渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

高硬度鋼材のミラーフィニッシュの顛末

2020年05月28日 | open



なんだこれ?
ピカールで軽くひと拭きしたら、ヒケ疵
かと思っていた箇所は消えちゃいました。
ヒケではなく、シミだったの?
こすってはなく、ひと拭きです。






鏡ですよ、これ。
そして、疵は表裏ともゼロ。
バトニングで薪割りしても疵ゼロ!
あり得ないわあ。




いや、驚いた。
なして?
なして、こげんなると?
ガーバーのミラーは結構疵だらけになる
ぞ〜。
このナイフ、ロックウエル64は伊達じゃ
ない。やるなあ。
ハイスピードカッティングスティールの
名に恥じない、トリプルテンパーパワー
恐ろしきこと。


薪割りしてキズが一つもつかない?


エル・コンドル・パサ

2020年05月28日 | open


剣道の先生は、ご自身の作の洋式ナイフ
をコンドルと呼んでらっしゃるそうだ。
ハンドルエンド(柄頭)の部分はコンドル
のクチバシを表現しているのだという。
う〜む。
こうした絵心遊び心は、日本刀の刀装具
にも通じる。
と思っていたら、この先生は日本刀の
刀装具の金工もなさるそうだ。
道理で(笑)。












日本刀研磨師が作ったカスタムナイフ

2020年05月28日 | open


極上ミラーフィッシュなのだが、ナイフと
しての妙味の如何を試す。
蹲踞から、




抜刀。


バトニング1本目。






癖は分かった。


バトニング2本目。






バトニング3本目。






これはいける。


手の中でクルリと素早く返す。
手さばきも良い。


これは良いですね。


ヒケがたっぷりついたかと思ったが、
洗うとそうではなかった。


バトニング直後にブレードを清拭せずに
そのまま刃味をテスト。
肉眼確認では微細刃こぼれも一切無し。

さて。(動画からのキャプチャ)




カミソリのように切れる。


二刀目。








まるでカミソリですね。
これはいい。

ブレードを中性洗剤でよく洗うと、驚き
ました。
ヒケは裏面の片刃平地部に二筋のみ。


表にヒケは確認できません。


高速度鋼という高硬度鋼材と入念なる日本刀
研磨師によるミラー仕上げの賜物か。
研磨段階ではモーターツールは一切使って
いないとのことだ。この鏡面研磨はバフがけ
ではない。



これは良い!


作った人が作った人だけに、日本刀に
通じるものがあるのかなぁ。
ただ切れて丈夫なだけではない。

心に希望を持たせてくれるナイフです。
良い刃物です。深謝。

こういうのがいいなぁ。モノづくりは。
やっぱ、刀の心を知る人の作はいい。
そして、私は、この一刀を作り上げる
ために作者が割いた時間に思いを馳せ
る。
刃物を使う者は作者と共にある。
これから先、いつまでかは分からないが、
自分がこの一刀と共に過ごせる季節を
喜ばしく思う。

ナイフは実用刃物といえども、やはり、
作り手の心の在り方によっては、これと
通ずるものありしや。

(古三原)

ご飯タイム

2020年05月28日 | open
 
 
一番体格の大きいシマちゃんのみ本日より
離乳食
を食べはじめる。
他の2匹はまだ。
本日から全員猫砂教育開始。
 
社会性の発育は自然に。


この取っ組み合いの相撲と猫パンチ合戦
をやらないと、自分もそうだし相手の痛
みも分からない社会性のない猫になって
しまう。これはある時期大切な事です。


新しい猫砂トレーで子猫もスッキリ。


互いに負けじとやってます。
今のところ3匹に優劣はなし。
先週から取っ組み合いを始めました。

ナイスシース考

2020年05月28日 | open



この日本刀研磨師にして剣道教士七段の
先生が作ったナイフのシースは、とても
よく考えられている。




というのも、常々私がこれが私にはベスト
と言っていたこのような着装方法ができる
のだ。


洋式ナイフをこのようなポジションで帯び
る人は実はあまりいない。見たことない。
西欧人では皆無だ。
日本人も欧米人も全てアメリカ式にベルト
から真下に垂らす。
だが、この日本刀帯刀と同じようなポジシ
ョニングは実はアウトドアでも極めて使い
やすいのである。
しかし、この帯び方ができるナイフシース
は殆どない。あったとしても、個人が作る
カスタムシースのみだ。

この研師の先生のナイフシースは素晴らし
い。さすが日本刀研磨師、剣道教士ならで
はのナイフだ。
日本人として現代洋式ナイフのシースの
様式に不満あるところ、実に痒い所に
手が届く考え抜かれた造形を実現してい
る。


「俺の木剣からは輪が出るぞ」
幕末期最強、剣聖男谷信友よりも強かった
白井享の言葉だ。


だが、私は新陰流の柳生十兵衛三厳が残し
た言葉のほうが好きである。
彼は言った。
 風水の声を聞け

日本刀研磨師のナイフ

2020年05月28日 | open
 


ある日本刀研磨師が私の為に
ナイフを製作
してくださった。
剣道教士七段の先生だ。
手慰みで作ったハイス鋼のナ
イフだが、
本職が日本刀研磨
師であるので、この洋式
ナイ
フにも日本刀的要素が織り込
まれてい
て、とても興味深く
思える。
 
