これは日本刀の研ぎにも通じることなの
Rの比率が優れてカクカクとなっている。
こうしたことは日本刀の研ぎにおいては
ある福岡県にお住いの人が旅行案内で
解説していたサイトから。
調査リサーチ元は明らかにしていない
が、地元福岡県のことを嘆いていた。
全国ワースト10に7ヶ所も福岡県内が
入っていると。
あれ?
でもこれ、東京都足立区竹ノ塚がない
ぞ(笑)。
あそこもすげ~からなぁ。極めて親しい
人3人知ってるけど、本人たちも、その
治安の悪さには地元民ながら「とほほ」
と言ってる。
わが青春の歌舞伎町は治安悪いといって
も、それは大昔からなんだけど、かつて
は横浜の本牧や中華街あたりと変わら
ない程度だったのが、横浜は平和で
安全な街に様変わりしたからなあ。
歌舞伎町なんて、今でも裏路地で拳銃
売ってそうな空気だけどね(笑)。
実際にヤバい薬とかは今でも蔓延して
いるようだけど。
高校時代の遊び場は池袋と新宿歌舞伎町
と赤坂だったが、歌舞伎町は不良の街
というよりも、裏社会の暗黒街そのもの
という街だった。確かにヤベー街。
今でもそうなのだろうけど。
歌舞伎町は元々は幕臣旗本のお屋敷街
だったあたりは、九州北部の土地柄の
柄の悪さとは異なる特異な歴史性を
歌舞伎町は持っている。
「興行」の街というのは、いろいろと
利権暴力組織が蔓延るもんでね。
浅草(エンコ)や上野(ノガミ)なん
てのもそういう「興行地」として
かなりヤバい所だったが、今ではなん
だか観光地みたいになってしまった。
地方の治安悪い土地は、ほとんど炭鉱
町や漁師町だったりする。大阪の西成
は東京の山谷と同じくドヤだよね。
それはそこでも歌舞伎町のように
「利権」を巡る暴力行為を主たる
稼業とする連中がいることが特徴だ。
それは何も暴力団やヤクザやテキ屋
とかだけではない。
まあ、有名なセメント屋とかね(笑)。
この国の政府のトップにまでなった
地方炭鉱都市の地元の強大なボスと
いう顔ね。
まあなんてのか、クロサワ映画『用心棒』
のような町ってことよね。今でも。
地元の顔役が表面的な暴力だけではない
真の暴力に関する悪いことをする。
鹿児島の志布志事件なんてのは、警察
が主犯格で許されざる悪事を働いて
いたしさ。
日本全国、いろいろあらあな。
東京や他地方から転居した人が皆口を
そろえて「柄が悪い」と言う広島県の
三原なんて、筑豊に比べたら東京山の手
みたいにお上品なクチよ。
キャンプやブッシュクラフトにおすすめ
な斧を試す
【比較】
・グレンスフォッシュアウトドアアックス
・ハスクバーナー手斧
・ハルタホースオールラウンド
-GRANSFORS.Hultafors.Husqvarna-
断面形状。
これこそが切断力と割りの能力に一番
直接的な影響を及ぼす。
これは実は日本刀においても全く同じ
ことがいえる。
日本刀は「切」よりも「斬」として
運用することのほうが多い武器であり、
切断を主目的とはしない。「断ち割る」
ように「裂創」を負わせることが主
だ。断ち(裁ち)とは「裂創」を負わ
せることから開始する。断ちがタチ
となり、横刀(たち)、大刀(たち)、
太刀(たち)と呼ばれるようになった。
その場合のタチ切るのは、肉体の組織
を斬り割いてスプリットさせることで
結果として切断も生じることもある、
というものだ。最初からギロチンの
ような目的で日本刀の刀身は作られて
はいない。斬り割く(裂く)のが刀
の本質的用法なのである。
また、日本刀の特徴である湾刀である
ことと鎬(しのぎ)の位置は極めて
重要であり、それゆえ、鎬の位置は
時代と共に移動してきた。
最初はナイフでいうところのスカンジ
グラインドのように鎬が刃先側に寄っ
た切刃造だったが、のちに実戦を通し
てより切開力を求めるために鎬の位置
が棟寄りに移動していく。
その究極は備前伝であり、鎬地の幅を
狭く、断面はハマグリながら相対的に
重ねは薄く(といっても戦国刀なので
厚さは9ミリほど)なって行った。
一方大和伝などは鎬が身幅の中央付近
に寄り、テントが張ったような鎬高に
することで頑丈さと同時に「割る」
力のアップを設計のメインに置いた。
しかし、総じて、鎬造の日本刀は全て
ハマグリ刃としての断面形状を持つ。
よく日本刀と刃物についての知見が
浅く薄い人で試斬をする人たちの中
には、畳表切りの切れ味を増そうと
平地をぺったんこに研ぎ削いでしまう
人たちがいる。
全くもって解かっていない。刃物と
日本刀の原理、道理を。
フラットグラインドにしてしまって
は、ハマグリ刃による楔作用が捨象
されてしまい、メスのように切れ込み
