ,「集会所に非常食が届けられないのはどういうことなのか。何とかしろ」と言われました。
 本来は,仙台市や町内会で避難所を運営すべきなのです。
 それなのに,文句を言いに来るとはどういうことなのでしょうか。

 クレーム対応に追われ,心が痛みました。
 18時ごろ避難所をあとにし,帰宅しました。

東日本大震災 3

2011-03-16 20:30:04 | 教師修業
 18時過ぎに小中学生の子がいる職員の勤務が解除になりました。
 後ろめたい気持ちもありましたが,「家の無事を確認したらまた来ます」と教頭と約束し,学校を後にしました。

 家に近づくと,車がたくさん止まっているのが目に入りました。
 家族の身に何かあったのではないかとドキドキしましたが,向かいにあるファミリーマートに駐車できず,私の家の前に駐車しているのが理由でした。

 妻も娘も無事でした。娘を抱き締めました。
 私の両親も駆け付け,部屋の片づけを手伝ってくれていました。
 家中のものが溢れ返り,凄まじい状態になっていました。
 
 大変だったのは蓄熱暖房機が倒れてしまったことです。
 熱を持ったまま倒れているので,このまま放置していれば火事の恐れもあります。
 熱さと重さがものすごく,私と父の力だけでは起こせません。
 隣の親戚を呼んで大人4人でもう一度やってみましたが起せず,火事の恐れを懸念してコードを引きちぎりました。
 その後,何とか起こすことができました。
 
 食材などを調達するため,ファミリーマートに向かいました。
 行列ができています。停電し,ものが散乱した状態。自家発電での営業です。
 このような状況で営業してくださっているファミリーマートに感謝の念が湧きました。
 
 恐怖で不安に陥っている娘を置いていくのは忍びなかったのですが,21時に再び学校に向かいました。

 既に児童は全員引き取られ,避難所が開設されていました。
 1500人以上の方が避難しています。
 ストーブの設置,アルファ米の配給など,できることをしていきました。
 
 12日の午前1時半にいったん帰宅し,5時に再び出勤しました。
 
 朝食,昼食の配給など,自分勝手な言動をせずしっかりと順番を守るなど,理性ある行動,秩序ある行動をする日本人の素晴らしさを実感しました。
 避難されてきた方が2000人近くにも及び,備蓄している食材も足りないので,おにぎりもピンポン玉大です。
 それでも何の文句も出ませんでした。
 配給のためのボランティアを募ると,すぐに多くの方が名乗り出てくれます。

 途中,校長,教頭や市の職員などが席を外し,実質的に私がリーダーのような立場になりました。
 この時間帯は,だんだん避難されている方のイライラが募ってきた時間帯でした。
 給水車が来たのですが,足りなくなってしまい,次はいつ来るかの約束もないまま戻っていってしまいました。
 来るかどうかも分からない給水車を,200人近くの方が寒い中並んで待っています。

東日本大震災 2

2011-03-15 22:25:22 | 教師修業
 校庭で状況を確認している間も,激しい揺れが続いています。
 泣いている子どもたちが多くいました。
 
 私の学校では全員が無事に避難できました。
 けが人もいませんでした。
 
 降り始めた雪が激しくなってきています。
 私のクラスには靴下のまま避難している子もいます。
 このまま校庭に居続けるのは辛い状況です。
 安全を確認し,体育館に移動することになりました。
 
 体育館に移動し,心配して駆け付けてきた保護者への引き渡しをすることになりました。
 名簿に1人1人チェックをしながら引き渡していきました。
 親の顔を見て安心したのか,号泣する子も少なくありませんでした。
 教室にランドセルなどが置きっぱなしですが,そのままにして帰らせることにしました。
 
 なかなか迎えに来られない保護者もいます。
 停電などにより,交通手段も遮断され,会社から歩いてきたという方も結構いました。
 「自分の親は大丈夫だったのだろうか」「家がつぶれてしまったのではないか」と,残された子どもたちの不安が募っていきます。