片刃である。


片刃なのに片方はハマグリ刃
という形状。
思わずニヤリとなる。


ミラーフィニッシュ。
使うのが躊躇われる程に美しい。
鎬のラインは日本の刀子と同じ
ラインで
あり、ここも思わずニ
ヤリとなる。




洋式鋼材の洋式ナイフでも
こういう
ような方向性もア
リだと思う。


フルタングだ。






一番ニヤリとしたのがここ。
これは洋式ナイフしか知ら
ない人は研ぎの
手を抜いた
とか思うかもしれない。
日本刀の研ぎと同じく、う
ぶ刃を残して
いるのである。
戦闘刃物ではこの部分は
使わないし、強度確保の
ために根元の刃
を落と
のが
日本刀の定石なのだ。

しかし、野外創作野営=ブッ
シュクラフト
ではこの部分も
大いに使うので、私は自分
で刃を付けることにする。

シースも研師の先生の手作り
感満載だが、
こんな心のこも
った物を頂けるとは私は
幸せ
者だ。
物ではなく御心を頂いた。
ありがたい。
大切に、しかし、死蔵は決し
てさせずに
ガンガンと実用
で使いたい。
きっと、このナイフと共に良
い時間
流れて行くことだ
ろう。
私が死んだら、次の人にも遺
し伝えたい。
そんなナイフだ。
本物の剣士が自ら作ったナイフ
かあ。
なんだかとてもいい感じ。
見ていると、スーッと澄んだ
空気の中に
爽やかなそよ風が
そよぐような作品です。
濁ってない。
このナイフには、ある一つの
魂を感じ
ます。

ハイスピード鋼のナイフ

2020年05月28日 | open


1983年頃製造されたガーバーC375
スタッ
モデル。

丁度私が学生の頃のガーバーである。
製造は日本の岐阜県関市
の坂井刃物
=G.サカイだ。
スキャバード=革鞘はもうボロボロだ。


ハイス鋼、つまり高速度鋼とは工具鋼
の高温下での耐軟化性の低さを
補い、
より高速での金属材料の切削を可能に
する工具の材料とする
ために開発された
鋼で、調べたら1860年代に英国で開発
され、1899年に
アメリカで実用化された
ようだ。結構古い鋼材だ。

日本では1913年に現在の安来鉄鋼(現
日立金属安来工場)が製造
成功をみた。
今から100年以上前の時代、見紛うこと
なく、日本は世界
のトップクラスの先進
性を鉄鋼分野で保持するに至っていた。


ハイス鋼は高速での脆弱性回避のために
開発されたとはいえ、刃物に転用すると
硬度が
高い刃物が出来る。現代特殊鋼で
はない古い鋼としてはかなりの
硬度を
持つと思われる。

実際のところ、ガーバーのハイス鋼の
基準値はロックウェルで60~62
であると
いうのであるから、非常に硬い。
HRC62などになると、研ぎの中級
者以上が
ビシッと一定の角度を決めて緻密に研が
ないと刃を作れない
ことだろう。もちろん
初心者はロックウェル60のATS-34でさえ
研げないし、柔らかい刃物でも研げないと
いう厳しい現実はある
のであるが。

M2 ハイス鋼(ロール)。


M2 ハイス鋼(丸棒)


M2 ハイス鋼(板材)。
ナイフ用鋼材はこれが使用される。



ハイス鋼は高速回転工作機械用ビット
(旋盤などの刃)という刃物
だけでなく、
一般ナイフなどの刃物としても転用され
て重宝してきた。

炭素鋼に対する特殊鋼としては、ハイ
スピードスティールは硬度が
高く刃味も
良くて切れ味が長く持続するという願っ
たりかなったりの
鋼だった。日本の軍刀
などもハイス鋼で製作すればもっとさら
実用性能が上ったとは思うが、なにせ
コスト的にみあわなかったの
だろう。
ハイス鋼の唯一の欠点は、炭素鋼ほどでは
ないにしろその後のステン
レス合金ナイフ
に比べて錆びやすいことだ。特に440C
などと比較
するとかなり錆びやすい部類
に入る。

米国のタービン軸受鋼の154CMはラブレス
などが好んでナイフ鋼
として転用していた
が、日立が開発したATS-34はほぼ154CMと

同じ成分だった。それをナイフ鋼に転用し
て広めたのは東京上野
御徒町の岡安さんで
あり、彼の功績でATS-34がやがて世界標準
なって一黄金時代を築いた。ナイフ鋼
として使用され始めたのは
1980年代初期
のことだった。
1986年頃の雑誌等を見ると、まだ
ATSが
「期待の新素材」というような表現が
されており、生まれたばかりの若い新鋼
あったことがうかがえる。
ATS-34の出現により、154CMとハイス鋼
は一気に高級刃物鋼の
位置から陥落して
しまった。

ただ、1900年以降1985年頃までは、ハイス
鋼が極上切れ味の
刃物鋼であったことは
ゆるぎない事実である。ハイスはよい鋼だ。
刃先を薄くしても十分に耐用性が高い。
硬くて粘って薄くてOK。

しかし、一般人が現在ハイス鋼材を入手
するのは非常に困難になってきている。
元々が構造鋼であるので、大量ロット単位
でしか入手の道がないように狭まって来て
いるからだ。



研いでみるとはっきりするが、ハイス鋼は
砥あたりもATSより硬い。

だが、よく効く砥石表面状態を創出すれば、
任意に自在に研ぐこと
ができる。
同じ人造#1000でも、キングやナニワより
もシャプトン
刃の黒幕のような質性のセラ
ミック砥石のほうが石が利いてカエリ

綺麗に出る。



私は合わせには「本山あいさ」を使用
している。



十字架のような剣を刺したガーバーの
マーク。

アメリカ合衆国を象徴するナイフである。
なぜならば、専門職人ではない
素人が
1932年に作り始めたのがガーバーナイフ
の歴史の始まりだった
からだ。
そして、ガーバーは企業としては栄光を
掴んだ。