は良いが切り割く能力に欠けるので、
結果として刀の抜けが悪く、摩擦抵抗
も増すので力切りになってしまうのだ。
日本刀のハマグリ断面は、ごくわずか
な断面Rであるが、そのほんのわずか
な曲線が現実的には驚異の「割く」
効果をもたらすのである。
ナイフなどで薪割りバトニングや
フェザースティックを作ってみると
どのようなグラインドがどのような
効果を明確に示すかは、アウトドア
マンならば体験的に知悉している。
しかし、日本刀の物切り世界では、
知見に乏しく、広く多くの世界から
理知を得ようとする姿勢が欠落して
いる人が多すぎるため、平地をぺっ
たんこにすれさえすれば切れ味が
増すかと思い込んで日本刀をダメ
にしてしまう人間が多い。
一度削り取った刀身の身は二度と
戻らない。
術や腕で切るのではなく物頼りで
為す行為自体がそもそもボタンの
掛け違えだが、それさえもてんで
筋外しでしかも日本の文化的遺産
を破壊することをやっていたら、
まるで話にならない。
日本刀は刃先の鋭利さのみで切るの
ではない。
そのような構造体の武器ではないの
である。
日本刀を深く知ろうとしたら、刃物
全般についての確かな見識を有する
努力をしないと、絶対に日本刀の何
たるかが見えて来ないし、刀の歴史
的変遷を先人たちが如何に工夫して
織り成してきたか、その人の歴史の
深淵に触れることはできない。
刀を知るためには刃物を知れ、なのだ。
日本刀は確かに崇高な日本固有の
鋼の芸術であり、神器ともなる尊厳
ある存在だ。ただの道具刃物ではない。
しかし、日本刀を持ち上げるあまり、
日本刀以外の刃物を侮蔑して見下す
としたら、論外の更に外の大気圏外
の大外、太陽系銀河系の外の不見識
だ。
昔の日本人が偉かったのは、内実と
しての日本刀の持つ聖的な特異性を
認識しつつ、きちんと刀を刃物として
認識していたことだ。
現代人のように鑑賞専門のオブジェと
して刀のことを見たり、あるいは
対極として日本刀をホウキやモグラ叩き
ハンマーの代用品のようにしか思わな
い見方は、いにしえの日本人はして
いなかった。正しい見識を持っていた。
さる宮様が現代刀新作展覧会をご覧に
なって、呟くように仰ったことがある。
「この中で切れる刀はどれだけある
のでしょうか・・・」と。
まさにその宮様の憂いこそが、日本刀
の本質を忘却しきった現代刀作家たち
への警鐘だったのだが、その時から
すでにもう50年近くが過ぎている。
だが、日本の日本刀を取り巻く状況の
事態はますます末期的になって来て
いる。
それは、多くの日本人たちが刀を
真正面から見ようとはしないからだ。
日本刀の歴史と本質的な存在の所以
を見ようとはしないからだ。
つまり、日本人は日本を見ようとは
していない。
現代において歪んでいるなぁ、不見識
極まりないなぁと私が強く感じるのは、
刀を扱う自称「武道家」や「武術者」
ほど、日本刀に対して真剣に肉迫する
ことをしないので、刀を箒代わりに
扱うことだ。
特に空気斬り連中はほぼ全員がそれだ。
ゆえに日本刀に関する勉強なども一切
しない。無知蒙昧以前の姿勢の問題。
そういう人たちは、何も真剣日本刀を
使わずとも、木刀や真剣ではない模擬
刀という物でよいのではなかろうか。
いや、たとえ竹刀であれ竹の刀である
ので跨いだり粗末に扱ってはならない。
木刀は木の刀であり、模擬刀は模擬の
刀だ。すべて刀なのである。なので
真剣日本刀の扱いがぞんざいな人は
竹刀や木刀や模擬刀さえもいい加減
な扱いしかしようとしないことだろう。
しかし、その「刀として扱う」ことを
多くの剣道選手はしないし、真剣日本刀
を使う空気斬り連中も全く刀のことは
大切に扱わない。
ひどい世の中ですよ、現実は。
極めてぞんざい。特に真剣日本刀に
対する態度が目も当てられない。
そのくせ「道」を説き、高尚ぶりたがる。
それらの人間から一体何を学ぶという
のか。どこが「先生」なのか。
情けない話です。
ところで、この動画の方は、冷静に静か
に斧の比較をしていますが、ここ最近
なんでいきなりアウトドアの「オーソリ
ティー」がドワッと動画サイトで増え
てるの?
そんなに日本全国名人達人練達者ばかり
だったの?(笑)
受け売りの物真似動画ばかりアップして。
正体はド素人なのに、あたかも自分が
その世界のモノを永く知っていたかの
ように振舞って動画をアップしまくって
いる。
ただのしょうもない製品紹介動画なのに。
しかも、内容が薄っぺらな劣化コピーで。
それらの動画群は、中身は明らかに誤っ
ている不見当も多い。
結論。
今の世の中、ニセモノだらけという
ことです。