 私も自分の子が心配でした。
 しかし,目の前にいる子どもたちを放っておいて,子どもを迎えに行くなどということはできません。

 寒さも厳しくなってきました。
 担任外の先生が職員室からジャンパーを取ってきてくださいました。

 そうこうしている間に,地域の方が学校に避難にやってきました。
 ブルーシートやござなどが敷かれ,子どもたちは端の方に寄せられました。
 
 16時半を回っても,迎えのない子が3人。
 こちらから連絡してみたらどうだろうと思い,職員室に携帯電話を取りに行きました。
 職員室はめちゃくちゃな状態でした。
 私の机はひっくり返り,机の上に置いていた電話もどこにあるのか分かりません。
 何とか探し出し,電話をしてみたものの,予想通り繋がりません。
 やはり,ひたすら待つことしかできません。
 
 自分の子の安否も心配なので,いろいろと連絡してみましたが,どこも繋がりませんでした。
 
 最後の子の迎えがあったのが18時でした。
 とにかく無事が確認され,よかったです。

東日本大震災 1

2011-03-14 23:06:18 | 教師修業
 3月11日14時46分,M9.0,仙台では震度6弱を記録する地震が起こりました。

 仙台市一斉の防犯デーのため,私の学校では14時45分に「さようなら」をすることになっていました。
 ところが,私のクラスは毎週金曜日に帰りの前に行う「お笑い係」の活動が予定より延びたために,まだ帰っていませんでした。

 「では,帰りましょう」と私が声を掛け,子どもたちが立ち始めたころ,揺れを感じました。

 まだ激しい揺れは感じませんでしたが,咄嗟に「潜りなさい」と指示しました。
 9日にも大きな地震があったので,嫌な予感がしたからです。
 子どもたちはすぐに机の下に潜りました。
 その後,放送でも教頭からの指示がありました。

 だんだん揺れが激しくなり,立っているのもやっとという状態でしたが,子どもたちの様子を見守りつつ,ベランダの扉を開けに行きます。
 私の教室は1階なので,避難のために必要です。
 のちに分かったことは,それでも1階の揺れはさほどではなかったということです。
 教室は写真のような状態で,大きな被害はないように見えます。

 廊下の方から悲鳴がします。
 14時45分に時間通りに帰ったクラスの子が,昇降口にいたのです。
 こちらに来るように呼び,私の教室に入れました。

 そのすぐ後に,昇降口の靴箱や大きな掲示物が崩れてきました。
 壁も崩落です。

 外を見ると,プールの水が溢れ返って流れ出ています。

 ロッカーの上に置いてあった国語辞典,ロッカーの中にあった鍵盤ハーモニカが散乱します。

 この状況の中,子どもたちは立派でした。
 机の脚をつかみ,声も出さず,じっと耐えています。
 とても長い時間でした。

 教頭から校庭への避難命令が出ました。

 ノロウィルスが流行しており,この日は消毒のために上靴を持ち帰るように指示していました。
 忘れないようにと,既に上靴を脱いでいた子も半数ほどいました。
 靴下の状態の子もいますが,構っていられません。

 「校庭に出ます」と言って,子どもたちを並ばせようとしたとき,発達障害を抱える2名が我先にと校庭に出ていくのが見えました。

 「並びます」と大声で言うと,2人も戻ってきて並びました。
 だいたい並んだのを確認して,すぐに教室を出ました。
 まだ揺れている中,校庭に整列させました。
 すぐに人数を数え,全員いることを確認しました。

ディスクゲーム 3時間目 2

2011-03-09 00:01:32 | 体育
 いよいよディスクゲームに入る。

 ルールや進め方は次の通りである。
攻撃側4人,守備側1人で行う。
試合時間は前後半5分ずつ。攻守交替型で行う。
攻撃はスタートラインに並び,守備はゴールラインからスタートする。
攻撃はパスだけでディスクを進める。ディスクを持って歩くことはできない。
得点ゾーンでディスクをキャッチしたら1点入る。スタートラインに戻って再開する。
得点ゾーンに守備側は入れない。
ディスクを守備側にキャッチされたら,スタートラインに戻る。

 今日行ったのは,攻撃4人対守備1人の試合である。
 圧倒的に攻撃側が有利な状況である。

 そのため,空いている仲間を見つけてパスすることがしやすい。
 4対4などにすると,ディスクを受けたあとに,敵に囲まれて慌てふためき,パニック状態になっていい加減に投げるなどということがある。