決して老舗の専門店ではないのにアメリ
カンドリームを実現させたのが
ガーバー
社なのである。
ただ、そこには資本主義的な「販社」の
手法が多く採り入れられて来たのだが。


ハンドルの太さといい、何から何までよく
出来ている。


ガーバーは日本でいう昭和初期に食器用
ナイフから開始した。
ガーバーナイフは瞬く間に大人気となった。

これは1941年の箱入りナイフ。この箱入り
が爆発的人気となった。


ハンドルのアルミ材はエンジンのピストン
を溶かして製作された。

まさに素人工作だが、その素人さゆえ、
なんの縛りもない自由な
発想と行動で
ナイフを作れた。ジョセフ・ガーバーが
プロデュースし、
行商渡り鍛冶屋だった
まだ腕の悪いデビッド・マーフィーが製作
を担当
したのがガーバーナイフの始まり
だった。


米国ガーバー社は1975年から日本の岐阜県
関市の坂井刃物を
G.サカイとして生産提携
し、下請けというよりもOEMで製造を開始
した。下請けではないというのは、サカイ
はサカイで自社製品を発売
しているれっき
とした製造販売メーカーであったからだ。
社名こそ
ガーバー・サカイとは変更したが、
ガーバー製品一辺倒ではなかった
のである。

アメリカンナイフは、1900年代に入ってから
一気に近代ナイフの
基礎が出来上がってきた
感がある。

ガーバーはその近代ファクトリーナイフを
代表するアメリカン・ナイフ
であるといえ
る。

ランドールとは異なり、自社製品であって
も自社生産ではなく外注
による手法が軸で
あるのは、現在のバックや他メーカーにも
通じる
形式で、ガーバーはそれの現代手法
をごく早い時期から採り入れて
いた。
今の時代は、現在ほぼすべてのメーカー
ブランドは、すべてこの
ガーバーの手法=
外注生産であり、自社ブランドであっても
自社で
生産などはしていない。
だからこそ、小規模であっても工場生産
方式であるのに、自社生産
のランドール
などはカスタムナイフ並みの扱いと価格帯
となって市場
の一角を構成しているので
ある。


そしてラブレスだ。
近代ナイフの歴史を大きく革命的に変革
したのはボブ・ラブレスで
ある。
徹底的に実用ナイフにこだわり、そして
大規模な大型機械が無くとも
生産性を上げ
るための「システム」がラブレスにより
考案された。

その製法がストック&リムーバルという
鋼材削り出し方法であり、
鍛冶経験が皆無
の者であっても刃物が製造できる手法を
考え出した
のがラブレスであった。
彼により、個人的な工作でもナイフが生産
できるようになったのであり、
このことは
カスタムビルダーの登場を促し、ナイフ
業界に光明をもたらし
たのである。
誰でもナイフが作ることができる、その
方法。それをラブレスが発案した
のである
から、まさに現代革命だった。


ガーバーはファクトリーナイフながら、
日本のG.サカイ製となってからも
高品質な
ナイフであり続けた。

一方、アル・マーなどはG.サカイと同じ
岐阜県関市のMOKIナイフに
製造を委託し
ていた。

MOKIは2017年で創業110年を迎える老舗
刃物屋である。この世に
社会主義国家が
一国も登場していないロシア革命以前の
時代にMOKI
ナイフは刃物を作り始めた。
京都のお店に比べると若い企業といえる

だろうが、110年というのは生半可なこと
ではない。

MOKIナイフのすごいところは「比類なき
作動性」で、フォールディング
ならば
MOKIと呼ばれる緻密さがある。

オリジナルナイフのデザインは好みが
分かれるところだが個性的だ。

丸っこいのが全体的な特徴だ。

フィクスドならばガーバー、もしくは
バック、という印象が私にはある。

そして、ガーバーならば、ハイス鋼時代
のカスタムシリーズ=Cナンバー
のライン、
とりわけ3.75インチのC375が私個人は
好きである。


マイバディ375。硬くてとても粘って良く
切れる。
錆びやすいからと最近は
敬遠されるハイス
鋼だが、切れ味の良さは使った者だけが
味わえる。

最近はATS-34さえも消滅しつつあって、
新素材新素材という時代に
なってきたが、
古い鋼も良いものだ。ハイスなどはまさに
それであり、
古くて良い物の最たる物は、
日本の刃物用炭素鋼である。


ただ、ガーバーがかつて使用していた
M2ハイスピード・スティールは
個人的に
はかなり良いと思う。

総合性能でいったら渾身のATS-34には劣る
が、時代性を考えると
飛びぬけた特殊鋼
であったことが分かる。


<M2の成分表>

ガーバーM2ハイス鋼のこれ。これはいい。
インドが鹿角輸出禁止で、サンバースタッグ
はもう装着が事実上不可能に
なってしまった。
だが、日本では日本の鹿さんがあまっている
からジャパ鹿で角ハンドルは代用できる。
エゾシカの角などはかなり使えると思う。
本州でもシカが増えすぎて、今や害獣となって
来ているという、40年前の状況とは逆転する
状態になっている。シカの角は国内で手に
入るという何とも不思議な時代になっている。
ただし、それも人間が計画的に運用しないと、
乱獲すれば絶滅危機に陥るのは当然だ。

