毎年毎年懲りもせず年末になると同じ事を思う。「今年も年初に決意した事を何も実行出来なかっ
た・・・」思えば今まで半世紀生きてきて目標を達成できた事などあったのだろうか?
ならばいっそ年初に決意などしなければ良いではないか。
しかし向上心ならあるのだろう。ただ向上心を生かせないだけなのだ。
考えてみると私には熱中できる対象物を見つけた事が無い。好きな物は多いのだが夢中に
なれるかは別だ。好きな物は多いのに趣味に迄高じる事が出来ないのはなぜだろう?
以前、完璧主義者だから仕方がないのか~と思っていたがこれは勘違いだった。
子供の頃ピアノを習い始めた時期に(私の頃は赤バイエルから入るのが一般的だった)
その単調で面白みのない旋律に辟易とし果てしなく続くと思われるエチュードにある日意を決して
先生に言ってみた。「先生!私はバイエルではなくエリーゼの為にが弾きたいのです!」
そうすると先生は落ち着き払ってエリーゼの為にの楽譜を探しそれをピアノに置き「では、弾いて
ごらんなさい」と言ったのだ!5歳でピアノを習い始めた私の中での最高のピアノ曲はエリーゼの
為にであった・・・今考えると先生は偉いな。「んな、馬鹿な・・・」とか言わなかったんだもの。
その5歳の頃から何も変わってはいない。絵を描けばルノワールのように描けない自分が嫌だった。
油絵を初めて描いた頃はルノワールが最高だと思っていたのだ。
子供を育てて考えが変わった。子育ては親が育つとはまさにその通りだ。その過程を通して
学ぶ事が多かった。特に私のような人間は・・・
きっと私は器用貧乏だ。そこそこならできる。しかしここからは忍耐が必要だ。そこが欠けている。
成功体験が少ない人間はこの様な大人になるらしい。そう言えば私は最近まで”悔しい”という
感覚が解らなかった。字面では知っているが身をもって感じた事が経験上無かったのだ。
”負けず嫌い”この言葉にも無縁であった。競おう!と思った事が無いのだから。
思えば最初から降りているのだ。凄い物でなくては意味が無いと思う半面自分とは無縁だと
子供の頃から悟っているのかもしれない。
しかし欲がないかと言えばその正反対だ。私の好きな言葉の一つに「棚ぼた」がある。
「不労所得」も大好きだ
競馬でも有名な試合は買ってみたりするが大穴以外は買わない。
面白い物で家の夫は私がそそのかして馬券を買ったりするが(我が家からは至近距離に3か所
ものJRAがある)本命しか買わない。息子もそうだ。大金が望める確率よりも小金でもそちらが
確率的には高いのだからそこに賭けるべきだと言うのだ。一攫千金よりも小さなことでもコツコツと
の精神だ。我が家の男は・・・と残念な気持ちでいっぱいになる
「才能は努力を喚起する」という私が作った名言がある子育てを通して感じた事だ。
努力するから才能が開花するのではなく、どうも何かしらの才能がある人間はどんな環境
でもそれに向けて頑張れるのだ。飛び抜けた才能の持ち主は環境をも自分の味方に
変えてしまうただ人並みの才能でもコツコツ型の人もいる。それは上で書いたように
自分なりの小さな成功体験をいっぱい経験した人なのだろう。
努力できない私はどんな種類でも才能がないのだ。
ただ結婚したての頃に思わぬ頑張りが自分にある事を発見した!TVゲームでの頑張りだ。
どんなに複雑なストーリーでも、あの頃のゲーム機はすぐにメモリーが消えても
めげずにチャレンジしそれは睡眠をも厭わず、攻略本を買って研究すると言う勤勉さも
発揮したのだ!そう思うとやはり好きな物に出会えば努力できる能力は持っているのかも
しれないな。来年こそそう言う何かに出会えますように
字だらけになっちゃったので、美味しいケーキの写真でもアップしておこう!
我が家で一番人気のケーキ屋さん「SADAHARU AOKI」のケーキ達。
「お値段が高すぎる!」という声も聞くが大きさから考えるとけっしてお高くは無い
と思うな~それになんたって美味しいし
特に真ん中の抹茶のケーキはあの風味が何とも言えない。抹茶物は世に出廻り
過ぎているけれど、ここの抹茶は深―い味。サワーチェリーが入ったエクレアも
とても美味しい