 また,攻撃側の人数が多いので,パスをもらうために守備の前に入ったり,スペースを生かして後ろに移動したりするという戦術が生かしやすい。

 まずは,デモンストレーションのゲームをし,ルールのだいたいを理解させた。
 
 その後,試しのゲームを行った。
 KさんやK君は,守備の際,攻撃陣の間に入って容易にパスをつながれないように動いていた。

 ゲーム後にこの2人の動きを紹介し,褒めた。
 すると,H君が「シュートボールのときと同じだ」と発言した。

 この発言は素晴らしい。
 バスケットボールやサッカーなどのゴール型ゲームに共通する動きの特性を発見したのである。
 前に学習した内容を生かせるということを発見したのである。

 動きに慣れてきたら,4対2のゲームにし,最終的には4対4の攻守入り乱れ型のゲームにしていきたい。

ディスクゲーム 3時間目 1

2011-03-08 20:55:45 | 体育
 ディスクゲームの3時間目の授業を行った。

 まずは2人組でのパス。
 「指前・トン・ビュン」が合言葉であったが,「トン」と足を踏み出すのと「ビュン」と投げるのが同時であるので,「指前・トン」とした。

 次にまっすぐに投げられるかどうか,個別評定を行った。

 私がバスケットのサークルに入り,6~7m離れた場所からディスクを投げさせる。
 サークル内の私がキャッチできれば合格,キャッチできなければ不合格とする。
 
 子どもたちを1列に並ばせて,評定の開始である。
 合格,不合格だけでなく,言葉を掛けるように意識した。
 意識したのは,具体的な言葉掛けである。

 筑波大学附属小学校の清水由氏は,教師のフィードバック行動を次のように分類している。

 ①肯定的フィードバック
 ・肘が伸びていてかっこいいね!(具体的)
 ・いいね!すごい!(一般的)
 ②矯正的フィードバック
 ・しっかり肘を曲げておこう!(具体的)
 ・もうちょっとだね!(一般的)
 ③否定的フィードバック
 ・ダメ,そんな勢いじゃできないよ!(具体的)
 ・まだまだだね。(一般的)
          清水由著『シンプルで子どもが伸びる体育の授業づくり』(明治図書)

 単に「いいね」だけでは,何がいいのか伝わらない。
 「おしい」だけではどうしたらいいのかが分からない。
 そこで具体的に「勢いがあっていい」「トンと1歩踏み出して」というように声掛けしていった。
 
 一巡した後は,子どもをサークルに立たせ,2箇所で評定するようにしていった。
 子どもたちの動きは評定によって,上達していった。

 上方に投げ上げる子は誰もいなくなった。
 ミスで多いのは,正面に投げられず,斜め方向に飛んでいくことである。
 ディスクを離すポイントが早かったり遅かったりすることや,へそが正面を向いていないことが原因である。
 「へそを前にしてビュン」と具体的な矯正的フィードバックをした。

 最終的には,全員が合格になるようにした。

第10回 宮城オープンキンボールスポーツ大会

2011-03-06 20:55:18 | 教師修業
 「第10回宮城オープンキンボールスポーツ大会」に参加しました。
 サークルのメンバーと一緒に出るのは,2年連続2回目です。
 「体育サークル」ですので,教師修業ばかりでなく,このような大会に出るのも面白いです。

 予選の最終結果を見ましたら,18チーム中14位だったようです。

 1試合目は1位タイを取り,「いける!」という確かな手応えがありました。
 2試合目,3試合目での私のヒットが,下向きに取られたのは無念でした。
 この2つがなければ,2試合目は単独2位,3試合目は2位タイになっていたはずです。

 ただ,昨年よりも戦いぶりは充実していたと思います。
 私が感じた来年に向けての課題は,“速攻”です。
 すばやくセットし,すばやく打つということです。

 また,今回,レフェリーとしてデビューしました。
 何とか無難に裁けたと思います。

 準決勝,決勝は白熱した試合が展開されました。
 あまりにものすごい,劇的な試合展開に,もう1人のレフェリーの方が感動の涙を流しておられました。
 子どもたちがひとつになって頑張っている姿に,胸を打たれました。