シカ角のハンドル材は保持性等においても
優れているが、性能面だけを
見るならば、
G10やマイカルタが飛びぬけて優秀である
ことだろう。


武士の素顔

2020年05月28日 | open

私は武士の本来あるべき姿はこれである
思う。

最近、ある人から改めて学んだ。
学んだといっても、それは直接教わった
のではなく、その方の書いた呟きを読ん
で、はたと目に着けていた曇った厚い鱗
が瞬時にして落ちたのである。
戦わなないで事を収めることも治める事も
生き方としては難しい。
しかし、それこそが士の本懐ではなかろ
うか。
武士に一分あれと雖も、勇ましく戦場働き
するばかりが武士ではない。

大きな教えを頂いたと深く感謝している。

江戸期、人は呼んだ。
「花は桜木 人は武士」と。
それは一つのあるべき姿を言い表してい
た。
忘れていた。

流用 〜飛鳥朝 刀子風〜

2020年05月28日 | open



大阪堺のログナイフのレザーシースが、
誂えたようにブローニングのチーターに
ぴったりという現実。
ハンドルの半分程が潜るので逆さにしても
ナイフは落ちない。
このシースはチューブ型で、腰前に吊す
方式で、日本の古代の刀子と全く同じ携帯
方法を採る。
日本の古代の刀子自体が現代ナイフにそっ
くりなブレード形状であり、特に奈良以前
の刀子は現代ナイフそのものだといえる。
このチューブシースにしても刀子の鞘と同
じ装着携帯方法であるというのは面白い。
腰前ぶら下げ着用は、意外と使い易いので
ナイフをこの方式でアウトドア活動で多用
している方も多いのではと思う。
日本刀の太刀も刀身を水平にしての吊り
下げだったが、これも世界各国で刀剣は
吊り下げ式が多かった。これまた興味深
い現象だ。
日本では、その後、短刀が寸伸びして
刀という物が発生し(古代鉄刀とは別な
カテゴリー)、それを帯に差すことが一般
化した。
やがては太刀が廃れて打刀をさらに長く
させた物をメインの携帯刀剣として帯びる
形式に変わった。
刀は鎌倉期には登場していたが、打刀が
太刀の代用になったのは戦国期である。
江戸時代は、甲冑着用時以外は完全に
刀を帯刀した。
太刀は刃を下にして吊すので帯刀ではなく
佩用と呼ぶ。刀は帯び、太刀は佩くので
あった。

さらに太刀風外装でありながら刀のように
帯びる拵も登場し、それは半太刀拵と呼ば
れるようになった。
半太刀拵のさらに打刀拵との折衷物も登場
し、刀装具は幕府の厳しい規制の中にあっ
ても、武人各人の自由意思を体現する武器
としてあったといえる。
日本の文化的特徴として、武器自弁の原則
がある。特に刀剣に関しては武人各人が
自分の好みの物を自由意思で選択する。
それゆえ、絶対に他人の刀剣を揶揄したり
馬鹿にしたり嘲笑してはならなかった。
そんな失礼無頼慮外千万をしたら、それだ
けで「刀にかけても」の刃傷になるは必定
だった。

ただし、刀剣吟味において、刀の実利評価
は武士は好んで手厳しく行なっていた。
だが、決して、一度人の差料となった刀
は、どんな刀であっても愚弄することを
武士はしなかった。
そんな度外れた慮外なことをする武士は
一人もいないが、現代では誰でも刀を
買えるので、ネットなどでは目を覆いたく
なるように人の差料を嘲笑愚弄したりする
「刀持ち」もいたりする。
嘆かわしいことであると同時に、日本の
伝統文化、武士武人の魂といかに程遠いか
が窺い知れる。
むしろ、武芸とは無縁のアウトドア愛好家
のほうが、人のナイフを馬鹿にしたりは
しないまっとうな旧来の日本人的な性質を
持っていることが見られるので、私などは
複雑な気持ちになる。
と、同時に、日本の刀を使う武技をやる
現代人の極々一部のネット民に、他人の
差料を愚弄、罵詈雑言三昧の族(やから)が
いるのは、同じ帯刀者としては実にこっぱ
ずかしくなる。
得てして、そうした者は、匿名の影に隠れ
て平気で人の子どもや家族の事も愚弄しま
くって喜んでいる。
また、関係のない妻子や幼児のことをあげ
つらったり個人情報を晒したり揶揄対象に
したりする。
信じがたいことだが、そうした卑劣極まり
ないことを平気でやる。
あれは人なのか?

匿名ネットに巣くうそうした者は、刃物
を持ちながら人の道を外した者なのだ
う。
無論、武道や武術や武人の心などとも無縁
な存在だ。
どうせ刃物を持つなら、人の心からの本物
の笑顔を運べる空気に触れるようになれば
いいのに。

刀子/正倉院蔵




おすすめ砥石

2020年05月28日 | open


一推しのおすすめ砥石はこれである。
シャプトン1000番、刃の黒幕。
この砥石は素晴らしいの一言に尽きる。

鍛造自作刃物を研ぐ。
ハマグリ刃だ。鋼は斬鉄剣康宏鋼。
鎚ムラを大まかに取ったところ。




だんだん整えて行くが、研ぎ方法「切り」
で「押す」段階。いわゆる鍛冶押しに入
る。


日本刀と同じR断面のハマグリ刃であるの
で、ソーメンを細かくきちんと並べたよう
な研ぎ目になるようにビシッと揃える。
この下地こそが研ぎの最大のキモとなる。


切りにおいても、単なるベタ研ぎではな
い。包丁のような真っ平物ではないので
難しい研ぎなのだが、ようは慣れ。慣れの
ためには稽古で練成しかない。
シャプトン#1000はとても良い。


