渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

水筒

2020年05月15日 | open


軍用水筒と違ってレジャー用の水筒って
のは凄いですね。
昼にたっぷり入れた緑茶が20:00を回った
今もあっつあつですよ。
パッケージには保温6時間とあったけど、
もっともつみたい。
まさに魔法瓶だ(笑)。

ナイフ

2020年05月15日 | open


日本大刀好き、ナイフ大好きの友人と
電話で刃物談義をした。
最初はフライフィッシングの話から道具
の話になってナイフが来た。
「ナイフって、知らないうちに増えるよ
ね」
と互いに言い合って大笑いした。ある、
ある、と。
不思議なものだ。
知らないうちにナイフは増える。
同じ物でも増えてることもある。
そして、もう一つよくある不思議。
酒はなぜか減る。いつの間にか減る。
わっけわからん。

「たかたのばば」と「たかだのばば」 〜流鏑馬〜

2020年05月15日 | open



高田馬場って実際にはどこにあったの?
と思う。
モノのネットペディアによると以下だ。


このあたりは歴史の上でも行政管轄が
めぐるましく変わってきた。



私もこのあたりに長く住んでいたが、地元
の人たちは「たかたのばば」と呼んでい
た。
曰く「『たかだのばば』てのは国電の駅の
ことだ」と。
しかし、住居表示実施の際に、地名の読み
を「たかだのばば」にされてしまった。
似たような例は広島県三原市糸崎にもあ
る。東京では江古田は駅が「えこだ」で
地名読みが「えごた」だったりする。

高田馬場辺りでは戸山公園(旧尾張徳川家
下屋敷)で流鏑馬が毎年行なわれる。










新宿区の指定無形民俗文化財となってお
り、毎年人気を博す。
私も戸山公園の流鏑馬を毎年観るのが
楽しみだった。
小笠原流の騎士が場内アナウンスで名乗り
をあげられる。
それが、また古風だ。
苗字通称(戸籍名)だけでなく、そのあと
に姓と実名(諱)を呼ぶのだ。
例えば、鈴木太郎藤原◯◯(ふじわらの
◯◯)のように。
やはり、姓は源平藤橘が多い。
この馬場での名乗りを初めて聴いた時に
は、鎌倉時代の単騎出馬の時もこうだった
のかなあ、と漠然と思った。
江戸期に実名を名乗るのは、正式な武芸
試合や天覧演武や政治向きの書面で記す
に限られていた。
戸山公園の流鏑馬は、コスプレでもお祭
り行列でもない、本物の日本の伝統武芸
の伝承再現演武として弓を引く。
無論、江戸市中の遊び場の矢場での「あ
たーりー」デンデンとも異なる。
相馬の野馬追も神事として在る。
実際に流鏑馬に眼前で接していると、何か
いい知れない荘厳なものを感じたりする。
カーニバル的なお祭りや民衆的な盆踊りも
縁日の出みせも私は楽しい。
だが、流鏑馬は目の前で観ていると、背筋
をピンと伸ばして座して拝見したくなる。
なぜかビール片手に玉屋〜とはならない。
そうさせるものが流鏑馬にはある。
不思議だ。

それと、見るとおっ!となる。
馬が走るのは、かなりの全力疾走なん
ですよ。
クォーターホース位の大きさの和駒です
が、結構な速度で追います。
なので失中や馬の速度がありすぎて間に
合わず矢をつがえられないこともあったり
もする。
名を名乗っているから、正々堂々とした
「ハレ」の行為なので、仮に的を外そう
とも不面目とはならない。
寧ろ、卑怯な振る舞いこそが忌避される。
だから、流鏑馬は観ているほうにも凛とし
たものが伝心するのかも知れない。
演武を観ているだけで、心が浄化される
ような思いがするのです。
でも、広い馬場がないとなかなかできない
ですよね、流鏑馬は。
全国的に神事としての流鏑馬が復興すれば
嬉しいけど、馬場の確保が大変そうだ。
それでも、全国で116箇所で流鏑馬が行な
われているようです。
益々の発展と継続を祈りたい。



外部ソース

2020年05月15日 | open


私と同年代の広島の人から電送あり。
「外部ソース」なのだそうです。
いや、確かにそうなんですけどね(笑)。
本人も「日記で使っちくり」と言うので
遠慮なく使わせて貰うけど、パロギャグ
だよなあ。

(中どうなってるんだろ)

