渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

紫陽花

2020年05月19日 | open


紫陽花の季節がやって来る。

これは7月の紫陽花。



2020年05月19日 | open




この斬鉄剣作者の鎌は、何に使うのでし
ょうね。
少なくとも農作業用ではない。
尤も、古流武術には鎖や鎌の武技もあるの
だが、私はそれは未研修なので皆目ど素人
だ。
これは、康宏工房にあって、下さるという
ので全身真っ赤な錆身を貰って来たが、
造りは斬鉄剣造りだ。
金剛砥からの下地の押しは斬鉄剣では初め
てやった。
最初から感じてはいたが、改正あたりで
妙な砥あたりを感じた。
これはご自身の注文打ちの康宏新作刀を
ご自分で砥いだ日本刀研磨師(日刀保入選
研磨師のプロ)の町井勲先生も仰っていた。
ツルツルから吸い付き系への移行。
いつまでもキンキンに硬くて砥石の上で
滑るような感覚は無い。ともすれば柔らか
い刀かのように砥石に吸い付く。

しかし、この鎌、折角小林康宏師が私に
下さったのだが、武具としては私は使い方
を知らないので宝の持ち腐れのような気も
する。
古い真作の影打ちを頂いたのだが、何とも
勿体ない気がする。
地鉄は小杢目精緻につみ、鉄色蒼く澄む。

刀の色

2020年05月19日 | open


心に光を照らすのは、この鋼の色なのだと
今改めて思う。

剣法

2020年05月19日 | open



抜いて斬って納める。
たったそれだけのことなのに、どれほど
抜刀術剣法は難しいことか。

鶏鳴く者有りと雖も、己変ずること無し。
之を望むに木鶏に似たり。
我未だ木鶏足り得ず。



妖怪

2020年05月19日 | open


(ヌエ)

久しぶりに電話で話す友人と野宿旅行の
話をしていたが、かなりの不思議体験を
しているという。
「ヌエが出ましたよ、ヌエ」と言う。
それさあ、単なるでかい猫か日本猿か
なおじさんを寝ぼけて見間違えたんじゃ
ないの?とも思うが、まあ、不可解な事
というのは得てして実際にあったりする。
私の場合も、渓流釣行で深山に入ると、
いろいろな体験をしたし、また、多くの
毛鉤仲間も不可解な体験をしている。
人気のない山中に張ったテントの周りを
夜中に人の足音がして歩き回ったり、淵
覗いていたら後ろには誰もいないのに、
ドンと背中押されたり、岩場で休んでいる
と低い声で「おい」と後ろから呼ばれた
り。振り返ると誰もいない。
で、また前を見ると、またも後ろから
「おい」と声を掛けられる。
そういうことって結構ある。
それと、なんだろ、あれ。凝視すると
いないのだけど、なんだか、真っ黒くろ
すけのような薄黒い根なし草のような物
が後ろからカラカラと回りながらついて
くる。山の中の小径を歩いていると。
完全確認しようと立ち止まって凝視すると
そこには何もない。

そういうことって、ある。
脳がおかしくなった?とか思うのだが、
どうにも科学的に説明のつかないことは
時々体験する。
「と学会」でも説明つかないような。
まあ、謎の正体未確認の飛行物体は確実
に現実に飛んでいるのだろうけど。実際
私もカメラにも何度か収めてるし。
ただ、そうした物理的な正体不明の実在
物体とは違って、意味不明で非現実的な
妖怪もどきの事物の出現や、幽霊のような
ものの出来、物の怪の類の到来は何度か
私自身も経験している。
それらのうち、私は人間が変異したで
あろう(推定)幽霊の類には全く恐怖心は
ない。
現世の生きた人間にまとわりつく不届き
な未練な奴め、斬り伏せてくれよう、
みたいないわば土方歳三がよく言ってた
ようなところが自分の中にあるので、
幽霊は私は何ともない。
驚きはするが恐怖はない。
妖怪、物の怪についてもそうだ。
(現実にその場にいた者による伝承として
は、土方自身が山南敬介の切腹の際に場
に出たら、山南から「来たな九尾の狐!」
と妖怪扱いされたらしい)

私がお化けの類に恐怖心を抱かないのは
もしかすると、オバQの刷り込みがあった
からかも知れない。お化けはあれだよ、
と。妖怪にしても、ゲゲゲの妖怪は友だち
だよ、みたいな。
しかし、怪奇現象てのは、いかんともし
難いのでダメっすね。
ポルターガイストみたいなやつ。
それと、勝手に人気の無い場所でこちらに
呼びかける奴とかね。
背中ドンも、おのれ卑怯者!とか思って
もいきなしドンではこちらも困惑する。