しかし、康宏鋼というのはほんとに青い
なあ。
出来上がりはこうだのもなあ。
粟田口みたい。


日本刀の構造

2020年05月28日 | open


(私の小林康宏作)

日本刀の鋒(きっさき)、いわゆる鋩子(ぼう
し)の部分には、なぜ小鎬(こしのぎ)と呼ば
れる物があるのか。
定説はない。
しかし、鎬が刀身に張りを持たせる骨の
役目があるように、強度上の対策として
発生したのではと推定できる。
この鎬があるために鎬造の日本刀は非常に
研ぐのに手がかかるのだが、研ぐために
日本刀は形成されたのではない。研ぎの
目的の為にあるのではないので、研ぎ易さ
を主体に考えると本末転倒だ。

実際、日本刀を剣戟の戦闘で使用すると
鋩子部分がよく欠損したようだ。
嘘かまことかは知らぬが、幕末に新選組の
近藤勇が郷里にあてた手紙には、過激派
浪士捕縛のために池田屋を襲撃した際に
は、沖田総司の刀は鋩子が折れたと書いて
いる。
鋩子部分は薄くなっているので折れやす
かったのだろう。

美濃物などでは焼き刃部分を広く取るいわ
ゆる一枚鋩子の形式の物も多いが、これは
刃欠けしてもまだ焼き刃があれば研ぐと
実用に供すことができる為の工夫といわれ
ている。
たしかに、古刀のように刃が低いと研ぎで
減って焼き刃が無くなると刃物ではなくな
る。
しかし、この一枚鋩子の方向性は、私は
使う立場からすると甚だ疑問だ。
硬い焼き刃を薄い鋩子部分に広く取って、
ガバッと欠損してしまったらどうするの
かと。突きは使えずに斬撃だけになる。
日本刀の用法では鋩子のカーブしている
焼き刃部分=フクラが非常に大切で、土佐
の英信流などはフクラで斬る刀法が主体と
なっている。
フクラが無いと、長い鉈と同じになって
しまい、剣技の幅は著しく狭まる。
これはかなり恐ろしい。
剣戟の技法を担保するためには、焼きが
えなまろうとも、切れ味よりも折れ
ない対策をするほうがいい。
戦国期の古刀で、鋩子の焼きが戻っている
物を時々見かけるのは、イクサの前に刀を
篝火とかにさらして焼き戻しをしたのでは
なかろうか。
焼きが多少戻ろうとも、刃先がとんがって
いれば突くことができるし、斬切すること
も可能だ。
しかし、そこの部位が「不存在」であった
ら斬ることは絶対にできない。無いのだか
ら。
キリスト教では神は万能というが、存在し
ない鋩子を使って切ってみよと言って、
それを神が実行できる筈もない。
これは、「余の辞書に不可能という文字は
無い」と豪語したナポレオンに「ならば
貴殿の辞書で不可能という文字を引いて
みよ」と言うのと同じ類のことなのだが。
しかし、無い物を使うことはできない。
それを要求するのは無茶だ。

鋩子を見るに、そこに小鎬と横手がある
のは、力学的な観点から刀剣に堅牢さを
付与させる為の日本人の先達の工夫だった
ことだろう。

ナイフの場合、丸焼きのステンレス製など
は、日本刀のように刃部が高硬度で地の
部分が刃よりも柔らかく粘りあるという
ような構造にはなっていない。
ナイフの製法で作られた刃物の場合、それ
が長い物だと、切りつけでの折損の可能性
が危ぶまれる。長物は特に折れやすいから
尚更だ。
ナイフは、それも考慮して短い形態となっ
ていることだろう。単に使いやすいことだ
けを勘案してではなく。
ただ、現代特殊鋼はかなり材質的には強度
を確保しているので、特殊鋼で刀剣を作っ
た場合どうなるかは分からない。
日本国内の法律では法でいうところの刀剣
は、特例を除き何ぴとたりとも所持禁止な
ので特殊鋼で刀は作れない。日本刀は「美
術品」規定なので、登録証がある日本刀は
所持できる、という法的な仕組みになって
いる。
そのため、古来からの和式工法で練り上げ
て作った鋼以外の材料で日本刀を作るの
は法令違反となり、製造許可が文化庁から
おりない。
戦前まではステンレスだろうと何だろうと
刀は刀だった。
戦後は日本刀に法的定義をはめた為、規定
の材料で文化庁に申請許可を得て一口ごと
に許可を貰って刀工は日本刀を作る。
大きさや種類(太刀、刀、わきざし、なぎ
なた、槍、短刀)に関係なく年間24作しか
日本刀は作れない。これも日本開びゃく
以来の決め事だが、決まりは決まりなので
仕方ない。

日本刀のように刀身内部に炭素量が違う
部位を配置させる構造を持たない特殊鋼
のナイフ。


刀剣、刃物の欠損は、使用を突然停止させ
るという緊急事態となるが、鋼は素材の
成分もさることながら、「どのような鋼に
まとめるか」で大きく強度に影響が出る。
それは家内制手工業的な日本刀であって
も、近代工業の工場制機械工業による鋼
製造においても差異はない。
鋼は作り方、もって行き方次第で質性が
出てくる。

私の新刀(江戸初期作)。


鋼のまとめ方が物凄く良い。
古刀の脈流を強く感じさせる新刀初期の
良質さをよく見せる恰好の研究材料とな
っている。
この刀は、地鉄(じがね)を見ていると
時間でも私は眺めていられる。
鉄味の妙をこの作者の刀鍛冶は存分に
発揮させている作品だからだ。
研ぎは京都の腕の良い研ぎ師の先生が
研磨してくれた。研ぎも上手い。