青い月のバラード

2020年05月15日 | open


もう10年前の公演になる。
これは観に行きたかったが、スケジュール
が合わず、行かず仕舞だった。

新世紀まであと数年という90年代後半に
差し掛かる頃、13年勤めた職を辞した。
まあ、20年続いた職場が空中分解だった
のだが、業界では珍しい大所帯だったので
解散においては多少の混乱もあった。
1年近く貯金と退職金で家族を養っていた
が、いよいよ仕事を得て収入を再び安定
させないとという時期に来ていた。毎日
ゆったり自由タイムの生活には経済的にも
ピリオドを打たなければならなかった。
友人の進学塾の先生から、藤本さんのとこ
で納豆作らないかと話を持ちかけられた。
彼と東大闘争の闘士だった藤本さんは懇意
の仲だ。
熟考した。
藤本さんの趣意には賛同したが、再び塚の
現闘みたいになるのもなあ、という躊躇が
あった。看板背負っての現闘時代は、あれ
は若さゆえの向こう意地ではなく、確かで
明確な自己意志と厳格な組織方針に基づい
たものだったが。
おときさんと藤本さんの離別をその時に
予見していた訳ではない。藤本さんの事業
の破綻を予測した訳でもない。
しかし、私には、何か名状しがたいある
種の「躊躇」があったのだ。私の内的な
引っかかる「何か」として。
結局、民間企業からの引きを受け、それを
さらに半年考えさせてもらい、半年後に
その企業に就職した。
きっかけは、うちの犬が友人だった人に
殺されたことだった。
人生の転機などは、得てしてそんなもの
だ。
そして、就職してから1年後、本社勤務から
地方管轄長として岡山県に赴任した。
赴任の際には生まれて初めて住むことに
なる広島県に家族で移住した。岡山市内ま
では新幹線通勤を数ヶ月続けたが、業界の
国内産業拠点ハブ化の再編推移を見越した
上で業界内でのスタンス確保を先取りして
東京本社に働きかけて広島県に活動主幹を
移した。
新世紀が始まったが、爾来、生まれ育った
関東ではなく西日本に居住している。

舞台演劇としての『青い月のバラード』
観に行かなかったことを悔やんでいる。
たまたまだが、おときさんの子の名はアヤ
コなんだよね。この舞台に出演する澤田
亜矢子さんもアヤコだけど。
澤田さんも学生運動の闘士だった。
後方人員ではなく、結構前線でゴリゴリ
だったと知る人は言う。
性根を据えた彼女は活動家の定番のように
大学を中退して働き始める。まず、働いて
そこから、なのだ。理由は、労働者こそが
社会変革の主軸であることを嫌というほど
思い知る経験をしたからだ

今でもどうしても解せない事がある。
深作監督の遺作となった『バトルロワイ
ヤル2』では、前作の『バトルロワイヤ
ル』では名前だけが出てくる「闘士」が
いる。それを続編の「〜2」では千葉真一
が演じた。
この役どころはどう転んでみても日本赤軍
なのだ。
そして、『バトルロワイヤル2』自体が、
前作のファシズム国家化した日本の狂気
を描くものから更に一歩進めて、そのファ
シズム日本を破壊しようとする反国家ゲリ
ラ蜂起戦の戦士として七原秋也たちは「ワ
イルドセブン」という抵抗組織を作り、
大規模テロルを行なう。
「ワイルドセブン」が反ファシズム抵抗
活動を行なうのは、劇画『ワイルド7 』に
おいて、警察官であるワイルド7のメン
バーがファシズム軍事独裁国家に日本を
変貌させた国家権力と命をかけて対決す
る図式と奇しくも重なる。
劇画のワイルド7 のメンバーは、警察官で
ありながら、最後は反ファシズムの救国
戦士として闘い、リーダーの飛葉以外は
全員が権力に殺害されるのだ。それで
『ワイルド7』の物語は幕を閉じた。その
後の何作品かある続編は、ファシズム独裁
者が日本を牛耳っている「架空未来」の
パラドックスとして描かれている。

さて、解せないというのは、映画『BR2』
は、作品全体に流れる基調と表現が明らか
に「反国家主義」「反全体主義」「反ファ
シズム」「反大国覇権主義」「独立蜂起
戦争賛美」の論調であるのに、最後のテ
ロップで「文科省推薦」という文字が登場
することだ。
私はこれを初めて見た時、腰を抜かしそう
になった。
パレスチナの解放戦線勢力については、
日本政府はテロリストと規定して断罪する
姿勢を堅持している。まして、日本赤軍と
なると国際テロリストで国際的犯罪者で
あり、断じてアメリカをはじめとする旧
西側先進国や日本政府が容認する筈はな
い。
しかし、『BR2』の作品の中で自由の為に
決死の戦闘をするゲリラ兵士の千葉真一
とそれに闘争方法を教わった七原らの武装
戦士たちが描かれているのに、その作品を
日本政府が推薦している。
これは一体どういうことなのだろう?
さらに、ラストシーンでは、米軍の爆撃を
受けた拠点を脱出した七原たちは、犠牲者
を出しながらも国外に脱出し、最後には
中東(アフガンかも)で待つ中川典子と再会
するのだ。その地から明るい人類の未来
を築こう、と。
うーむ。
荒唐無稽と言ってしまえばそれまでだが、
なんと言っても、日本政府の推薦が解せ
ぬ。
事実は小説より奇なり。真相はいずこに。

それでも、『青い月のバラード』は、
フィクションがベースなので是非とも
観たかった。