友人の話を聴いていて、山中釣行だけで
なく野宿走り旅などでも、似た類の経験
とかしてるのだねえと思う。
一度サバゲで、前日から現地のど真っ暗な
場所にテントを二つ張って野宿していた
メンバーがいた。
翌朝彼らと合流すると、洒落にならない
と顔面蒼白だ。
何があったか訊くと、夜中、誰もいない
筈なのに、テントをトントンされたのだ
ってさ。何度も。
周囲の状況からして、人がテントに寄って
来たら足音がする場所だ。
しかし、いきなりトントン、とのことだ。
隣のテントの奴のいたずらでもない。
かなり、どっしぇーとなったらしい。
まあ、そういうのってあるよね。
焼き場のそばの峠を夜中に車で走ってい
たらドアとか天井とかをドンドンと叩かれ
たりとか(社員と同乗で2度経験あり)。

野宿をすると、いろんな物がやって来る。
あれ、珍しがってるのかもね。


日本の説話にも妖怪の種類は多くあるが、
霊鳥や霊獣も、あれらも下手転んだら
妖怪物の怪の類だからね。
鳳凰とか龍とか麒麟とかも。転んでない
から聖霊のように扱われているけど。

日本の民話でいうなら、妖怪退治は巷間
民話の定番だが、妖怪を退治する武士の
ほうが野蛮で凄惨な手口を使う存在なん
だけどさ。妖怪かわいそう、みたいな。
妖怪より幽霊よりも危険で恐ろしい存在は
やはり人間のように思える。
生きながらにして餓鬼のような醜悪な心根
を持つのなんて、人間しかいないのでは
なかろうか。
犬や猫には人間のような卑しくさもしい
心根の汚れた面てのは無いように思える
よ。

怒りや喜びや恐怖感は犬猫も持っている
だろう。それは人間にもあるし、ごく自然
な感情だ。
しかし、どす黒い奸計や薄汚い裏切りなん
てのは、やるのは人間だけなんじゃない?
お前、よくそんな裏切りをしていけしゃあ
しゃあとしていられるな。生きてる価値
ないんじゃない?みたいなのとかね。
しかし、ユダの最大の犯罪は、師を裏切っ
た衝撃的事実そのものではなく、その罪を
赦すことへの決定的拒否となる自殺をした
ことにこそある。
死んではならない。生きなければならな
い。いけしゃあしゃあとであれ、生きて
自ら己に課した十字架を背負って一生苦し
まなければならない。
死ぬのは簡単だ。ユダは簡単な事を選んで
全てを放棄した。死は贖罪にはならない。

やはり、食ったらダメだよという実を唆さ
れて食ってしまった一番最初に人は間違い
起こしたんだと思うよ。

和風に見るならば、妖怪退治の人間が
何故か群がる餓鬼のように見える図。


苦境

2020年05月19日 | open



友が病む時、自分には何が出来るのか。
祈ることしか出来ないのは辛い。
だが、相手はもっと辛い時の中にいる。



自粛警察

2020年05月19日 | open







ひどいことする。
油性ペンの文字を消すにはそれなりの溶剤
かケミカルを使うことになる。
当然、ナンバープレートの白と緑の塗装も
傷む。コンパウンドなどで擦るとすぐに
ナンバーは剥げてしまう。
落書きは法的には器物損壊だが、それ以上
にこの落書き行為はいわゆる自粛警察とい
う集団ヒステリー感染者の暴挙たるテロで
あることを見逃してはならない。
そうした私的リンチ、私的制裁を正義と
する誤認は、時により人を殺してでもそれ
が正義だとする風潮になりかねない。
実際、そうした愚かな行為を人間は踏んで
来た事実がある。
西部開拓時代のアメリカ人の「市民」に
よる私刑での縛り首殺人しかり、関東大震
災の時の日本人による朝鮮人虐殺しかり、
ナチスドイツのユダヤ人大虐殺しかり、
ネット時代における現代日本人の私刑賛美
のファシズム潮流しかりだ。
このナンバー落書きは、単なる器物損壊で
は済まない、深い心の闇が日本人を蝕んで
いることの現れだ。
自粛警察にみられる傾向は、日本人が古く
から持ち続けている前近代的な「ムラ意
識」と同根の全体主義的排外意識の現れな
のである。
そして、それらの担い手は、平気で人を
差別、排外する。差別や攻撃的な排外圧力
を「正義」だと信じ込んで行なう。
始末悪い。自分が正しいと信じ込んでいる
からだ。
それが進むと人殺しをも正義だとする神経
に必ず行く。過去の歴史がそうだった。
こうしたテロルは、単なる器物損壊では
なく、果てしない社会犯罪であるのだ。
人びとが苦しむ時こそ手を携えなければ
ならないのに、日本人はなんということ
なのだろう。
これが私たち日本人が望む我らが母国の
「美しい日本」なのか。