刃物の規矩 その3

2020年05月28日 | open



刃物の歴史をみる時、その国の歴史に目を
逸らすことはできない。
日本の場合も、アメリカ合衆国の古代版の
ようなもので、元々日本が大陸から分離
して日本列島が形成された頃に移住して
きた人類の子孫ばかりで日本人が形成され
たのではなく、日本人の多くは「外から」
やって来てそして混血を繰り返して人口を
増やした。
やがて、倭国という小国家群乱立と騒乱の
時代を経て、その内戦に政治的にも軍事
的にも勝利したヤマト派が日本を統治し
た。
そして、ヤマトは鉄を独占するに至る。

だが、全国各地で培われた独自の鉄器製造
技術の生産者は、ごそっとヤマトに連れて
来られてから各地の「現地支配の完成」の
ために全国に派遣されたとはいえ、その
ことが逆に「俘囚の剣」が全国的に広まる
ことになった。
日本刀の五ヶ伝の謎の一つに「なぜこれ
程離れた地域でありながら同じ形式の刀剣
が作られたのか」というものがある。
同時多発的にたまたま偶然に全国で同じ
形状の刀剣が作られることなどはあり得
ない。そこには「技術の外部注入」が存在
した筈だ。日本刀は全て古代においては
「官製」であったからだ。
それがのちに私的に生産されるように遷移
した。
だが、その楚となる技術は、外部注入に
よるものだった。
事実、五ヶ伝各地は、他の地域からの技術
の導入によってそれぞれの伝法が形成され
ている。相州は備前と大和の技術が下地に
あった、というように。

しかし、民俗的、かつ冶金的、刀剣史学
的に面白く着目出来るのは「脇物」と呼ば
れる五ヶ伝以外の土地の日本刀だ。
これを研究することは、日本の歴史の解明
のヒントになる。

ナイフのうち、折り畳みナイフは明治まで
の日本には登場しなかったという不思議な
歴史がある。
折り畳みフォールディングの現代ナイフの
ブレードの身幅も、ほぼ同寸であるという
現象が見られる。
そこには、なんらかの規矩が存している
ことだろう。
刃物をみることは面白い。
人の世界の歴史を見るが如しだ。

私の中に一つの感覚がある。
それは、ナイフ1本をみるに際しても、
その形状や構造を考察する時、その核心
を捉えようとするならば、その刃物の個体
だけを見ていてはその個体さえ見えないの
ではないか、という問題意識だ。
包括的に、刃物や鉄器の歴史的な事象を
紐解くこと無しに、その刃物は見えては
こないのではないか、という意識が私には
働く。
日本刀が典型的だ。
日本刀を見る時、その刀個体だけをいくら
見ていても「刀剣」は見えてはこない。
その目の前の刀の個体に現れた現象が観察
できるにとどまってしまう。
それでは知見には結びつかないと私は思う
のである。
作った作者の顔が見えて来る、その産地
の姿まで浮かんで来る、それの地域の歴史
まで見えて来る、ということを可能なら
しめるような刀の見方をしないと、日本刀
は見えない。
日本刀が見えるようになるためには、日本
刀だけを見ていては駄目で、日本刀に関与
した人間の歴史と姿に光を当てて全体を
理解していかないとならないと私は思うの
である。

これは、ナイフという刃物についても同様
だと感じる。
ナイフを見ていて思う。
「どうしてこのナイフはこんなに身幅が
広いの?」と。
「なぜ、ここの部分はこうなっている
の?」と。
それにはそれぞれ意味があるし、そこに
至るまでの歴史がある。
その個体がポッと突然降って来たことは
無い。
そこに至るまでは、必ず確実に「人の
関与」がある。
刃物を私が面白いと感じるのは、そこに
人間の存在があるからだ。
鋼の面白さにも繋がる。
鋼は自然界には存在しない。
「還元」で鉄原料から酸素を引っぺがす
のを人間が実現させることにより人間が
鉄を作り出し、さらにその鉄に炭素を吸引
浸透させて鋼を作って行く。
鉄こそは神が与えたものではなく、人間
が独自に作り出した。鉄からさらに鋼を
人間は作り出した。
人間なくば鋼は存在しないのだ。
鋼は人間と共にある。
また、鋼により作られた刃物という存在も
人間と共にある。
そこが私は面白いと感じるのだ。
刃物は、人間に一番近い道具であるという
真実がある。
刃物は良い。

刃物の規矩 その2

2020年05月28日 | open



日本刀の原初は古代刀剣であり、それは
直刀だった。
エゾ地の「夷狄(いてき)」と朝廷中央が
捉えた東北においては、古代遠隔地で発生
した蕨手刀が発達した「湾刀」が登場し、
その湾刀を古代末期の叛乱軍である平将門
軍は現地で量産して配備した。
鉄器自主製造の技術があったからこそそれ
が可能だった。
斬撃では、大和朝廷軍の直刀は悉く折れ
たが、将門軍の湾刀は折れもせず、馬上
からの使用でも有効だったと記録にみら
る。
大和朝廷は、兵器による軍事的劣勢に大い
に焦り、例によって太古より繰り返した
奸計を以って将門勢力を切り崩すことを
やり、それが成功した。
軍事的には圧倒的に将門の優勢だったが、
周辺武将を寝返りさせて朝廷側につけさせ
ることで辛うじて勝利を収めた。
しかし、あまりにも将門勢力のその影響力
の存在に恐れたために、「将門の怨念」を
創作してこれを鎮めるための儀礼を設え
た。
ヤマトのやり方はいつも同じで、古くは
クマソに対しそうであり、また出雲に対
してもそうであった。
出雲に対しては、鎮めの代わりに全国の
「神々」を毎年10月に出雲に派遣させて
お伺いを立てることを形式上行なうこと
で出雲の再決起を封じ込めて傀儡とする
ことに成功した。
吉備の場合は、人員を一部朝廷に登用する
ことで収めた。(のちに吉備勢力は朝廷中央
からは当初の計画通り排除された)
そして、出雲はあやかもヤマト派であるか
のような日本の伝統と歴史を創作し、それ
を定着させることにヤマトは成功して、
それがこんにちに繋がっている。