いや、ダメでしょ。そういうの。

名作 ドラマ『JIN ー仁ー』

2020年05月19日 | open



ドラマ『JIN ー仁ー』の再放送が始まっ
た。(RSS)

私は坂本龍馬の演技では、全ての映像作品
の中でこの内野聖陽さんの龍馬が一番、
いわゆる「作品」での坂本龍馬のイメージ
を体現しているように思える。


ただ、本物の坂本には現代人は誰も会った
ことがないので現実の彼の詳細は不明だ。
しかも、明治期にかなり坂本龍馬のキャラ
クタは「創作」されたフシが多分にある。
これは各種の史料から明らかだ。
龍馬は、生前も死後も、あらゆる勢力に
よって「利用」された人だったかも知れ
ない。
創作的龍馬像を描く名作としては劇画の
『おーい龍馬』がある。


過剰な司馬遼太郎史観であるのだが、
実際のところ、かなり研究されている。
描写においても、出て来る物品等が非常
にリアルで時代考証もしっかりしている
ので、読み応えがある作品に仕上がって
いる。この漫画作品はおすすめだ。

坂本龍馬の人気は、龍馬本人を知らない
人たちによって「創られた人物像」とし
て膨らまされている。
そして、文字通り土佐の坂本龍馬は人気
ある。
日本人の心の中にある「坂本龍馬」は、
実在の本人を超えた。
ある意味、日本人は「坂本龍馬」に理想
人物像を託しているのではなかろうか。

映像作品において、原作を超える映像作品
は少ないといわれる。
しかし、ドラマ『JIN ー仁ー』は、原作
よりも実写映像作品が素晴らしいと私は
感じる。
原作も名作なのだが、淡々としているの
である。
そして、映像作品は、原作とは大きく
ラストが異なる。
原作では、タイムスリップした医師南方
は旗本の娘橘咲と結ばれる。夫婦になる。
しかし、映像作品では、涙を誘うラストと
なる。
これは、主役の大沢たかおにも脚本が
渡されずに撮影して、筋書き無しのラスト
シーン(ラスト前の咲との心のやりとり)と
して撮影されたという。
医師南方になり切った大沢は、演技では
ない本物の大粒の涙を流して本気で泣い
た。演技ではないのである。
これは映像作品製作における大いなる
反則技だ。
俳優の芝居ではない本物の涙だからだ。
しかし、作品としては見事なシーンと
なった。取り直しや「はい、オッケー」
無い。一期一会の現実として、大沢南方
先生の姿がそこにあった。
現実世界では、大沢さんと綾瀬さんが
結婚できたらいいな、などというメルヘン
ちゃんのような思いを私は抱いてしまっ
た。実際に両人は撮影クランクアップ後
につきあったようだが、やがて離れてし
まった。
その点、同じタイムスリップ物の静かな
名作『時をかける少女 2010』で惹かれて
想いを寄せ合う主人公の少女と過去の大学
生は、作品の中では不幸な悲しい別れと
なったが、現実世界では仲里依紗さんと
中尾明慶さんは紆余曲折あったが結婚し
て、まるで親友同士のような仲良し夫婦と
して今も過ごしている。
これは、私個人は嬉しくも微笑ましく思
う。人の幸せを見ることができるのは、
こちらも心が幸せになる。

ドラマ『JINー仁ー』が感動巨編となった
のは、出演した俳優陣の演技がどなたも
輝きまくる良質なものによるだろう。
役者さんたちの卓抜した演技力もあるだろ
うが、幹は優れた脚本と監督の力だろう。
そして、このドラマは、登場人物すべてが
主役のような仕上がりだが、やはり、南方
先生と龍馬が軸線としてあることだろう。
とにかく見応えがある大作だ。
数年ぶりに、この作品が録画やDVDでは
なくタイムリーに放送で観られることが
嬉しい。

コロナウィルスで今、多くの人たちが
現実の世界で亡くなっている。
そんな悲しく苦しい時期だからこそ、この
ドラマの再放送が心に響く。
このドラマは、人の幸せを願う作品だ。
コロリで江戸市民が多く死亡した暗黒の
幕末。
しかし、希望を持って生きて行けばきっと
人たちに未来は開ける。
あすを信じて希望を決して捨てずに。
それを描いた人間ドラマだった。
今だからこそ、ドラマ『JIN ー仁ー』を
多くのに観てほしい。



クイックドロウ 〜誰よりも速く〜

2020年05月19日 | open


刀法における抜刀斬撃の術が銃の抜き撃ち
の fast draw にあたるとするなら、両者
には相通じるものがあるであろうと思う。
思うに、瞬息抜刀の要諦は、「緩み」に
こそあるのでは、と。
今更なのだが、その今更が難しい。
未達未熟ゆえ、てんで出来ない。