都の中央以外はすべて「外の野蛮な地」と
するヤマトの思想はいわゆる中華思想で
あり、これは古代に中国との交易が開始
されてから日本に導入利用された中央集権
の差別排外思想だ。
日本人の極度の排外主義、ムラ意識は中国
のシステムの模倣により醸造され、それが
強固に根付いた。朝鮮でもその中華思想
が今でも強く発揮されている。
まさに日本人の差別感と排外主義的な
土着的発想は、二千年の歴史を持つもの
といえるだろう。
中華思想とは、読んで字の如く、自分たち
こそが中央の華であり、すべての文化と
知性と先進性は自分たちから発生し、それ
を外の未開地の野蛮な土地に恩恵として
施してやるのだ、という自己唯一絶対思想
であり、この思想は古代中国に発生し、
現在では国名にまでするほどに中国の主軸
を成す思想となっている。
体制が資本主義だろうが共産主義だろうが
関係ない。人間的な骨格として中国では
その中華思想が貫徹されている。
それを古代に模倣した日本と朝鮮も中華
思想の国として人民の発想の隅々に亘る
まで徹底的に浸透している。
中国、朝鮮、日本は「差別を国是とする」
国である歴史を持つ。
日本国内の中国地区のその語句の意味も、
「トヨアシワラのナカツクニ」という意味
のことであり、中華思想を反映したもの
だ。
なぜ大和地方ではなく中国地区をナカツク
としたのかは、出雲と吉備があったから
であり、傀儡懐柔策の現出としての敬称
としてあったことだろう。

東北各地で自主生産していた鉄器製造の
技術者たちは、ヤマトにより征服支配さ
れたのちに、全国各地に「俘囚」として
強制的に転住させられた。
それが全国各地の鉄器・刃物の産地鍛冶の
始祖となる。
のちに鍛冶職は刀鍛冶のみ中世末期に脱賎
するが、明治維新まで一般的な鍛冶が賎民
階級に置かれたのは、古代の朝廷による
俘囚扱いに遠い背景があったことだろう。
古代王権ある所に鉄器あり。鉄ある所に
差別統制制度の歴史あり、といえる。

これは古墳の造営や他の日本の生産活動
全般に亘り展開された。
米などの農産物が経済の主軸であったの
で、米を生産する農民のみをオオミタカラ
という「天皇の臣民である」という臣下
呼称で呼び、それ以外の生産活動に従事
する国内の人民は朝廷はすべて賎民とし
た。武士でさえ大元は賎民だ。貴種降臨
譚は後世の捏造である。
武士の発生原初において乗馬技術や戦闘
様式は、猟と野戦の特殊技術を持つ特定
技能集団によって培われたのは明白だ。
都で歌を詠んでいるような者たちに戦闘
や野外行動ができる筈もない。
そして、ヤマトの「貴族」たちは、員数
的には大多数を占めた農民を公民の良民
であるとし、それ以外は漁労民だろうが
神社の禰宜だろうが、賎民とした。禰宜
も巫女も賎民とは信じ難いだろうが事実
だ。
農作物を生産する者以外は全て賎民として
扱うのがヤマトの方式だった。
芸能や清めを執り行なったり、医療従事
や出産の職能人、陰陽師その他等、あり
とあらゆる技術職を賎民とする構造によっ
てヤマトは支えられていた。
要は、中央貴族以外は「下なるもの」と
して扱うのがヤマトのやり方だった。
日本の階級は「作られた」ものなのであ
る。
そうした動かし難い歴史が日本にはある。
そして、鉄器生産技術とその担い手たちは
ヤマト中央の掌中に「手下(てか)」として
握られて行ったのだった。

日本刀の原初はどこかと問われたなら、
それはいわゆる「俘囚」の剣であり、大和
の地から遠隔地である東北にあることだ
ろう。
古代の「中央」とは畿内のごく狭いエリア
のことであり、それより外は「外夷」であ
り「夷狄」の蛮族の地とされた。
現在の愛知県あたりでさえ夷狄の地とされ
ていたのだから、いかにヤマトが狭窄的な
中央史観でこの列島諸国をみていたかが
窺える。
極々狭いエリアのさらにごく小さな集団
のみを貴種とするピラミッド型の体制を
築き上げることがヤマトの命題であり、
それをヤマトは成功させた。
その構造的人民統治体制に基づき発生し
た日本人の意識は、千数百年を経た現在
においても、あたかもそれが当然であるか
のようにして国家意識を形成している。
現在も日本国内に多く残存する差別的な
排除意識は、それが地方であろうと東京
であろうと、古代から連綿と続く「体制」
補完の意識であるのだ。
日本人は今でも「差別と排外主義を以て
ふるまう」ことをよしとする民俗意識を
堅固に保有している。
西欧形の民主主義が定着しよう筈もない。
日本人は「お上」こそが絶対であり、また
お上に反ぱくする庶民においても、その
意識性の中には差別排外主義を除去でき
てはいないのだから。
つまり、庶民にあってもお上のやり口の
焼き直しをしているだけ、という破滅的な
図式が存在するのである。

(つづく)

刃物の規矩 その1

2020年05月28日 | open



日本刀の刀身の身幅は、時代により多少
広くなりもしたが、時の流れの中で痩せた
り太ったりの流行りはあれど、凡その基準
的な身幅が決まっている。
それは、奈良時代の上古から古代の終わり
を告げる平将門の時代=直刀の時代の終焉
後の中世源平時代にはほぼ確定された。
特に太刀が廃れ、短い短刀の寸が異様に
伸びて「刀=打ち刀」が登場して以降は
かなり「標準値」が一般化した。
その日本刀のうち「刀」の刀身の寸法は、
身幅が約1寸乃至1寸1分なのである。
つまり約30ミリ〜33ミリ。
35ミリなどという数値になると「身幅もっ
とも広く」などと表現される。
(刀剣界での「もっとも」は最大という意味
ではなく「殊の外」という意味なので注意)
日本刀には規矩(きく)があるのだ。
それは別名掟とも呼ばれる。
なぜ、身幅1寸の幅が日本の刀剣の基準値と
なったのかについては、別稿に割きたい。

日本刀の打刀の刀身の身幅にスタンダード
の幅があるように、ナイフにもほぼデフォ
ルトの寸法が存在する。
ナイフの場合は、使う用途によって身幅が
絞られてくる。
コンバットナイフは日本刀と同じような幅
であるし、シティナイフやトレッキング
ナイフはそれより身幅が狭い細身のシャー
プなシルエットのブレードになる。


ラブレスタイプはやや身幅広めのデザイン
を多用したが、ホローグラインドであるの
で、野外で過酷な実用に使用するのは、耐
久性に疑問が残る。
ラブレスは、鑑賞刀のようなナイフの魁で
もあったのではなかろうか。
ナイフ1本が500万円とかいうのは、やはり
尋常ではない。

ラブレスタイプのブレード。


ラブレスポーチについては、ラブレスの
発明ではなく、日本人の発明だ。
時代は古墳時代。
日本の古墳時代のナイフである刀子(とう
す)には革製のラブレスポーチと同じ構造の
シースが使われていた。
ただラブレスポーチは革をグルリと一巻き
させて裁縫するのが特徴でもある。
このポーチは非常に安全性が高い。

さて、日本のナタがほぼ同じ身幅であるの
も刀の身幅、ナイフの身幅と同じ理由によ
るものだろう。
そして、その傾向性と同じく、ナイフの身
幅も使うシチュエーションで変化を見せて
いる。
最近は森での創作活動野営=ブッシュクラ
フトが流行ってきているので、ナイフの身
幅はナタのように広くなってきている。
ブッシュクラフトでは、装備軽減のために
ナイフ1本で何でもまかなうことが多いた
め、薪割りにも使えるナイフとして鉈の
ような使用法にも耐えるように身幅が広め
になっている。
日本の山の漂泊の民サンカの万能ナイフの
いわゆる「ウメガイ」と呼称されたであろ
うようなナイフの位置付けをブッシュクラ
フトナイフは持っている。
(日本の非定住型被差別民であったサンカ
については、三角寛による捏造やらせの
擬似研究がこれまで「定説」とされてきた
時代が存在したので、考察には極めて慎重
な注意を要する)

ブッシュクラフトナイフ。
万能ナイフとして、日本の「山の民」の
ナイフと同じような役目を受け持つ。


私は、思うに、日本の山の民の万能ナイフ
は、ジブリアニメの『もののけ姫』に出て
くるアシタカの剣のようなものではなか
ったろうかと想像する。
(その呼称が「ウメガイ」であるかも検証
を要する。サンカの言葉や文字とされた
ものは、実は三角が創作したからだ。三角
は捏造研究論文により博士の学位を得た。
現在では、三角の説は学術界ではほぼ全否
定されている)

アシタカのカタナ。


アシタカのカタナは、アニメ製作サイド
によって日本の古代刀剣である蕨手刀を
参考に創作されたと明かされている。
しかし、アニメ作品中では、微妙に湾刀と
なっていることも表現されていて、日本の
刀剣が直刀から湾刀に変化する時代を舞台
設定(平将門の古代の時代)にしていること
が判るが、その時代には『もののけ姫』で
出てくる足踏みの大型天秤フイゴは存在
しないので、作品はあくまでもファンタ
ジーであるということも観ていると分か
る。
だが、『もののけ姫』には含みが多く、
アシタカの刀剣は「いにしえの剣」として
古い先行文化の象徴で表現されている。
また、産鉄を支配した民が権力者である
サムライと対立している図式は、古代の
日本の歴史を表しており、ラストシーン
で出てくるダイダラボッチは、産鉄の神
の化身とする日本の地方文化を明確に表現
したものだ。
『もののけ姫』は、単なるファンタジーで
はなく、日本の鉄とそれをめぐる人間の
歴史を描いている。
また、多くの「障がい」者たちを鍛冶一族
は保護している。中には「らい病」患者と
思われる者も描かれている。
これは明確に日本の差別統制の歴史を婉曲
的に描いたものだ。
そして、自然との共生を否定して、自然界
と人間を支配しようとしてきた人間の業に
よる悲劇を描いたのが『もののけ姫』で
あった。
非常にテーマは深く、その多くの観客を
占めた幼児や児童層には難しすぎるテーマ
だった作品かも知れない。
『風の谷のナウシカ』で模索されたテーマ
のひとつの到達点が『もののけ姫』だった
といえるだろう。

(つづく)